第30話 借りるという癖
当主側は、表で動かない。
表で動くのは規定。
紙。
責任。
当主側が動く時は、だいたい「借りる」。
人を借りる。
鍵を借りる。
名目を借りる。
借りる癖がある奴は、返さない。
⸻
朝。
診療所に、ラセルが来た。
当主側補佐官。
肩書が硬い割に、歩き方が軽い男だ。
白衣じゃない。
でも医療区域に慣れてる足取り。
(来るな)
ラセルはレナートを見ると、礼儀よく頭を下げた。
「レナート子爵。お忙しいところ失礼します」
レナートは淡々と言う。
「用件は」
ラセルが笑う。
「備品室の件です」
(早い)
レナートは顔色を変えない。
「何を知っている」
ラセルは答えをぼかす。
「当主が、心配されております」
「医療区域の鍵の管理が厳しくなったと」
(耳が早い)
厳しくしたのは昨日だ。
もう当主側に届いている。
レナートは淡々と言う。
「当然だ。夜に開いた形跡がある」
ラセルが肩をすくめる。
「形跡、ですか」
「証拠は」
言い方が軽い。
軽い奴ほど、厄介だ。
レナートは淡々と返す。
「証拠は記録と痕跡だ」
「必要なら伯爵へ出す」
ラセルの笑顔が少しだけ薄くなる。
「伯爵へ……」
(伯爵が嫌なんだな)
ラセルはすぐに笑顔を戻す。
「いえ、子爵が正しいのは分かります」
「ただ、当主としては“研究”の継続もありまして」
研究。
便利な言葉。
研究と言えば、何でも通る。
レナートは淡々と言った。
「研究を理由に、規定を緩める気はない」
ラセルが視線を俺に滑らせる。
「診療助手の部屋も、鍵付きだそうですね」
(来た)
俺の部屋の話を、当主側が持ち出す。
つまり、噂の中心は俺。
ラセルは笑う。
「大げさでは?」
「出自確認中の子どもでしょう」
(子ども扱い)
言い方が、上からだ。
俺は黙る。
黙ってればいい。
喋ると噂が増える。
レナートが淡々と言う。
「大げさではない」
「事故が起きる」
ラセルが眉を上げる。
「事故?」
「例えば、何が」
レナートは淡々と言った。
「鍵を試す者がいる」
ラセルの顔が一瞬だけ止まる。
ほんの一瞬。
でも止まった。
(知ってる)
ラセルはすぐに笑う。
「そんな者がいるなら、捕まえないと」
レナートは答えない。
答えない代わりに、紙を取り出した。
「昨夜の出入り記録」
ラセルが覗き込む。
「……当直研究員が一時に開けていますね」
「そうだ」
「なら、それで終わりでは?」
終わりにしたい。
終わりにすれば、掘られない。
レナートは淡々と言う。
「終わらない」
「一時の記録と、別の時間に開いた形跡がある」
ラセルが微笑む。
「形跡、ですか」
(またそれ)
レナートは淡々と続ける。
「錠前に新しい傷」
「紙の擦れる音」
「影が二つ」
「診療助手の観察だ」
ラセルが俺を見る。
「観察?」
俺は短く言う。
「見たことを言っただけ」
ラセルが笑う。
「優秀ですね、診療助手」
(褒めるな)
褒め言葉も噂の餌だ。
レナートが淡々と言う。
「用件はそれだけか」
ラセルは一歩引く。
「ええ。あとは――」
「当主から伝言です」
ラセルは丁寧に言った。
「“客間を空けたのは評価する”」
(評価?)
評価は、見返りの匂いがする。
ラセルは続ける。
「だから、研究のために備品室を“借りたい”」
(借りる)
来た。
レナートは即答しない。
即答せず、淡々と言った。
「不可」
ラセルが目を丸くする。
「ですが、当主の――」
レナートの声が少し低くなる。
「当主でも、規定は越えない」
「備品室は医療区域だ」
ラセルの笑顔が消えかける。
でも消えきらない。
「……では、伯爵に伺いますか?」
脅し。
でも丁寧な脅し。
レナートは淡々と言った。
「伺えばいい」
(強い)
ラセルが一瞬だけ黙る。
レナートが続ける。
「ただし、伯爵は“記録”を見る」
「借りるなら、借りた記録が残る」
ラセルの笑顔が戻った。
「もちろんです」
(嘘くせぇ)
ラセルは礼をして去っていく。
⸻
ラセルが去った後、俺は小さく言った。
「借りるって言い方、嫌いだな」
レナートが淡々と言う。
「借りるは、責任を曖昧にする」
「だろ」
「だから、記録で縛る」
記録。
伯爵家の鎖。
俺は息を吐く。
「でもさ」
「借りる奴は、鍵も借りるんだよな」
レナートは一拍置いた。
「……その可能性が高い」
そして淡々と言った。
「今夜、巡回を増やす」
(増やすとまた噂が増えるぞ)
でも噂より先に形を作るんだった。
形を作れば、借りる奴は動きにくくなる。
動きにくくなった時――
必ず、別の穴を探す。
その穴が、次の事件になる。




