第28話 記録の穴
備品室の記録は、紙だ。
紙は嘘をつける。
でも、紙の周りの“癖”は嘘をつきにくい。
誰が書くか。
どこで書くか。
どの順で書くか。
そのへんのズレが、残る。
⸻
朝。
備品室の前に、管理係と当直研究員が並んでいた。
管理係は眉間に皺。
当直研究員は眠そうな顔。
(眠そうで済む話かよ)
レナートは淡々と言う。
「昨夜、備品室が開いた」
管理係が即座に否定する。
「開けておりません。巡回はしましたが、確認のみです」
当直研究員も言う。
「僕も開けてません。夜は検査室に――」
レナートは遮らない。
遮らずに、淡々と続ける。
「では、記録を見る」
管理係が記録簿を出す。
分厚い帳面。
出入りの時刻と署名欄。
レナートがページをめくる。
「昨夜の記録」
管理係が指を置く。
「ここです。……当直研究員が一度、薬包紙を取りに」
当直研究員が頷く。
「はい。深夜の一時頃です」
(深夜一時)
俺が起きたのは、もう少し後だった。
つまり、別件の可能性がある。
レナートは淡々と聞く。
「一時に、何を取った」
当直研究員が答える。
「薬包紙と封蝋です。朝に回す記録の封を――」
(封蝋)
また封蝋。
レナートの指が止まる。
「封蝋を、備品室から?」
当直研究員が一瞬だけ言い淀む。
「……はい。普段は記録室ですが、昨夜は切れていて」
管理係が口を挟む。
「記録室の分は昨日補充しました。切れるはずが――」
当直研究員が焦る。
「いや、僕は確かに見たんです。棚が――」
(食い違い)
俺は内心で息を吐く。
(穴、あるな)
レナートが俺に言う。
「診療助手。見たことを言え」
俺は短く言う。
「二人組だった」
「片方が備品室の方へ行った」
「紙の擦れる音がした」
管理係が青ざめる。
「……そんな」
当直研究員も顔が硬くなる。
「一時の僕の件とは別……?」
レナートは淡々と答えた。
「可能性は高い」
そして管理係へ言う。
「鍵を見せろ」
管理係が鍵束を差し出す。
古い鍵が多い。
備品室の鍵だけ、少し新しい。
レナートは鍵を見て、次に錠前を見る。
錠前の縁。
擦れ。
「……新しい傷がある」
管理係が息を飲む。
「複製……?」
レナートは言い切らない。
言い切らないまま、淡々と続ける。
「可能性がある」
当直研究員が小さく言う。
「でも、鍵は僕が返しました。管理係に――」
管理係がすぐ返す。
「受け取っています。鍵は箱へ。施錠も確認しました」
(どっちも嘘っぽくない)
だから余計に厄介だ。
レナートは淡々と言った。
「嘘か事故か、どちらかだ」
「どちらでも、規定を変える」
規定を変える。
伯爵家の武器。
レナートは管理係へ言う。
「鍵箱の管理を変える」
「夜間、備品室の鍵は管理係が携行」
「貸出は署名に加え、目的と同席者を記録」
管理係が頷く。
「承知しました」
当直研究員が渋い顔をする。
(自由が減る)
でも自由が減らないと、穴は塞がらない。
レナートはさらに言った。
「封蝋は備品室に置くな」
「記録室の棚に戻せ」
当直研究員が頷いた。
「……分かりました」
⸻
昼。
俺は研修室区画の廊下を歩いた。
視線が少し増えた気がする。
いや、増えた。
管理係が巡回の回数を増やしたせいだ。
(やりすぎると、また噂が増えるぞ)
でも噂より先に形を作るんだった。
形を作ったら、音も増える。
その時、洗濯室の女がいた。
腕を組んで、廊下の端に立っている。
(ああ、こいつか)
俺が一人の時にだけ絡んでくる女。
今日も、人がいない。
女が小さく笑う。
「ねえ」
「客間を追い出されて、今度はここ?」
言い方が、嬉しそうだ。
俺は淡々と返す。
「ここは研修室だろ」
女が鼻で笑う。
「研修室ねえ」
「赤毛の子どもが、鍵付き個室」
「随分、特別扱いじゃない」
特別扱い。
そう言うと、噂が増える。
俺は言った。
「特別じゃない」
「面倒が増えただけだ」
女が目を細める。
「面倒を増やすのは、あなたでしょ」
(違う)
違うと言っても無駄だ。
この女は、結論を先に持っている。
俺は歩き出す。
女が背中に言った。
「その鍵、いつまで持たせてもらえるのかしらね」
(鍵、持ってねぇよ)
俺は心の中で返す。
(こいつ、知ってるな)
鍵の仕組み。
管理。
それを“持ってる”と言い換えた。
知ってる奴の言い方だ。
俺は振り返らない。
振り返ると、向こうの勝ちだ。
⸻
夕方。
レナートに報告する。
俺は短く言った。
「洗濯室の女が、鍵の話をした」
レナートは淡々と聞く。
「言い方は」
「“鍵を持たせてもらえるのか”って」
レナートは一拍置く。
「鍵は持たせていない」
「だろ」
「だが、“持っている”と噂が流れている可能性がある」
噂。
また噂。
レナートは淡々と言った。
「洗濯室の女の名を調べる」
「当主側との繋がりも確認する」
(ようやく来た)
穴は、記録に残る。
人も、記録に残る。
その記録の穴を、今度は埋める番だ。




