第26話 研修室の鍵
研修室の個室は、客間より狭い。
でも狭い方が、落ち着く。
広い部屋は、余計なものが入りやすい。
狭い部屋は、余計なものが入りにくい。
……入れにくい、だけで入らないわけじゃないけど。
⸻
移動は昼のうちに済ませた。
荷物は少ない。
持ち物が少ないのは、身軽でいい。
ただ――赤毛だけは、身軽にならない。
廊下ですれ違う研究員が、目を逸らしきれずに見る。
(見んな)
言わない。
言えば増える。
研修室の区画に着くと、管理係が待っていた。
年配で、目が細い。
鍵を持つ手が慣れている。
「子爵様。こちらが研修室の個室です」
レナートが淡々と頷く。
「開けろ」
鍵が回る音。
(この音、嫌いじゃない)
扉が開く。
中は簡素。
寝台、机、椅子、棚。
窓は小さい。
でも換気はできる。
管理係が言った。
「鍵は二本」
「一本は当方。一本は子爵様」
レナートが淡々と言う。
「規定通り」
管理係が俺を見る。
「……診療助手。鍵は触れないように」
俺は短く答える。
「触らない」
管理係は少し安心した顔で頷いた。
(触りたくても触れねぇよ)
レナートが部屋を一通り見て、淡々と言った。
「扉の建て付けは良い」
「窓の留め具も良い」
(点検かよ)
ここまで細かいのは、伯爵家の医療の癖だ。
事故を減らすためなら、何でも見る。
レナートは管理係へ言った。
「出入りの記録を付けろ」
「はい」
「私の許可なしに開けるな」
「承知しました」
管理係は頭を下げて去った。
残ったのは俺とレナート。
人がいない。
俺は椅子に腰を下ろす。
「……客間よりマシ」
レナートは淡々と言う。
「客間は余計に目立つ」
「目立つのは、俺のせいじゃねぇ」
「分かっている」
淡々と同意する。
同意するときだけ、少し楽だ。
レナートは机の上に紙を置いた。
「規定だ」
紙には、短い箇条書き。
•出入りは許可制
•物品の持ち込みは記録
•体調変化は申告
•呼称は統一
•外部者との接触は報告
(牢じゃねぇけど、牢っぽい)
俺は言った。
「これ、牢じゃないよな」
レナートが淡々と言う。
「牢ではない」
「牢は罰だ」
「これは管理だ」
管理。
伯爵家の得意技。
俺は肩をすくめた。
「はいはい」
⸻
夜。
俺は新しい部屋で寝ようとして――寝る前に気づく。
静かすぎる。
客間は広い分、音が散る。
ここは音が反響する。
小さな音が、逆に大きい。
廊下の足音。
遠い扉の開閉。
誰かの咳。
(寝にくい)
そう思った時だった。
カチ、と小さな音。
――鍵の音。
俺は目を開ける。
(誰だ)
扉が開く気配はない。
でも確かに、金具の音がした。
俺は起き上がる。
息を殺す。
(管理係?)
夜に来る理由はない。
もう一度、カチ。
今度は、ゆっくり。
(試してる)
扉は開かない。
二重管理だからだ。
でも、試してる奴がいる。
俺は心の中で小さく舌打ちした。
(もう始まったかよ)
俺は足音を立てずに、扉の方へ寄る。
覗き穴はない。
でも、床の隙間から影が見える。
影が、二つ。
(複数)
一人じゃない。
影の動きが止まる。
小さな声。
「……硬いな」
男の声。
抑えている。
別の声が返す。
「子爵が持ってる方じゃない」
(鍵のこと知ってる)
これはただの夜回りじゃない。
俺は戻って寝るべきだ。
でも戻ると、次に扉が破られるかもしれない。
俺は息を吐いて、決めた。
(見たことを、残す)
俺は机の紙を引き寄せる。
暗い中で、指で文字を書いた。
“夜。鍵を試す音。影ふたつ。男声。”
書き終えた瞬間、外の影が動いた。
「……やめとけ」
「記録がある」
記録。
伯爵家は、記録に弱い。
影が離れていく。
足音が消える。
俺は息を吐いた。
(鍵付き個室でも、完全じゃねぇ)
でも、今のは一つだけ確かだ。
この部屋は、ただの“配慮”じゃない。
誰かにとって、邪魔なんだ。
だから、鍵を試した。
噂より先に、形を作った。
形ができた途端に、崩しに来る。
――伯爵家の問題は、まだ生きている。




