第25話 客ではない、と言われる
客間は静かで、広い。
静かで広い部屋は、だいたい誰かの欲しがる物だ。
俺がそこにいるだけで、理由が生まれる。
「客ではない」
「診療助手だ」
「いつまで客間を使わせる気だ」
理由は、勝手に増える。
⸻
朝。
廊下の角で、声が落ちた。
「……あの赤毛、まだ客間よ」
「診療助手って呼ばせてるのに?」
「客じゃないでしょ」
(来た)
俺は足を止めずに、視線だけを動かす。
言ってるのは下働き二人。
声は小さい。
でも、言葉はよく刺さる。
赤毛は、耳にも刺さるらしい。
俺は心の中で言った。
(俺に言うな。決めたのは俺じゃねぇ)
⸻
診療所。
帳簿係が紙束を抱えてやってくる。
顔が真面目。
こういう顔は、だいたい面倒を運んでくる。
「レナート子爵。配置の件で相談があります」
レナートは淡々と手を止める。
「言え」
帳簿係が言う。
「診療助手の居室です。客間使用に不満が出ています」
(ほら来た)
レナートは顔色を変えない。
「不満の出所は」
帳簿係が少し言い淀む。
「……使用人側と、当主側の書記の周辺です」
(当主側も混ぜてきた)
レナートは淡々と言った。
「合理の顔をして、派閥の都合を出している」
帳簿係が咳払いした。
「……はい」
レナートは紙を揃える。
「提案は」
帳簿係が言った。
「職員宿舎への移動です」
(大部屋か)
俺は内心で舌打ちする。
大部屋は危ない。
視線が増える。
手が増える。
そして、噂が増える。
レナートは淡々と言った。
「不可」
即答。
帳簿係が慌てる。
「ですが、客間は――」
「客間である必要はない」
レナートが言う。
「ただし、職員宿舎は不可」
帳簿係が目を瞬く。
「では……どこへ」
レナートは短く言った。
「医療区域の研修室」
研修室。
つまり、職員区域内。
でも、普通の宿舎とは違う。
帳簿係がすぐに言う。
「研修室は……空きが」
「一室ある」
レナートは淡々と言った。
「鍵付きの個室」
(鍵)
俺は少しだけ息が楽になる。
帳簿係が眉を寄せる。
「鍵付き……個室?」
レナートは続ける。
「出自確認中の者を職員区域に入れるなら、監督責任を明確にする」
「監督は私が持つ」
帳簿係が戸惑う。
「子爵様が……鍵を?」
レナートは淡々と言った。
「鍵は二重管理」
「管理係と私」
「勝手な出入りは禁止」
「物品の持ち込み制限」
理屈と規定で固める。
こういう時のレナートは速い。
帳簿係は渋い顔をしながらも頷く。
「……分かりました。ではその案で、当主側にも」
レナートが遮る。
「伯爵に通す」
帳簿係が背筋を伸ばす。
「承知しました」
⸻
昼。
伯爵の書斎の前。
俺は来ると思ってなかったが、呼ばれたので来た。
(また胃が痛くなるやつ)
扉が開く。
伯爵は机に向かっていた。
紙を見ている。
こちらを見ない。
伯爵が言う。
「診療助手の居室の件だな」
レナートが一礼する。
「閣下」
伯爵は紙を置く。
「客間は、確かに過ぎる」
(そうなるよな)
伯爵の視線が俺に落ちる。
「診療助手」
「お前は、客間に不満はあるか」
俺は短く答える。
「静かで助かる」
伯爵は僅かに目を細めた。
「素直だな」
俺は肩をすくめる。
「不満言っても変わんねぇだろ」
伯爵が小さく息を吐く。
「変える」
(変えるのかよ)
伯爵はレナートを見る。
「提案を言え」
レナートは淡々と述べる。
「医療区域の研修室の個室へ移動」
「鍵付き」
「鍵は二重管理」
「監督責任は私が負う」
伯爵が紙を指で叩いた。
「職員宿舎ではないのか」
「不可です」
「理由は」
「事故が起きる」
「噂が増える」
「物が消える」
短い。
でも、全部正しい。
伯爵は少しだけ考えてから言った。
「よい」
(通った)
伯爵が続ける。
「名は持つな」
「呼称は統一」
「研修室は、あくまで“預かり”だ」
「職員扱いでも客扱いでもない」
中間。
この家が一番得意な場所だ。
伯爵は俺を見る。
「診療助手。研修室へ移る」
俺は短く答える。
「はい」
伯爵が頷く。
「よい」
⸻
書斎を出る。
廊下に出た瞬間、俺は息を吐いた。
「客じゃないって言われたな」
レナートは淡々と言う。
「客ではない」
「じゃあ何だよ」
「預かりだ」
預かり。
都合のいい言葉。
俺は肩をすくめる。
「鍵付き個室、助かる」
レナートが言った。
「鍵は触るな」
「分かってる」
「規定だ」
「はいはい」
少しだけ軽い会話。
少しだけ。
でも、その夜。
客間を出る準備をしていると、廊下の向こうで声が落ちた。
「やっと移るんだって」
「赤毛、邪魔だったのよ」
(言うな)
俺は荷物を抱え直す。
赤毛は隠れない。
けど――隠れないまま、潰されない場所へ移る。
それが、今の最適解らしい。




