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少年ロウの観察事件簿  作者: ちわいぬ
第三章 伯爵夫人の帰還

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第24話 似ていると言われる日

午前の診療が一区切りついた頃、診療所の廊下がふわっと甘くなった。


香水じゃない。

焼き菓子の匂い。


(来た)


「奥方様ご到着!」



侍女の声がして、空気が一段明るくなる。


伯爵夫人はにこにこしながら入ってきた。

手には籠。中身は当然、菓子。


「みんなお疲れさま!」


研究員たちの顔が少し緩む。


(診療所に菓子配る貴族、強いな)


伯爵夫人の視線が俺に落ちる。


言いかけて、止める。


「……診療助手」


呼称、守れてる。

でも不満が顔に出ている。


伯爵夫人は籠を差し出した。


「これ、あなたにも」


俺が受け取ろうとした瞬間、伯爵夫人の指が俺の髪の方へ伸びかける。


(やめろ)


……伸びかけて、止まる。


伯爵夫人は自分で引っ込めて、笑った。


「触らない。触らないわ」


学習してる。

怖い。



レナートが淡々と言う。


「奥方様。ご協力に感謝します」


伯爵夫人が頬を膨らませる。


「あなた、ほんとに堅いのねえ」


そして、レナートの顔をまじまじ見る。


「……でも」


伯爵夫人は楽しそうに言った。


「やっぱりあなた、私に似てるわ」


廊下の空気が一瞬だけ止まる。


研究員が小さく笑い、侍女が「まあ」と声を漏らす。

誰もが知ってる話題を、奥方様が平気で口にする。



伯爵夫人は続ける。


「目元が特に。ほら、こういうところ」


自分の目尻を指で示す。


(分かる)


言われなくても分かる。



レナート子爵の整った顔立ちは、伯爵夫人の華やかさを薄く削って、冷たく磨いたみたいだ。


伯爵の要素は、あの沈黙の圧。

中身の方に入っている。


レナートは否定しない。肯定もしない。


薄い声で言った。


「……診療の邪魔です」


伯爵夫人が声を上げて笑った。


「ほら、そういうところは伯爵そっくり!」


(やめろ、混ぜるな)



伯爵夫人は笑いながら、俺を見た。


「診療助手」


「あなたも、ちゃんと食べるのよ。細いもの」


細いは余計だ。

俺は短く答える。


「食べる」


伯爵夫人は満足そうに頷く。


「よし!」


そこで伯爵夫人は、思い出したように言った。


「そうそう、呼称の件ね」


(まだ続くのか)


「診療助手って、硬すぎるわ」


「せめて“助手くん”とか――」


レナートが淡々と言った。


「不可です」


即答。



伯爵夫人が頬を膨らませる。


「どうして!」


「統一が必要です」


「統一って言葉、あなた好きねえ」


伯爵夫人は笑って、侍女へ目配せした。


「じゃあ今日は、“言葉を増やさない”でいくわ」


(奥方様が言葉を減らす?)


伯爵夫人はにこにこする。


「私、偉いでしょう?」


レナートは淡々と言った。


「はい、奥方様」


伯爵夫人が嬉しそうに笑う。


(この人、褒められるの好きだな)



伯爵夫人は籠を侍女に預けて、少しだけ声を落とした。


「でもね、レナート」


「あなたが私に似てるって言われるの、嫌じゃないでしょう?」


廊下の空気がまた止まる。

レナートは一拍置いて、薄い声で答えた。


「……必要ありません」


必要ない。

理屈の逃げ方。


伯爵夫人は怒らない。

怒らず、ただ笑った。


「そう。じゃあ、必要ないなら気にしないわね」


意味が分からないようで、分かる。

伯爵夫人は俺へ向き直り、明るく言った。


「診療助手、またね!」


そう言って去っていく。

廊下の空気が戻る。


俺は菓子の籠を抱えたまま、レナートを見上げた。


「……似てるって言われるの、よくあるの?」


レナートは淡々と歩き出しながら答えた。


「よくある」


「面倒だな」


「面倒だ」


今日も同意。


俺は菓子を一つ口に入れる。

甘い。


(こういう日があるなら、まあいいか)


似ていると言われる日は、

屋敷が少しだけ騒がしい。


でも騒がしい方が、俺は眠りやすい。

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