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少年ロウの観察事件簿  作者: ちわいぬ
第三章 伯爵夫人の帰還

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第22話 噂より先に

赤毛は目立つ。

目立つものは、噂になる。


噂は勝手に形を作る。

形を作られたら、こっちは動きづらい。


――だから、噂より先に形を作る。

レナートの言い方は硬いけど、理屈は分かる。


分かるのが腹立つ。





その夜。

記録室に紙が集まった。


出自確認の途中経過。

診療助手の扱い。

診療所の同席範囲。

それに――赤毛の件。



帳簿係が眉間に皺を寄せている。


「噂が早すぎます」

「もう“境界の民”だの、“遠国の血”だの……」


(ああ、もう始まってる)

俺は心の中でため息を吐く。


レナートは淡々と言った。


「噂は止まらない」

「止めるのではなく、当てはめる」


「当てはめる?」


俺が言うと、レナートは紙を指で叩いた。


「“診療助手候補”としての扱いを先に規定する」

「髪色は理由にならない、と明文化する」


(そんなことまで書くのかよ)


でも、書かないと“理由にされる”。


レナートが淡々と言った。


「伯爵に通す」


(伯爵)


閣下と呼ぶ相手だ。


帳簿係が不安そうに言う。


「……伯爵は、受けますか」


レナートは答えない。

答えずに、紙を揃える。


「受けさせる」



言い切った。


(言い切ったぞ)



ハロルドが入口に立っていた。


「レナート子爵。今なら伯爵は書斎に」


「行く」


レナートが立ち上がる。

俺も立ち上がりかけて止まった。


(俺も行くのか?)


レナートが淡々と言う。


「診療助手も来い」


「……俺も?」


「噂の当事者だ。必要だ」


必要。

今日も必要。

俺は肩をすくめる。


「はいはい」





伯爵の書斎。

扉の前で空気が変わる。


診療所の匂いじゃない。

紙とインクと、静けさの匂い。


中に入ると、伯爵が机に向かっていた。


視線が上がる。


俺に一度。

紙に一度。

レナートに一度。


秤の目。


レナートが一礼する。


「閣下」


伯爵が言う。


「レナート」


短い。



レナートは紙束を差し出す。


「出自確認の途中経過と、診療助手の扱いの規定案です」


伯爵が紙を受け取る。

読む。

黙って読む。


その沈黙が長いと、胃が痛くなる。


俺は黙る。

黙るのは得意だ。


伯爵が紙の一箇所で指を止めた。


「髪色は理由にならない」


そこ。


伯爵が俺を見る。


「赤毛を隠さない理由は」


(来た)



俺は喉の奥で言葉を探す。

正直な理由は、面倒だ。

でも嘘はもっと面倒だ。


俺は短く言う。


「隠すのも金がいる」

「隠しても、いつか落ちる」


伯爵は一拍置いた。


「合理だな」


(合理って言われた)


伯爵が紙へ視線を戻す。


「“境界の民”の噂がある」


俺は言い返す。


「噂だろ」


伯爵は否定しない。


「噂だ」

「噂は人を動かす」


レナートが淡々と補足する。


「だから、噂より先に形を作ります」


伯爵は紙を置く。


「お前は、診療助手を手元に置きたいのか」


(違う方向に行くな)



俺は内心で焦る。


レナートは淡々と言う。


「置きたいのではありません」

「事故を減らします」


(理屈で返した)



伯爵は目を細める。


「事故を減らすために、規定を作る」

「規定の穴も塞ぐ」

「……良い」


(通った)



帳簿係の紙が、ここで初めて“公”になる。

伯爵は続けた。


「だが条件がある」



空気がまた締まる。


レナートが言う。


「伺います」


伯爵が言った。


「診療助手は“名”を持つな」


(名?)



俺が反射で伯爵を見ると、伯爵は淡々と続ける。


「名が広がれば、噂が増える」

「噂が増えれば、派閥が動く」

「今はまだ、観察の段階だ」


(観察)



伯爵らしい。

俺は内心で思う。


(俺、観察対象かよ)



レナートは一礼する。


「承知しました、閣下」


伯爵が言った。


「呼称は“診療助手”で統一しろ」


「夫人にも伝えろ」


(奥方様に?)


レナートが淡々と言う。


「伝えます」


伯爵は最後に俺へ視線を落とす。


「診療助手」


俺は背筋を固くする。


伯爵が言った。


「噂に乗るな」


俺は短く答えた。


「乗らない」


伯爵が僅かに頷く。


「よい」



書斎を出る。

廊下に出た瞬間、俺は息を吐いた。


「名を持つな、って何だよ」


レナートは淡々と答える。


「“ロウ”は呼び名だ」


「正式な名ではない」


「正式な名が付けば、扱いが変わる」


扱いが変わる。


それは、身分が変わるってことだ。


俺は肩をすくめる。


「じゃあ、今は“診療助手”か」


「そうだ」


「ダサい」


レナートが一拍置いて言う。


「必要だ」


必要。

今日も必要。

俺は小さく笑いそうになって、飲み込んだ。


噂より先に形ができた。

完全じゃない。

穴も残る。

でも、勝手に決められるよりはマシだ。


赤毛は隠れない。


なら――隠れないまま、潰されない形を作る。


それが、この屋敷の戦い方だ。

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