第22話 噂より先に
赤毛は目立つ。
目立つものは、噂になる。
噂は勝手に形を作る。
形を作られたら、こっちは動きづらい。
――だから、噂より先に形を作る。
レナートの言い方は硬いけど、理屈は分かる。
分かるのが腹立つ。
⸻
その夜。
記録室に紙が集まった。
出自確認の途中経過。
診療助手の扱い。
診療所の同席範囲。
それに――赤毛の件。
帳簿係が眉間に皺を寄せている。
「噂が早すぎます」
「もう“境界の民”だの、“遠国の血”だの……」
(ああ、もう始まってる)
俺は心の中でため息を吐く。
レナートは淡々と言った。
「噂は止まらない」
「止めるのではなく、当てはめる」
「当てはめる?」
俺が言うと、レナートは紙を指で叩いた。
「“診療助手候補”としての扱いを先に規定する」
「髪色は理由にならない、と明文化する」
(そんなことまで書くのかよ)
でも、書かないと“理由にされる”。
レナートが淡々と言った。
「伯爵に通す」
(伯爵)
閣下と呼ぶ相手だ。
帳簿係が不安そうに言う。
「……伯爵は、受けますか」
レナートは答えない。
答えずに、紙を揃える。
「受けさせる」
言い切った。
(言い切ったぞ)
ハロルドが入口に立っていた。
「レナート子爵。今なら伯爵は書斎に」
「行く」
レナートが立ち上がる。
俺も立ち上がりかけて止まった。
(俺も行くのか?)
レナートが淡々と言う。
「診療助手も来い」
「……俺も?」
「噂の当事者だ。必要だ」
必要。
今日も必要。
俺は肩をすくめる。
「はいはい」
⸻
伯爵の書斎。
扉の前で空気が変わる。
診療所の匂いじゃない。
紙とインクと、静けさの匂い。
中に入ると、伯爵が机に向かっていた。
視線が上がる。
俺に一度。
紙に一度。
レナートに一度。
秤の目。
レナートが一礼する。
「閣下」
伯爵が言う。
「レナート」
短い。
レナートは紙束を差し出す。
「出自確認の途中経過と、診療助手の扱いの規定案です」
伯爵が紙を受け取る。
読む。
黙って読む。
その沈黙が長いと、胃が痛くなる。
俺は黙る。
黙るのは得意だ。
伯爵が紙の一箇所で指を止めた。
「髪色は理由にならない」
そこ。
伯爵が俺を見る。
「赤毛を隠さない理由は」
(来た)
俺は喉の奥で言葉を探す。
正直な理由は、面倒だ。
でも嘘はもっと面倒だ。
俺は短く言う。
「隠すのも金がいる」
「隠しても、いつか落ちる」
伯爵は一拍置いた。
「合理だな」
(合理って言われた)
伯爵が紙へ視線を戻す。
「“境界の民”の噂がある」
俺は言い返す。
「噂だろ」
伯爵は否定しない。
「噂だ」
「噂は人を動かす」
レナートが淡々と補足する。
「だから、噂より先に形を作ります」
伯爵は紙を置く。
「お前は、診療助手を手元に置きたいのか」
(違う方向に行くな)
俺は内心で焦る。
レナートは淡々と言う。
「置きたいのではありません」
「事故を減らします」
(理屈で返した)
伯爵は目を細める。
「事故を減らすために、規定を作る」
「規定の穴も塞ぐ」
「……良い」
(通った)
帳簿係の紙が、ここで初めて“公”になる。
伯爵は続けた。
「だが条件がある」
空気がまた締まる。
レナートが言う。
「伺います」
伯爵が言った。
「診療助手は“名”を持つな」
(名?)
俺が反射で伯爵を見ると、伯爵は淡々と続ける。
「名が広がれば、噂が増える」
「噂が増えれば、派閥が動く」
「今はまだ、観察の段階だ」
(観察)
伯爵らしい。
俺は内心で思う。
(俺、観察対象かよ)
レナートは一礼する。
「承知しました、閣下」
伯爵が言った。
「呼称は“診療助手”で統一しろ」
「夫人にも伝えろ」
(奥方様に?)
レナートが淡々と言う。
「伝えます」
伯爵は最後に俺へ視線を落とす。
「診療助手」
俺は背筋を固くする。
伯爵が言った。
「噂に乗るな」
俺は短く答えた。
「乗らない」
伯爵が僅かに頷く。
「よい」
⸻
書斎を出る。
廊下に出た瞬間、俺は息を吐いた。
「名を持つな、って何だよ」
レナートは淡々と答える。
「“ロウ”は呼び名だ」
「正式な名ではない」
「正式な名が付けば、扱いが変わる」
扱いが変わる。
それは、身分が変わるってことだ。
俺は肩をすくめる。
「じゃあ、今は“診療助手”か」
「そうだ」
「ダサい」
レナートが一拍置いて言う。
「必要だ」
必要。
今日も必要。
俺は小さく笑いそうになって、飲み込んだ。
噂より先に形ができた。
完全じゃない。
穴も残る。
でも、勝手に決められるよりはマシだ。
赤毛は隠れない。
なら――隠れないまま、潰されない形を作る。
それが、この屋敷の戦い方だ。




