第19話 お茶会は戦場
伯爵夫人は、朝から元気だった。
屋敷の空気が少し明るくなったのは間違いない。
その明るさが、俺に向くまでは。
「ロウ!」
廊下の向こうから、聞き慣れた弾んだ声。
(来た)
俺は反射で壁に寄る。
逃げ道を確保するのは訓練の癖だ。
でも逃げ道の先に、レナートが立っていた。
薄い声。無表情。
そして、いつも通りの硬さ。
「奥方様」
伯爵夫人がにこにこ寄ってくる。
「ねえ、ロウをお茶に呼びたいの。いいでしょう?」
いいでしょう、が命令に近い言い方だ。
俺は小さく息を吐く。
(お茶会=捕獲)
レナートは淡々と言った。
「本日は不可です」
伯爵夫人が目を丸くする。
「どうして?」
「診療所の記録が残っています」
「記録なんて、お茶の後でも――」
「お茶の後は夕方になります」
「夕方でも――」
「夕方は物品の点検です」
伯爵夫人が頬を膨らませる。
「あなた、ロウの予定、全部知ってるのね」
(変な方向に行くな)
俺は黙ってる。
黙ってると勝手に話が進む。
伯爵夫人は俺を見て笑った。
「ロウ、来たい?」
来たいって聞き方がずるい。
俺が断れば、俺が悪い。
俺が返事を探している間に、レナートが淡々と言う。
「本人に選ばせる必要はありません」
「今日は仕事です」
(助かった)
助かったけど、言い方が硬い。
伯爵夫人がくすっと笑う。
「あなた、ほんとに堅いわねえ」
堅いまま、レナートは話を切る。
「奥方様。土産話は夜に伺います」
夜に伺う。
つまり、今は引き取れ、ってこと。
伯爵夫人は納得しない顔をしながらも、引ける人だ。
「分かったわ。じゃあ夜ね!」
そう言って去っていく。
俺は小声で言った。
「……助かった」
レナートは歩きながら淡々と返す。
「当然だ」
(当然じゃない)
でも言わない。
⸻
診療所は、いつも通り忙しい。
毒事件の後始末が残っている。
検査結果の整理。
婚約者の供述の写し。
女の体調記録。
俺は紙束を抱えて、記録室へ向かった。
「診療助手」
帳簿係が声をかける。
(またか)
「何だ」
「毒の件、上から確認が入っています」
上。
誰の上だ。
「“上”って誰だよ」
帳簿係が一瞬、言い淀む。
「……当主側の、書記です」
(当主側)
まだ動いてる。
俺は紙束を抱え直す。
「何を確認したい」
帳簿係が言う。
「婚約者が持ち込んだ薬袋の扱いです」
(薬袋)
「処分は規定通りに?」
「はい。ですが――」
帳簿係が声を落とす。
「薬袋が“薬庫の規定”に触れる可能性が」
(繋がった)
毒事件が、薬庫の穴に繋がる。
俺はレナートを見る。
レナートは、俺を見ずに言った。
「薬袋を見せろ」
(相変わらず即断)
記録室に入ると、封をされた袋が机に置かれていた。
封は伯爵家のもの。
でも、封蝋の縁が妙に荒い。
(またかよ)
俺の頭の奥が切り替わりかける。
でも、今日は沈めない。
沈めると疲れる。
俺は小さく呟く。
(この家、封蝋に恨みでもあんのか)
レナートが淡々と言った。
「触るな。まず見る」
俺は頷く。
「見てる」
レナートは袋の封を確認してから、帳簿係へ言う。
「この封は誰がした」
帳簿係が答える。
「当主側の書記です。記録室へ回す前に」
(当主側の書記が封)
危ない。
証拠を触れる立場にいる。
レナートは薄い声で言った。
「書記の名」
帳簿係が言う。
「……セドリックです」
(名が出た)
レナートは淡々と続ける。
「セドリックを呼べ」
帳簿係が慌てて動く。
俺は袋を見た。
封蝋の削れ方が、昨日までの“爪”とは違う。
今回は細い線がある。
(刃だな)
でも断定しない。
見てるだけ。
⸻
セドリックはすぐに来た。
顔は薄い。
表情も薄い。
喋り方だけ丁寧。
「レナート子爵。お呼びでしょうか」
レナートは淡々と言う。
「薬袋の封をしたな」
「はい。規定に従い――」
「規定は誰の規定だ」
セドリックが一瞬だけ止まる。
「……伯爵家の」
「なら、私の前で“当主側”を出すな」
セドリックが口を閉じる。
(レナート、そういう所は強い)
レナートは袋を示す。
「封が荒い」
セドリックは即答した。
「急いでいました。記録の整合を――」
整合。
便利な言葉。
俺は小さく言う。
「急いだなら、線が揺れる」
誰にも聞こえないくらいの声。
でも、レナートには聞こえたらしい。
「診療助手。見たことだけ言え」
俺は短く言った。
「刃の線がある。開けて閉じた痕」
セドリックがすぐに言う。
「そんなことはしていません」
レナートは淡々と返す。
「していないなら、調べれば済む」
レナートは袋を開けない。
封の外側から、匂いと粉の付着を確認するように指示する。
研究員が小皿に粉を落とす。
甘い匂い。
でも、前回より薄い。
(同じ系統)
レナートが淡々と言った。
「毒の痕跡がある」
セドリックの顔色が変わる。
「……それは、婚約者が持ち込んだものです」
「だから封をした」
「私は正しく――」
レナートは遮らない。
遮らずに、淡々と続ける。
「正しいなら、なぜ開けた」
セドリックが詰まる。
「……開けていません」
レナートが言う。
「なら、封蝋の線は何だ」
沈黙。
沈黙は答えに近い。
俺は内心で息を吐く。
(毒事件、まだ終わってねぇ)
でも今日は暗くしない。
俺は心中で付け足す。
(終わってないのに、お茶会は来るんだろうな)
その予感は、当たる。
廊下の向こうで、伯爵夫人の明るい声がした。
「ロウー! いるのー?」
(来た!!)
レナートが一拍置かずに言った。
「診療助手、紙を持て」
「え、今?」
「奥方様が来る。話を終わらせる」
終わらせる、じゃない。
“切り上げる”だ。
俺は笑いそうになる。
この人、感情は薄いのに、状況判断だけやたら速い。
俺は紙束を抱え直した。
「……はいはい」
伯爵家の問題も、毒事件の後始末も、まだ続く。
その上で――
奥方様のお茶会攻撃も続く。
この屋敷、戦場の種類が多すぎる。




