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少年ロウの観察事件簿  作者: ちわいぬ
第三章 伯爵夫人の帰還

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第19話 お茶会は戦場

伯爵夫人は、朝から元気だった。


屋敷の空気が少し明るくなったのは間違いない。

その明るさが、俺に向くまでは。


「ロウ!」


廊下の向こうから、聞き慣れた弾んだ声。


(来た)


俺は反射で壁に寄る。

逃げ道を確保するのは訓練の癖だ。


でも逃げ道の先に、レナートが立っていた。


薄い声。無表情。

そして、いつも通りの硬さ。


「奥方様」


伯爵夫人がにこにこ寄ってくる。


「ねえ、ロウをお茶に呼びたいの。いいでしょう?」


いいでしょう、が命令に近い言い方だ。


俺は小さく息を吐く。


(お茶会=捕獲)


レナートは淡々と言った。


「本日は不可です」


伯爵夫人が目を丸くする。


「どうして?」


「診療所の記録が残っています」


「記録なんて、お茶の後でも――」


「お茶の後は夕方になります」


「夕方でも――」


「夕方は物品の点検です」


伯爵夫人が頬を膨らませる。


「あなた、ロウの予定、全部知ってるのね」


(変な方向に行くな)


俺は黙ってる。

黙ってると勝手に話が進む。


伯爵夫人は俺を見て笑った。


「ロウ、来たい?」


来たいって聞き方がずるい。

俺が断れば、俺が悪い。


俺が返事を探している間に、レナートが淡々と言う。


「本人に選ばせる必要はありません」


「今日は仕事です」


(助かった)


助かったけど、言い方が硬い。


伯爵夫人がくすっと笑う。


「あなた、ほんとに堅いわねえ」


堅いまま、レナートは話を切る。


「奥方様。土産話は夜に伺います」


夜に伺う。

つまり、今は引き取れ、ってこと。


伯爵夫人は納得しない顔をしながらも、引ける人だ。


「分かったわ。じゃあ夜ね!」


そう言って去っていく。


俺は小声で言った。


「……助かった」


レナートは歩きながら淡々と返す。


「当然だ」


(当然じゃない)


でも言わない。



診療所は、いつも通り忙しい。


毒事件の後始末が残っている。

検査結果の整理。

婚約者の供述の写し。

女の体調記録。


俺は紙束を抱えて、記録室へ向かった。


「診療助手」


帳簿係が声をかける。


(またか)


「何だ」


「毒の件、上から確認が入っています」


上。

誰の上だ。


「“上”って誰だよ」


帳簿係が一瞬、言い淀む。


「……当主側の、書記です」


(当主側)


まだ動いてる。


俺は紙束を抱え直す。


「何を確認したい」


帳簿係が言う。


「婚約者が持ち込んだ薬袋の扱いです」


(薬袋)


「処分は規定通りに?」


「はい。ですが――」


帳簿係が声を落とす。


「薬袋が“薬庫の規定”に触れる可能性が」


(繋がった)


毒事件が、薬庫の穴に繋がる。


俺はレナートを見る。


レナートは、俺を見ずに言った。


「薬袋を見せろ」


(相変わらず即断)


記録室に入ると、封をされた袋が机に置かれていた。


封は伯爵家のもの。

でも、封蝋の縁が妙に荒い。


(またかよ)


俺の頭の奥が切り替わりかける。


でも、今日は沈めない。

沈めると疲れる。


俺は小さく呟く。


(この家、封蝋に恨みでもあんのか)


レナートが淡々と言った。


「触るな。まず見る」


俺は頷く。


「見てる」


レナートは袋の封を確認してから、帳簿係へ言う。


「この封は誰がした」


帳簿係が答える。


「当主側の書記です。記録室へ回す前に」


(当主側の書記が封)


危ない。

証拠を触れる立場にいる。


レナートは薄い声で言った。


「書記の名」


帳簿係が言う。


「……セドリックです」


(名が出た)


レナートは淡々と続ける。


「セドリックを呼べ」


帳簿係が慌てて動く。


俺は袋を見た。


封蝋の削れ方が、昨日までの“爪”とは違う。

今回は細い線がある。


(刃だな)


でも断定しない。

見てるだけ。



セドリックはすぐに来た。


顔は薄い。

表情も薄い。

喋り方だけ丁寧。


「レナート子爵。お呼びでしょうか」


レナートは淡々と言う。


「薬袋の封をしたな」


「はい。規定に従い――」


「規定は誰の規定だ」


セドリックが一瞬だけ止まる。


「……伯爵家の」


「なら、私の前で“当主側”を出すな」


セドリックが口を閉じる。


(レナート、そういう所は強い)


レナートは袋を示す。


「封が荒い」


セドリックは即答した。


「急いでいました。記録の整合を――」


整合。

便利な言葉。


俺は小さく言う。


「急いだなら、線が揺れる」


誰にも聞こえないくらいの声。


でも、レナートには聞こえたらしい。


「診療助手。見たことだけ言え」


俺は短く言った。


「刃の線がある。開けて閉じた痕」


セドリックがすぐに言う。


「そんなことはしていません」


レナートは淡々と返す。


「していないなら、調べれば済む」


レナートは袋を開けない。

封の外側から、匂いと粉の付着を確認するように指示する。


研究員が小皿に粉を落とす。


甘い匂い。

でも、前回より薄い。


(同じ系統)


レナートが淡々と言った。


「毒の痕跡がある」


セドリックの顔色が変わる。


「……それは、婚約者が持ち込んだものです」


「だから封をした」


「私は正しく――」


レナートは遮らない。


遮らずに、淡々と続ける。


「正しいなら、なぜ開けた」


セドリックが詰まる。


「……開けていません」


レナートが言う。


「なら、封蝋の線は何だ」


沈黙。


沈黙は答えに近い。


俺は内心で息を吐く。


(毒事件、まだ終わってねぇ)


でも今日は暗くしない。


俺は心中で付け足す。


(終わってないのに、お茶会は来るんだろうな)


その予感は、当たる。



廊下の向こうで、伯爵夫人の明るい声がした。


「ロウー! いるのー?」


(来た!!)


レナートが一拍置かずに言った。


「診療助手、紙を持て」


「え、今?」


「奥方様が来る。話を終わらせる」


終わらせる、じゃない。

“切り上げる”だ。


俺は笑いそうになる。


この人、感情は薄いのに、状況判断だけやたら速い。


俺は紙束を抱え直した。


「……はいはい」


伯爵家の問題も、毒事件の後始末も、まだ続く。


その上で――


奥方様のお茶会攻撃も続く。


この屋敷、戦場の種類が多すぎる。

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