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少年ロウの観察事件簿  作者: ちわいぬ
第三章 伯爵夫人の帰還

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第18話 名の重さ

解毒は、間に合った。


それだけで、診療所の空気は少しだけ緩む。

少しだけ、だ。


貴族の女は眠っている。

呼吸は安定し、脈も落ち着いた。


――助かった。


でも、助かったから終わり、にはならない。



検査室の外。


婚約者だった男は、椅子に座らされていた。

縄はない。

でも、逃げられない位置にいる。


逃げ道を計算されている、という顔。


バルドが立っている。

静かに。

圧だけで。


レナートは男を見下ろす。


視線だけで。

声は薄い。


「毒の名を言え」


男が笑おうとして、失敗する。


「……名医の伯爵家でも、分からないのですか」


(まだ粘る)


レナートは返さない。


代わりに言った。


「診療助手」


(来た)


俺は一歩、半歩の位置を保ったまま言う。


「粉は甘味で包んでる。長く使うやつ」


「即効性じゃない。体弱いの、利用してる」


男の喉が鳴る。


(当たり)


レナートが淡々と続ける。


「体調不良を“元から弱い”で誤魔化せる」


「婚約を理由に、接触頻度を増やせる」


「医療に明るいという設定で、針も使える」


一つずつ積み上げる。

逃げ道を消す積み上げ方。


男が叫ぶ。


「私は彼女を愛している!」


愛。


ここで出す言葉だ。


伯爵夫人が、少し離れた場所で眉を寄せる。


「……愛、ですって?」


声が低い。

怒りではない。失望だ。


レナートは感情を乗せない。


「愛しているなら、命を賭けるな」


男が言い返す。


「家のためだ! 彼女が当主になれば――」


(出た)


家。

派閥。

伯爵家内部の問題と、同じ匂い。


レナートの声が、ほんの僅かに低くなる。


「誰の家だ」


男は口を噤む。


言えない。


レナートが淡々と告げる。


「伯爵家の診療所で、毒を使った」


「その時点で、お前の言い分は終わっている」


男の肩が落ちる。


伯爵夫人が一歩、前に出た。


「……あなた」


優しい声。

でも、刃を含んだ声。


「その方が亡くなっていたら、あなたはどうしたの?」


男は答えない。


答えられない。


伯爵夫人は静かに言った。


「連れて行って」


バルドが頷く。


「承知しました」


男は連れて行かれる。


泣かない。

叫ばない。


一番みっともない形で、静かに消えた。



夜。


診療所の灯りが落ちる。


廊下に残るのは、必要な人間だけ。


俺は客間へ戻る途中、ふと足を止めた。


(終わった……のか?)


事件は一段落した。

でも、伯爵家の問題はまだ残っている。


伯爵夫人が戻ったことで、

屋敷の線は、確実に揺れている。




曲がり角で、レナートが立っていた。


珍しい。

人はいない。


「ロウ」


俺は足を止める。


「……何」



レナートは淡く言った。


「今日の件」


「お前の指摘がなければ、判断が遅れた可能性がある」


褒めてもいない。

責めてもいない。



ただ、事実を並べているだけだ。

俺は肩をすくめる。


「たまたま見えただけだ」


「たまたま、で済む回数じゃない」


レナートの言い方は相変わらず硬い。

硬いから、妙に信用できる。


「だから、しばらく同じ動きをさせる」


「同じ動き?」


「診療の同席と、記録」


「急に変えると、周囲が騒ぐ」


……ああ、屋敷の方の話か。


俺は小さく息を吐いた。


「面倒だな」


「面倒だ」


レナートは同意した。

それだけで、少し笑いそうになる。


「あと、奥方様だ」


来た。

俺は顔をしかめる。


「捕まった」


「捕まるな」


命令が雑だ。


「無理だろ。あの人速いぞ」


「速いのは止められる」



淡々としてる。

淡々としてるから、逆に怖い。


「無駄に失礼が出ると、配置の話が再燃する」


「お前は余計なことを言うな」


「私は余計なことを言わせない」



理屈。

理屈しか言わない。


だから、今はそれでいい。

俺は短く答えた。


「……はいはい」


「返事が軽い」


「生きてる証拠だ」


レナートは少しだけ間を置いた。


「……それでいい」


そう言って、先に歩き出した。


俺は半歩後ろに戻る。

この屋敷での“安全な位置”が、まだよく分からない。


でも――少なくとも今は、レナートの指示に従っていれば死なない。


それが、俺にとっての十分な理由だった。

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