表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
少年ロウの観察事件簿  作者: ちわいぬ
第三章 伯爵夫人の帰還

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/26

第13話 帰還の知らせ

伯爵夫人の話は、屋敷の中では“天気”みたいに扱われる。


口にすると空気が変わる。

だから皆、なるべく言わない。


言わないけど、動きは出る。



翌朝。


診療所の廊下で、使用人が二人、布の束を抱えて走っていた。

走るのは規定違反だ。

でも、走っている。


「何だよ」


俺が呟くと、通りすがりの下働きが小声で言った。


「奥方様が戻られるんだって」


(奥方)


伯爵夫人。


旅行中で不在。

その不在が、屋敷の均衡の一部だった。


戻るなら、均衡が崩れる。


(……面倒)


俺は半歩後ろの位置を思い出す。

あの位置は、レナートが作った線だ。


線が崩れた時、俺は一番最初に弾かれる。



「ロウ」


レナートの声がして、俺は振り返る。


レナートはいつも通りだ。

薄い声。無表情。

でも、足音がほんの少しだけ早い。


「来い」


「……はい、子爵様」


廊下に人がいるから、俺はそう言った。


レナートは診療室へ向かう途中で、淡く言う。


「伯爵夫人が戻る」


言った。


珍しい。

必要な情報だからだ。


「いつ」


「三日後」


(三日後)


俺の頭の中で、いくつかの線が立つ。

•子ども好き

•レナートは近づけない

•俺は“触りやすい”

•触られたら、屋敷の噂が増える

•噂が増えたら、“配置”が再燃する


(終わってねぇ)


俺が黙っていると、レナートが続けた。


「お前は近づくな」


(……は?)


俺は思わず言い返しかけて止めた。

廊下だ。


「……はい、子爵様」


レナートは振り返らない。


「命令だ」


淡い声。

でも、命令。


(救出の匂い)


俺は腹の奥が少しだけ熱くなる。


助かる。

でも、腹が立つ。



昼前。


帳簿係が診療室に来た。


「レナート子爵。奥方様の部屋の準備について――」


レナートは淡々と答える。


「伯爵に確認しろ」



帳簿係が言う。


「奥方様が戻られると、診療所の運用にも影響が」


「影響は把握している」


薄い声で切る。


帳簿係は俺を一瞬見る。


(まただ)


札を見る目。

出自を見る目。


帳簿係が言った。


「診療助手についても……奥方様は、子どもに心を寄せられます」


(寄せる)


言い方が綺麗すぎる。

つまり、問題提起。


レナートは淡く言った。


「必要な時だけ動かす。それ以上はない」


帳簿係は引き下がった。


でも、目が言っている。


“奥方様の前では通用しませんよ”と。



午後。


俺は物品室で包帯の束をまとめていた。

そこへ、年配の侍女が入ってきた。


背筋がまっすぐ。

柔らかい顔。

でも目が鋭い。


「あなたが診療助手?」


(来た)


俺は顔を上げる。


「……そう呼ばれてる」


侍女は微笑んだ。


「奥方様がね、子どもがいると聞けば必ず会いたがるの」


「レナート子爵は、ああいうお方でしょう」


「だから……奥方様は、嬉しいのよ」


(レナートがあの性格だから)


確かに。

伯爵夫人が可愛がれる余地がない。


だから、俺に来る。


侍女は続ける。


「奥方様は優しい。あなたを守ろうとなさる」


(守る)


守る、は危ない。


守る者が増えると、奪う者も増える。



俺は短く言った。


「会わない」


侍女が驚く。


「まあ……どうして」


俺は言う。


「俺が目立つと、面倒が増える」


侍女はふっと笑った。


「賢い子ね」


その言葉が、嫌だった。

賢い子は、都合よく使われる。


侍女は声を落とす。


「でもね。奥方様の前で断るのは難しいわ」


(だろうな)


俺は息を吐いた。



夕方。


廊下の角で、俺はレナートを見つけた。


人がいない。

俺は小さく言う。


「レナート」


レナートの目が僅かに動く。


「何だ」


俺は言った。


「侍女が来た。伯爵夫人が俺に会いたがるって」


レナートの足が止まる。


顔は動かない。


でも、空気が冷える。


「……誰だ」


「年配の侍女。背が高い。目が鋭い」


レナートは淡く言った。


「分かった」


俺は言った。


「会わない方がいいだろ」


レナートは一拍置く。


「会わせない」


短い。

命令みたいな断言。


俺は少しだけ腹が立った。


「俺の意思は」


レナートの声の温度が、ほんの僅かに下がる。


「お前の意思で動けば、屋敷はお前を切る」


「切らせないために、私が線を引く」


理屈。


でも理屈の中に、救出がある。


俺は小さく舌打ちを飲み込んだ。


「……わかったよ」


レナートはそれ以上言わない。

言わないけど、歩き出す前に一つだけ言った。


「三日後まで、私の視界から外れるな」


俺は一瞬、言葉を失う。


(視界)


今までそんな言い方はしなかった。

レナートは、いつも通り薄い声で言っただけだ。


「事故が増える」


最後に理屈を付ける。

付けるのが癖だ。


でも俺は分かった。


理屈の形をした言葉の下に、

別のものが育ってきている。


伯爵夫人の帰還は、

屋敷の穴を揺らす。


そして――


レナートの“管理”の形も、揺らす。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ