第12話 配置転換
事件は、表向きには落ち着き始めていた。
封印箱。
補助鍵。
立会いの偽装。
穴に名前が付いた。
規定で塞ぐ準備も整った。
――だからこそ、次は“正しい手”で来る。
正しい手は、反論しづらい形で刺してくる。
⸻
午後の回診が終わった頃、帳簿係が廊下で立ち止まった。
「レナート子爵。会議室へ」
声が硬い。
公の呼び方。
俺は半歩後ろのまま、息を吐く。
(来た)
レナートは表情を変えない。
「診療助手は?」
帳簿係が一瞬だけ迷う。
「……同席を」
レナートが言う。
「同席の理由を」
「配置の議題です」
(配置)
俺の胸の奥が少し冷えた。
⸻
会議室。
中には、ハロルドと帳簿係、薬庫番、若い研究員が一人。
それと、伯爵が座っていた。
伯爵の視線が俺に落ちる。
秤の目。
でも今日は、測り方が違う。
(俺じゃなくて、札を見てる)
レナートが一礼する。
「閣下」
伯爵が言う。
「レナート」
短い。
帳簿係が紙を開いた。
「規定改定に伴い、診療助手の配置を整理いたします」
(整理)
綺麗な言葉だ。
人を動かす時の言葉。
帳簿係が続ける。
「診療助手は、研究棟と診療棟の連絡を担いますが――年齢と出自を鑑み、患者対応区域から外す案を」
(外す)
俺は黙った。
言い返したら、負ける。
“子どもが口を出した”になる。
レナートが淡く言った。
「根拠は」
帳簿係が用意していた紙を差し出す。
「家紋家の苦情です。『身元不明の子どもが同席している』と」
(苦情)
正しい。
貴族はそう言う。
薬庫番が口を挟む。
「子爵様、現場は助かっています。事故を――」
帳簿係が遮る。
「助かっている、では規定になりません」
(規定)
正しい。
正しい言葉は、痛い。
レナートは紙を受け取らない。
視線だけで読んで、言った。
「では、提案はどこだ」
帳簿係が続ける。
「診療助手は、洗濯・滅菌・物品管理側へ移す。患者区域への同席は、原則禁止」
(洗濯室)
俺の胸が少しだけ締まる。
(また狙ってる)
洗濯室の女。
あの線。
偶然じゃない。
ハロルドが低く言った。
「……合理です。衝突を避けられる」
レナートがハロルドを見ないまま言う。
「衝突は避けられる。事故は増える」
帳簿係が言った。
「事故は記録で防げます」
レナートの声の温度が、僅かに下がった。
「記録は、起きた後だ」
「起きる前を止めたのが診療助手だ」
言い切る。
でも、これもまだ“理屈”だ。
理屈で戦ってる。
伯爵が言った。
「レナート。お前の意見は分かった」
場が止まる。
伯爵が続ける。
「配置は決めねばならん」
レナートが言う。
「閣下。診療助手を外せば、再発します」
伯爵が言った。
「再発の責任は誰が負う」
レナートが即答する。
「私が」
伯爵が言う。
「なら、配置の責任も負え」
(来た)
伯爵は“判断”をレナートに投げた。
守るなら、守る形を出せ、と。
帳簿係が言う。
「閣下。規定上――」
伯爵が言った。
「黙れ」
氷。
帳簿係の口が閉じる。
伯爵がレナートへ言う。
「レナート。診療助手をどう置く」
(答えろ)
レナートは少しだけ沈黙した。
長い沈黙じゃない。
でも、いつもより長い。
俺は分かった。
(理屈が足りない)
“出自が不明の子ども”
この一点を、規定で覆すのは難しい。
レナートが淡く言った。
「……私の管理下に固定します」
帳簿係が息を呑む。
「固定、とは――」
レナートが遮る。
「診療助手は、私の直属とする」
「患者区域同席は、私が必要と判断した場合のみ」
「それ以外は、記録と物品側で動かす」
(折衷)
でも、最後の線が違う。
“誰でも動かせる配置”じゃなく、“レナートの許可”にした。
――つまり、勝手に取り上げられない。
帳簿係が言った。
「それでは、子爵様の負担が――」
レナートの声がさらに冷える。
「負担は私の仕事だ」
伯爵が短く言った。
「よい」
決定。
会議室の空気が、わずかに戻る。
戻った瞬間に、ハロルドが言った。
「子爵様。では診療助手は、日常は物品側で」
レナートが淡く言う。
「洗濯室には入れない」
(刺した)
ハロルドの目が僅かに動く。
レナートが続ける。
「洗濯室は穴があった。予備鍵が出た」
「穴を塞ぐまで、出入りは禁止」
誰も反論できない。
“規定”の言葉で、逆に縛った。
俺は息を吐いた。
(守った)
でも守り方が、救出だ。
伯爵が言う。
「診療助手」
俺は背筋を固くする。
伯爵が言った。
「お前は、そこで立っていろ」
命令。
でも、追放じゃない。
俺は短く答えた。
「分かった」
⸻
会議が終わって廊下へ出る。
人がいる。
俺は短く言った。
「……子爵様」
レナートは歩きながら、淡く返す。
「何だ」
「洗濯室に回されると思った」
レナートは振り返らない。
「回さない」
「……俺、邪魔か」
本当は聞きたくなかった。
でも、口が出た。
レナートは少しだけ間を置いて言った。
「邪魔ではない」
それだけ。
それだけなのに、胸の奥が変に熱くなる。
俺は言った。
「なら、俺は――」
言いかけて止める。
(出ていく、って言ったら終わる)
レナートの声が、ほんの僅かに低くなる。
「勝手に決めるな」
薄い声なのに、圧がある。
俺は黙った。
レナートは続ける。
「お前が動けば、穴が増える」
「穴は、今塞いでいる最中だ」
理屈。
でも、その理屈の中に、俺が固定されていく。
(……外せない、ってことか)
⸻
その夜。
客間に戻る途中、俺はふと思う。
伯爵夫人は旅行中で不在だ。
もし帰ってきたら、どうなる。
子ども好きで、優しい人だと聞いた。
レナートの性格では近づけないから、俺に寄るかもしれない。
――その時、レナートはどうする。
今日みたいに、理屈で救うのか。
それとも。
まだ知らない。
でも、分かる。
レナートの“管理”は、少しずつ形を変えている。
道具の管理から、
欠けると困るものの管理へ。




