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少年ロウの観察事件簿  作者: ちわいぬ
第ニ章 洗濯室の視線

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第11話 穴の名前

予備鍵がある。

それだけで、話は変わる。


手癖の悪い使用人が一人いた、では終わらない。

仕組みがある。

仕組みを作った人間がいる。


レナートは、その場で言い切らなかった。


「分かった」


それだけ。

でも、その短さは、もう「決めた」の合図だ。



夕方。

診療所の裏廊下に、帳簿係が立っていた。


「レナート子爵がお呼びです」


硬い呼び方。

公的な場の合図。


俺は短く答える。


「……はい」



小さな会議室。

中には、レナートとバルド、帳簿係、薬庫番がいた。

そして――伯爵もいた。


空気が一段、重い。

伯爵の視線が俺に落ちる。


測る目。

でも今日は、秤の上で動かない。


レナートが一礼する。


「閣下」


伯爵が言う。


「レナート」


レナートは淡々と報告した。


「洗濯室から、封印箱に通じる補助鍵が見つかりました」


薬庫番が震える。


「そんなもの、私は知りません」


レナートが言う。


「知っていなくていい。規定の穴だ」


伯爵が短く言った。


「穴を塞げ」


「はい。今夜中に」


レナートは帳簿係へ視線を向ける。


「記録を出せ。鍵の台帳だ」


帳簿係が紙束を差し出す。


「二重承認の鍵は二本。補助鍵の記載はありません」


レナートが言う。


「記載がないものは存在してはならない」


伯爵が言う。


「存在した」


短い断定。


ハロルドが低く言った。


「……当主側の者が、規定改定前の慣習を残していた可能性があります」


レナートはバルドを見ない。

淡い声で切る。


「可能性ではなく、事実を出せ」


冷たい。


怒鳴らない。

ただ、温度が下がる。


ハロルドが口を閉じた。


伯爵が言う。


「洗濯室の女は」


レナートが答える。


「ミラは職務から外しました。供述は途中までです」


伯爵が言った。


「泣けば終わる」


「終わらせません」


レナートの返事は短い。


伯爵の視線が俺に落ちる。


「診療助手」


俺は背筋を固くする。


伯爵が言った。


「お前は何を見た」


レナートが先に言う。


「閣下。必要部分だけ話させます」


伯爵は頷かない。

否定もしない。


俺は、必要だけ言う。


「ミラの石鹸の匂いに、鉄が混じってた」


「鍵の匂いだ」


「あと――」


言いかけて、止める。


(言うと刺さる)


でも、ここは伯爵の前だ。


刺さっても、逃げ道がある。


俺は続けた。


「ミラは『閣下もそう思ってる』って言った」


空気が止まった。


伯爵の目が僅かに細くなる。


怒りの形。


レナートの声の温度が落ちる。


「……閣下の名を使ったか」


俺は頷く。


伯爵が言った。


「それは、誰かが言わせている」


レナートが言う。


「当主側です」


ハロルドの眉が僅かに動く。


レナートは続けた。


「ミラが言った。『当主側が』と」


伯爵は短く言った。


「ハロルド」


ハロルドが頭を下げる。


「閣下」


伯爵が言う。


「お前の管理下で起きている」


ハロルドは言い訳をしない。


「……はい」


伯爵が言った。


「名を出せ」


ハロルドが一拍置く。


「……オルガです」


(出た)


レナートは表情を変えない。

でも、空気がさらに冷える。


伯爵が言う。


「呼べ」


ハロルドが言う。


「承知しました」



オルガはすぐに連れて来られた。


顔は整っている。

声も整っている。


「閣下。お呼びでしょうか」


伯爵が言う。


「封印箱に触れた」


オルガは即答する。


「触れておりません」


レナートが言う。


「記録がない立会いは立会いではない」


オルガが言った。


「私は、閣下の名を守るために――」


その言葉が終わる前に、伯爵が言った。


「黙れ」


氷。


オルガの顔から血の色が引く。


伯爵が続ける。


「私の名を使うな」


「使うなら、命令書を出す」


「命令書がないなら、私の名ではない」


正しい。

逃げ道を全部塞ぐ正しさ。


オルガは唇を噛む。


「閣下……私は……」


伯爵が言った。


「お前は、誰のために動いた」


沈黙。


この沈黙で、答えは出る。


レナートが淡く言った。


「派閥だ」


伯爵が言う。


「派閥は要らない」


短い。


処分の言葉だ。


オルガが息を吸う。


「閣下……私は……」


伯爵が言った。


「私の前で、泣くな」


オルガの喉が詰まる。


伯爵は視線をレナートへ。


「レナート。処分を」


レナートが一礼する。


「承知いたしました、閣下」


ここで、レナートの“怒り”は見えない。


声も薄い。

顔も動かない。


でも、場の温度は落ち続けている。



会議室を出た廊下。


人がいない角で、俺は小さく息を吐いた。


(終わった……のか?)


レナートが言う。


「終わっていない」


(読まれた)


「予備鍵は穴の一つだ」


「穴を作ったのは、オルガ一人ではない」


俺は言った。


「ミラも駒か」


「そうだ」


レナートは淡く続ける。


「駒は捨てれば終わる」


「だが、捨てた瞬間に別の駒が出る」


俺は舌打ちを飲み込む。


「じゃあどうすんだよ」


レナートの声は薄い。


「穴に、名前を付ける」


「名前を付ければ、規定にできる」


(理屈の人間)


でも、その理屈は正しい。


俺は訊いた。


「穴の名前って何だ」


レナートが言った。


「“私物化”だ」


「研究成果を、家のものではなく、派閥のものにする」


「それが今の敵だ」


俺は半歩後ろを歩いた。


診療助手の札は、ただの札じゃない。


俺が見て、言うことで、

この屋敷の“穴”に名前が付いていく。


名前が付けば、塞げる。


――でも、名前が付いた瞬間、敵も形を持つ。


次は、もっと露骨に来る。

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