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あれだけ、廊下を走るなと小さい頃から諭され、育てられてきたのに、何十年も前に刷り込まれた習慣を捨ててしまっていたことに後悔するのは、1秒後。
バンッ
前を見ろ、曲がり角には気をつけろ、そんな言葉がぶつかりざまに、頭の中をめぐる。よろけた体に、何とか後ろ足を一歩出せば、ズルっと滑って、そのままお尻が床に打ち付けられてしまった。
「い゛っ……」
とんでもなくカッコのつかない言葉が口から飛び出て、衝撃が、いっきにやってくる。
「だ、大丈夫か?!」
視界の端で捉えた相手の足元は、よろめく様子もなく、そこにしっかりと立っているようで、私がぶつかったぐらいではぶらつかない体幹の良さが伺えた。
こんなことをやってしまって何をやってるんだと、顔に添えた手を、はがしながら、床にぶつけたところをさするように、手を当て、よろめかない人物への視線を移したときだ。
(二度あることは三度ある……)
物語の始まり、ゲームの冒頭、アクシデントと出会いの連続、当てはまりのよい言葉はいくらでも見つかりそうだ。これは、ますます自分の行動を呪うしかない。
(目の前にいるのは、ヒロインの幼なじみ、ロイだ……)
「ほら」
そう言いながら、手を差し出す姿は、さながら一つのスチルのようで、廊下の隙間から見える太陽が彼の鮮やかな赤い髪を照らしていたのだった。
(もう……なんで……)
手を取れるわけがない。ちがう、取りたくないのだ。どうして廊下を走ってしまったのか、カフェテリアから早く立ち去ろうとしてしまったのか、それまでの呪われた行動が頭の中を一気に過ぎ去っていった。
手を取らない、そう決めてから、床に手をつき、自力で体を持ち上げた。
「大丈夫です。ぶつかってしまい、すみません」
やんわりと断りを入れ、立ち上がりながら、目線をそらす。助けはいらないと伝わったのか、差し出されていた手はゆっくりと本人の方へ戻っていった。同級生だと知っているのはあくまでも過去の私で、親近感を画面越しに感じていたのは今の私ではない。よそよそしい態度を取らねば、おかしいはずだ。
「いや、よく見てなかったオレも悪いし。本当に、大丈夫か?思いっきりコケてたけど……」
戻した手はどこかまだ助けようとしている素振りで、心配そうな表情を浮かべながら、私のほうを見ている。
「はい。走ってた私が悪いので……お気遣い、ありがとうございます。」
軽くお辞儀をして、他人行儀になるように、できる限り言葉を選んで、お礼を述べる。
そうか……と、まだ心配そうな声が聞こえる。
そんな声を無視して、パンパンと、スカートについたであろうほこりをはたき、「失礼します」とつげて、もう一度お辞儀をして、その場を離れた。
今度こそ、相手にはぶつからない程度に、前を見てぶつからないように、その場を離れることを優先して、教室へと急いだ。
***
教室について、席につく。昼休みは半分を過ぎたところで、教室に帰ってきている生徒は半分いるかいないかというところだった。
(本当に、ゲームは始まってない、よね)
私がヒロインなわけあるまいし。太古の魔術を発動したわけでもないし。そうは思いながらも、ゲームで出会った彼らを目の前にして、自分の記憶が曖昧なこともあって、何が何だかわからなくなってしまった。
ゲームには絡まない。ましてや、物語の背景にも登場しない。そんな気持ちで、数日を過ごしてきたけど、もし関わってしまったら、何が起こるんだろう……。
(物語の崩壊?)
いや、まさか……。崩壊したら、この世界にはいられなくなる、かもしれない。そもそも、私はこの世界の住人でもない。ならば、崩壊も構わない?
(よくわかんない)
何が正解なのか、私に役割はあるのか、ないのか……放置しようと、関わろうと、それは全く関係がないことなのか。崩壊したら、元の社会人に戻るのか――。
カバンから図書室で借りた本を取り出して、開いてみるけど、先に進むはずもなく。宛のない暗闇の中を彷徨うように、解決の糸口を見つけられないまま、昼休みが終わりをつげた。




