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第7章:エリスのその後――平和という名の戦場


 エリスが最後に剣を握ったのは、二年前のことだった。




 魔王軍との最終戦。その日、彼女は誰よりも冷静に、誰よりも静かに刃を振るった。








 だが、彼女の剣は、あの戦いで折れた。




 仲間のアルベルト。重装の騎士だった彼は、最後の戦いで自ら盾となって倒れた。




「生きて、見届けてください」――それが彼の最期の言葉だった。




 その日から、エリスは“生き残ってしまった側”として、重たい時間を抱えるようになった。




 仲間を失った。




 戦う意味を、失った。




「世界の平和」を信じて剣を握ってきたが、平和は思っていたよりも空虚だった。








 だから、彼女は剣を置いた。




 エリスは最後の戦場を思い出す。魔王軍の猛攻の中、ガレンが彼女を庇い、規律を破って除隊処分に。「後悔はない」と彼は笑ったが、その眼差しに深い想いを感じ、エリスは胸が締め付けられる。「私が弱かったから」と自分を責め、ガレンを巻き込んだ責任から隊を辞めた。「もう誰も傷つけたくない」剣を納め、戦場を後にするが、ガレンの「生きててくれれば、それでいい」という言葉が心に残る。












「ヨガ、って知ってる?」




 ある日、市場で聞いた言葉だった。




 心と身体を繋ぐ術――。戦いのない世界で、何かに自分を繋ぎ止める方法。








 その夜、彼女は思い立って資格学校に願書を出した。




 人混みを避け、密かな学びの場で過ごす日々。




 武器を持たない日常に、最初は戸惑いもあった。








 だが――








「はい、深呼吸して……あなたは、今ここにいます」








 教えることは、思っていたよりも心地よかった。








 エリスはヨガのポーズを教える中、指先の正確さがガレンの剣さばきを思い出させる。戦場で彼が庇った時の眼差し、「ガレン、あの時私を信じてくれた」と呟く。生徒たちの笑顔に、「守るって、こういうことかも」と感じ、過去を少し許せる。「ガレン、ありがとう」。彼女は「次はもっと楽しくやろう」と笑顔で伝え、教室を後にする。








 最初は“教える”ことすらぎこちなかった。言葉が届かないのではないかと不安だった。




 だが、ひとりの少年が「先生の声、好きです」と呟いた日、何かが変わった。




 “戦いでなくとも、人の心に届く力がある”――そんな気がした。




 彼女の声は穏やかで、指先にはかつての剣士の精密さが残っていた。




 そして何より、生徒たちの笑顔が、彼女を少しずつ変えていった。




 ある日、運命は訪れた。




 彼は生徒だった。体を壊し、リハビリの一環で通ってきた男。




 無骨で、無精髭を生やし、無口で、だけど彼の瞳には深い優しさがあった。




 ある日、彼が私にポツリと呟いた。




 「先生、俺……ここに通えてよかったと思ってます」








 その言葉に、エリスは救われた。




 初めて“世界を救う”以外で、人のためになれた気がした。




 彼が笑うと、周りの生徒たちもどこか安心したように表情を緩めた。彼女の教室には、ほんの少しずつ“輪”が生まれていた。




 そして、気づいた時には恋に落ちていた。
















 結婚式は質素だったが、笑顔に満ちていた。




 剣も、魔法も、ドラマもない日常。けれど、それこそが本当の“平和”だった。








 ただ、夜になると夢に見ることがある。








 静かな夜。窓の外には月が浮かび、涼やかな風がレースのカーテンを揺らしていた。




エリスはヨガマットを丁寧に巻きながら、ふと窓辺に目をやる。








――かつて、自分も剣を握っていた。




 夜、急な物音に反射的に身構えてしまう癖。




 手のひらに染みついた、剣の重さの記憶。




 それでも彼女は、静かな日々を選び直していた。




 戦いは辛かった。でも、無駄ではなかった。命を賭けて守ったものの中には、自分の未来も含まれていたのかもしれない。




 あの頃は、毎日が戦いだった。




 笑いあった仲間たち。




 怒鳴りあった日もあった。




 少し干渉に浸っていた。なんだかくすぐったくて、エリスは自分でも驚くくらい優しい笑みを浮かべた。




 今は剣ではなく、ヨガマット。




 戦う日々ではなく、生徒たちの体調を気遣う日々。




 いつかまた戦いが訪れたとしても、私はもう、かつてと同じ剣は振れないだろう。けれど――別の形で誰かを守れるかもしれない。




 愛する人と出会い、手を取り合いながら過ごすこの生活は、かつての戦場では想像もできなかった“穏やかな戦い”。




 月明かりに照らされながら、エリスはカーテンをそっと閉めた。




 ただ、風の向きが変わる夜がある。草の匂いの裏に、懐かしくも恐ろしい“鉄の匂い”を感じることがある。




 ――まだ、終わっていないのかもしれない。




 夜、エリスは夫に「昔、ガレンって男が私を庇って隊を追われた。きっと私を好きだった」と呟く。夫は「その人は君を強くしてくれたんだね」と笑う。「彼のおかげで、今ここにいられる」夫の手の温もりに過去の傷が薄れ、「この戦場を戦うよ」と微笑む。月を見上げ、ガレンへの感謝を胸に、エリスはカーテンを閉める。




 そして今夜も、静かに眠りにつく。




 平和という名の、戦場を戦い抜く者として。







➡8章へつづく





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