第15章. ルナ、克服と覚醒(初めて自分の魔法に自信を持つ)
その夜、冷たい霧が辺りを包んでいた。
森の奥に設営されたキャンプ。薪が湿っているのか、焚き火は弱々しく、ルナの指先を温めるには力不足だった。
ミャウコとガレン、テオは既に眠っていた。
ガレンの低い寝息がテントから漏れ、テオは毛布にくるまって小さく呻いていた。ミャウコは焚き火のそばで丸まり、尻尾が時折ぴくりと動く。ルナは彼らをちらりと見た。今日の戦闘で、ガレンは彼女の失敗を咎めず、テオは「次、頑張れよ」と肩を叩いた。仲間がいるのに、なぜか心は孤独だった。ルナは魔導書を抱きしめ、焚き火の弱い光を見つめた。
けれどルナの目は冴え、魔導書を膝に乗せたままじっと考え込んでいた。
ふと、あの夜のことを思い出した。魔法学校の寮、誰もいない自習室。夜中の2時を過ぎても灯りを消さず、ひとりで呪文の練習を続けていた。眠気と焦燥にまみれて詠唱を繰り返し、失敗しては頬を叩いた。「みんなに追いつくには、これしかない」と信じて。
でも結局、誰にも追いつけなかった。翌朝の授業でまた笑われるたびに、「努力は本当に報われるのか」と疑った。
(……また失敗した)
ルナは無意識に、首にかけていた小さなペンダントを握りしめた。魔法学校時代、初めて《ファイア・ボルト》を成功させた日に、母がくれたものだ。だが、その後の失敗続きで、ペンダントは彼女の不甲斐なさを嘲るように重くなった。「才能がないなら、努力で補いなさい」と母は言ったが、努力すら報われなかった。あの日、教室で詠唱を間違え、机を焦がした時の嘲笑が、今も耳に残る。ペンダントを握る手が震え、ルナは目を閉じた。
今日の戦闘。彼女の放った《フレイム・ジャベリン》は、敵にかすりもせず、逆に木を燃やしただけだった。消火のために魔力を浪費し、結局最後まで足を引っ張った。
(どうして、私は……)
ルナは魔法学校のことを思い出す。
自分だけが基礎魔法の詠唱速度が遅く、発動も不安定だった。周囲の嘲笑。教師の落胆した目。
“魔導士には向いてない”というレッテル。
ルナの脳裏に、魔法学校の教師の冷たい声が蘇った。「ルナ、君の詠唱は遅すぎる。魔力の制御も雑だ。魔導士は才能の職業だ。君には……他の道を探した方がいい」教壇からの視線は、まるで彼女の存在を否定するようだった。 その日、ルナは寮の部屋で魔導書を閉じ、泣きながら誓った。「絶対、見返してやる」と。だが、独学で磨いた魔法は、今日も失敗に終わった。教師の言葉は、今も彼女の心に棘のように刺さっていた。
■魔法の才能を諦めた日
それでも、魔法が好きだった。
諦めきれなかった。だから中退後も独学を続けた。攻撃魔法に絞って勉強し、少しずつ身につけた。だが、心のどこかでは、まだあの日の声が響いていた。
「あなたには無理よ」
——それを、消し去りたかった。
「ルナ」
声がした。ミャウコだ。焚き火の向こう、あぐらをかいて目を細めていた。
「……眠ってたんじゃなかったの?」
「寒くて目が覚めたにゃ。あと、なんか……キミの心がざわざわしてて、つい」
「心がざわざわって……エスパー?」
「猫だからね♪」
ルナは小さく笑った。ミャウコのこの調子が嫌いではなかった。自分を評価しない代わりに、否定もしない。いつだって自由で、どこまでも無責任。
けれど、どこか温かい。
「魔法、うまくいかなかったんだ」
ルナは正直に言った。
「うん。知ってたにゃ」
「……」
「でも、それがどうしたにゃ?」
「どうしたって……!」
ルナは声を上げそうになって、ぐっと堪えた。
「私が、私自身を信じられないの。何度も練習したのに、本番で失敗する。何度も、何度も。……怖いの。次も失敗したらって思うと、手が震えるの。詠唱も乱れる。頭が真っ白になる」
「なるほどにゃ〜」
ミャウコはぽん、と膝を叩いた。
「じゃあ、こう考えるにゃ。“失敗しない魔法”じゃなく、“失敗してもぶっ飛ばす魔法”で行こう!」
「は?」
「つまりにゃ、自信なんて持たなくていい。“自分の魔法が好き”って気持ちだけで十分にゃ」
ルナは言葉を失った。
「……好き?」
「うん。ルナは、魔法が好きなんでしょ?」
「……うん」
「だったらさ、好きって気持ちでぶちかませばいいにゃ。上手くいかなくても、好きなものって捨てられないにゃ? だったら、それが“魔法使い”なんじゃないの?」
目から、何かが零れた。
涙だった。張り詰めていたものが、ついに崩れた。
教室の冷たい視線。教師のため息。間違えた呪文。誰も見ていなかった夜の練習。悔しくて、泣きたくても泣けなかった日々。
それが、ようやく涙になって流れた。
「……私、魔法が……ずっと、好きだった」
「知ってるにゃ」
ミャウコはそう言って、焚き火に薪をくべた。
火がぱちりと弾け、二人の影を赤く揺らした。
その翌日。
「私、もう一度信じてみたい」
そう呟いた言葉は、焚き火の残り火に吸い込まれていった。
やがて東の空が白み始め、鳥たちのさえずりが薄霧の中に響いた。
ルナはそっと魔導書を閉じ、立ち上がろうとした──そのときだった。
ふいに、胸の奥にざわりと何かが走った。
(……空気が……変わった?)
風が、止まっていた。
鳥のさえずりも、どこか不自然に途切れている。
森全体が、何かを“察している”ようだった。
ルナはすぐに魔導書を構え、周囲を見回す。
「……何か、来る……!」
その声とほぼ同時に、テントのジッパーが開き、ガレンとテオが飛び出してくる。
「ルナ?どうした!?」
「ちょっと待て、この気配……!」
ガレンの眉がぴくりと動いた。
「……風が止んでるな」
テオも周囲を見回しながら、顔をしかめた。
「なんか空気が重い……おかしいぞ、これ」
辺りの木々がざわめきを失い、まるで森全体が息を潜めているかのようだった。
「くるぞ。構えろ!」
森の奥から、低く唸るような咆哮が響いた。
空が曇り、地面がわずかに揺れる。
ガレンが剣を抜き、ミャウコが木の上に跳ね上がる。
──魔獣・ドレアグリフの襲来だった。
ドレアグリフの咆哮が森を震わせ、ガレンが剣を構えた。「ルナ、援護頼む!」テオが叫ぶが、ルナの手は震えていた。「私、また失敗したら……」その時、ミャウコが彼女の肩に飛び乗った。「ルナ、好きにやれにゃ! 私、信じてるから!」その言葉に、ルナの目が光った。ガレンが振り返り、静かに頷く。「お前の魔法、待ってるぞ」仲間たちの視線が、ルナの背を押した。彼女は深呼吸し、魔導書を握り直した。
胸元のペンダントが、そっと揺れた。
(お母さん……見てて)
脳裏に浮かんだのは、母が初めて自分の魔法を褒めてくれた日の笑顔だった。魔法の意味、努力の意味、そのすべてが、この一瞬に重なる。
ルナは目を閉じ、魔導書のページをなぞる。そこには何度も繰り返し読み、書き込みを重ねた詠唱の文字。「自分の言葉にするまで、誰にも負けない」そう誓った夜を思い出す。
恐怖はまだあった。だが、その奥に、魔法への愛が確かに燃えていた。
「聞け、大気よ。燃え盛る我が意思を!」
「《紅蓮爆雷・エクスプロージョン・オメガ》!」
——その瞬間、空が赤く染まった。
雷と炎が交差し、咆哮をあげて魔獣を飲み込んだ。
爆炎が収まり、ルナは呆然と立ち尽くした。自分の手から放たれた魔法が、こんな力を秘めていたなんて。胸の奥で、何かが弾けた。「私……やれた……!」恐怖も、失敗の記憶も、今は遠く感じられた。魔導書を抱きしめ、ルナは笑った。
力が抜け、膝が少しだけ震えた。今までで最大の魔法。その代償は大きかった。
けれど、心は軽かった。もう、失敗を恐れる自分はいなかった。
詠唱の最後まで、自分の声がブレなかったこと。それが、何より嬉しかった。
初めて、自分の魔法が自分を裏切らないと信じられた。ペンダントが胸で揺れ、母の声が聞こえた気がした。「努力は報われるよ」ルナは空を見上げ、涙を拭った。魔法が好きだ。その気持ちが、彼女をここまで連れてきた。
テオが呆けたように呟く。
「……なんだ今の……!?ルナの、魔法……?」
ガレンは……言葉を失っていた。
爆炎の消えた空を、ただ見上げる。
全身に、鳥肌が立っていた。
畏怖——それは、理屈を超えた感覚だった。
仲間の放った一撃が、自分の想像を遥かに超えていたのだ。
静かに、口元だけがわずかに笑みを浮かべる。
微笑とも、苦笑ともつかない曖昧な表情。
「……あいつ、本当に化けたな」
その声には、驚きと称賛、そしてわずかな恐れが混ざっていた。
「あれが、本気になった時のルナだにゃ」
ミャウコは尻尾のように足を振りながら、ぽつりと言った。
「うん。やっぱ、好きってすごいにゃ♪」
➡16章へつづく




