第14章:再会、そして剣を置く日/静かな時間の中で
■戦士の重荷
ガレンは肩に担いだ剣の重さを、かつてないほどに感じていた。連日の戦闘で刃は欠け、柄は汗と血で黒ずんでいる。だが、真に彼を苛むのは、心の奥に沈む疲弊だった。
「せめて、修理くらいはしておかないとな……」
自分に言い聞かせるように呟き、ガレンは小さな街の鍛冶屋の扉を押し開けた。
「よう、兄ちゃん。戦士の匂いがプンプンするな!」
煤にまみれた職人が、歯を見せて笑う。目には、剣を愛する者の光があった。
「この剣を頼む。少し……いや、かなり無茶な使い方をした」
鞘から抜いた剣を差し出すと、職人は眉を寄せ、舌を鳴らした。
「こりゃひどいな。直せなくはないが、時間はかかるぞ。街でもぶらついてな」
職人が剣を炉に近づけながら、ふと顔を上げた。「兄ちゃん、こんな剣を握り続けて、疲れねえか? 俺が直した剣で、どれだけの血が流れたか……たまに考えるんだ。剣を置くって選択もあるぜ」ガレンは答えず、ただ目を逸らした。職人の言葉は、胸の奥に小さな棘を残した。
■予期せぬ囁き
鍛冶屋の助言に従い、ガレンは石畳の通りを歩き始めた。石畳を踏むガレンのブーツの音は、市場の活気に飲み込まれた。露店では商人が客と笑い合い、子供たちが果物を手に走り回る。だが、その喧騒の中で、ガレンは異邦人のように感じた。剣を肩に担ぐ彼に、通りすがりの女が一瞬怯えた視線を投げ、すぐに子を連れて遠ざかった。戦士の姿は、この平和な街ではまるで影のようだ。ガレンは唇を噛み、視線を落とした。かつては誇りだった剣が、今はただの重荷に思えた。
街は穏やかで、市場の喧騒や子供たちの笑い声が心地よく響く。ふと、露店の男たちが交わす会話が耳に飛び込んできた。
「聞いたか? この街に元・討伐隊の女剣士がいるってよ。今はヨガの先生やってるらしいぜ」
「ハハ、剣からヨガマットか! そりゃ大胆な転身だな!」
軽い笑い声が響く中、ガレンの足が止まった。
――エリス?
確信はない。だが、その名を聞いたわけでもないのに、彼女の面影が脳裏に浮かんだ。共に戦った日々、彼女の鋭い剣さばきと、静かな微笑み。
(まさか……いや、ありえない)
心のざわめきを抑え、ガレンは歩みを再開した。だが、通りを進むうち、ふと花の香りが漂う一角に差し掛かった。そこには、木製の看板が揺れている。「ヨガスタジオ・ソレイユ」と記されていた。
看板の下で、小さな女の子が花の冠を手に遊んでいた。ガレンの剣を見つけ、目を輝かせて近づいてきた。「おじさん、騎士なの? かっこいい!」無邪気な声に、ガレンは苦笑した。「騎士じゃないよ。ただの……旅人だ」「でも、剣持ってるじゃん! 悪いやつやっつけるんでしょ?」その言葉に、ガレンの胸が締め付けられた。悪いやつとは何か?戦う意味は?答えられないまま、彼は女の子の頭を軽く撫でた。「お姉ちゃんのヨガ、楽しいよ! おじさんも行く?」少女の笑顔が、ガレンの心に小さな温もりを灯した。
「若いの、肩こってそうな顔してるねぇ。ここで一汗流してみねえ?」
白髪の老婦人が、親しげに声をかけてきた。彼女の目は、ガレンの疲れた表情を見透かすようだった。
「いや、俺は……」
断ろうとした言葉が、喉で止まる。なぜか、足を踏み出す衝動が湧いた。
「……試してみるか」
■再会
スタジオの扉を開けると、木の床が小さく軋み、柔らかな音楽が耳に流れた。部屋は穏やかな光に満ち、参加者たちが静かに呼吸を合わせている。
エリスがポーズを直すため、年配の男性に近づいた。「肩、力抜いてね。戦うみたいに構えなくていいよ」と笑うと、男性は照れ臭そうに頷いた。「エリス先生のおかげで、夜ぐっすり眠れるようになったよ」と別の女性が呟き、部屋に小さなどよめきが広がった。ガレンはその光景に目を奪われた。戦場では仲間を鼓舞していたエリスの声が、今は人々の心を癒している。彼女の手には剣はない。なのに、かつての彼女よりも強い光を放っているように見えた。
前方でポーズを指導する女性の背中。長い髪をひとつに束ね、流れるような動きで呼吸を導くその姿に、ガレンの時間が止まった。
(……嘘だろ)
懐かしい。だが、どこか違う。戦場での鋭い眼光は消え、穏やかな光が彼女を包んでいる。
彼女が振り返った瞬間、目が合った。
「……え?」
「……エリス」
その名を呼ぶと、彼女の瞳が見開かれた。
「ガレン……?本当に、あなたなの?」
言葉は一瞬、宙に浮いた。だが次の瞬間、二人は自然と歩み寄っていた。抱擁ではなく、かつて生死を共にした者だけが共有する、静かな距離感で。
■過去と現在の交錯
街角のカフェで、二人は互いの今を語り合った。エリスは討伐隊を離れた後、戦いの日々に疲れ、資格学校でヨガを学んだという。今は、この小さな街で人々に穏やかな時間を提供している。
「この街の人たちはね、みんな何かしら抱えてるの。戦争の傷跡、家族との別れ、仕事の重圧……私、剣で守れなかったものを、今はここで守ってるつもりなの」エリスはカップの縁を指でなぞり、静かに続けた。「ヨガはただの運動じゃない。心の傷を癒す時間なの。ガレン、あなたも何か……守りたいもの、変わったんじゃない?」彼女の視線に、ガレンは言葉を失った。守りたいもの――その問いは、彼の心の奥に眠る答えを揺さぶった。
「剣を手放すのは、怖くなかったのか?」
ガレンの問いに、エリスはカップを手に、遠くを見るように微笑んだ。
「怖かったよ。剣は私の全てだったから。でも、戦うだけが人を守る方法じゃないって気づいたの。あの日々があったから、今の私がいる。だから、ガレン――もしあなたが剣を置くことを選んでも、それは弱さなんかじゃない」
彼女の言葉は、ガレンの胸に静かに響いた。窓の外では、夕陽が街を柔らかく染めていた。
(戦い続けることだけが、強さじゃない……)
かつての仲間との再会が、彼の心に小さな揺らぎを生んでいた。
■剣を見つめる夜
その夜、宿屋の薄暗い一室で、ガレンは剣を手に取った。刃に刻まれた無数の傷は、彼の戦いの歴史そのものだ。
剣の傷を指でなぞるガレンの目に、ふと幻が映った。討伐隊の仲間たち――笑い合い、傷を負い、倒れた者たちの顔。エリスが最後の戦いで剣を捨て、背を向けた瞬間も。彼女は言った。「ガレン、生きろ。戦うだけが人生じゃない」その声が、今も耳に響く。幻は消え、部屋の静寂が戻った。ガレンは剣を握り直したが、その手はわずかに震えていた。生きるとは何か? 剣を置くとは何か? 答えはまだ遠い。
「……俺は、いつまで剣を振るえばいい?」
呟きは、誰もいない部屋に溶けた。答えはまだ見えない。だが、心のどこかで――その時が近づいていることを、確かに感じていた。
14.5章. 静かな時間の中で
その日、ガレンとルナは2人で出掛けていた。ルナの新しい防御系の服を買うために街へ出てきたのだった。ルナの着ているロングのコートは魔法学校に入ったときに彼女の祖母から譲り受けたそうだ。また防御力が高く好んで着ていた。
パーティを組んでから連日の戦いで服が傷んできたこともあり、新しいのを買うことにしたという。
ルナが買う前に寄ってみたいところがあると言っていた。
「ここに1度行ってみたかったんだ」
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海の近くにあるCafe・sea side story。
俺は全然気が付かなかった。やっぱり女の子なんだなと思った。
海辺沿いの小さなカフェで、中に入ると静かなジャズの音楽が流れていた。店内には2人のスタッフとカウンターの中にオーナーらしき人がいる。オシャレな絵画や、アンティーク風のイス、テーブルが置いてある。
我々は海の見える方の席に座った。スタッフがテーブルの前に立っている。メニュー表を見ながらルナに「何を頼む?」と聞いてみた。
「う〜ん、ストロベリースムージーにしようかな?」
「じゃあ、俺は……カフェラテで。すいません、ストロベリースムージーとカフェラテお願いします」
スタッフが注文を聞き終えカウンターの奥のキッチンへ入って行った。
「今日は静かだな」
ガレンがポツリと呟く。
「うん、こういう時間、本当久しぶりかも」
ルナが海を見ながら応えた。
テラス席からは、波打ち際の反射光がゆらゆらと踊るのが見える。
「……爆発も悲鳴も、聞こえないしな」
ガレンは少し笑って、手元のコースターを指先でくるくると回している。
「でもまあ……たまにはこういう時間もいいな。頭の中、ぐちゃぐちゃにならないで済む」
「本当だよ。あたしたち、よく壊れなかったよね。パーティ組んでから、何回死にかけたっけ」
「もっとあるでしょ。あのオーガが何十体も出てきたときは本当に、人生終わったと思ったもん」
笑いながら、ふたりの間に少しだけ暖かい空気が流れる。
けれどそれはすぐ、少し陰を落とす話題へと移っていく。
「……ミャウコのこと、なんだけどさ」
ガレンの声が、少しだけ低くなった。
「この前の?」
ルナはそう聞きながらも、眉をひそめる。あの瞬間の空気を思い出していた。
「うん。いや、あの時……俺、本気で“終わった”って思った。敵も、味方も、全部が止まったみたいだった」
「……あの女と視線が合った瞬間、呼吸が止まった。怖いとか、そういう次元じゃなくて……」
ガレンは続ける。
「『このまま時間が止まって、世界が崩れる』って思ったよ。あれ、絶対人間じゃない」
「うん」
「それでも……ミャウコは、勇者なんだよな」
「そうらしいね。レベル1だけど」
ルナはふっと微笑んでみせた。
「でも、勇者が魔王を倒す。それは、この世界の“理”みたいなものでしょ?」
「だとしたら、俺たちは――その“理”のために動くピースか」
「うん。あたしたちが魔王を倒すんじゃなくて、あたしたちが倒せる“一瞬”を作るんだよね」
「その一瞬のために、どれだけ死ぬんだろうな、俺たち」
沈黙が落ちる。
波の音が、ひときわ強くなった気がした。
「……好きな人、いる?」
不意にルナがそう尋ねた。
あまりにも脈絡の無い質問に少し驚いたような表情で、少しだけ目を見開いて、それから目を逸らす。
「……ああ、いるよ」
視線をカフェラテに落としそう一言だけ告げた。
「……誰?……ミャウコ?」
「いや、違う」
笑って首を振る。
「あれはもう、そういう対象じゃない。“現象”だろ、あれは。地震とか、嵐とか。災害枠」
「ひどーい!」
でも、彼女は笑ってた。
「じゃあ……どんな人なの?」
少し考えてから、ガレンはぽつりとつぶやく。
「……凄く近くにいるのに、遠い人。いつもそばにいるはずなのに……心が追いつかないというか。俺、ちゃんと見れてるのかなって、たまに不安になる。……でも、その人のこと、もっと知りたいって思ってる」
ルナは一瞬だけ沈黙し、目を伏せた。
「……なんか、ちょっと分かるかも」
「ルナは?」
「うん。いるよ。……たぶん」
「たぶん?」
唐突にルナがガレンに質問した。
「ねえ、誰かのことを、助けたいとか、笑っててほしいとか思うときってさ、それって“好き”ってことなのかな」
ガレンは少しだけ考えたあと、こくりと頷いた。
「俺は、そう思うよ」
「そっか……なら、やっぱりいるかも」
そして、ルナは続ける。
「その人ね、戦ってるときはすごく頼りになるんだけど、たまに不意に寂しそうな顔をするの。まるで、自分だけ別の場所にいるみたいに」
「……」
「ちゃんと笑ってほしいなって、思う。だから、もっと知りたいなって」
ガレンはその言葉に、何も返さず、少しだけカップに口をつけた。
ジャズの曲が変わる。今度は、ゆっくりとしたピアノのメロディ。
「……もしこの戦いが終わったら、どうする?」
ルナの問いに、ガレンはしばらく考えて――ふっと笑った。
「それ、今まで考えたことなかった。でも、……そうだな。エリスがヨガ教室やってるって聞いて、なんか羨ましくなってさ。俺も、資格の学校でも行ってみようかなって」
「ふふ、ガレンがヨガとか想像つかない」
「いや、ヨガじゃなくて。なんか、普通の、地味な資格とか。生活指導士とか」
「似合わない~」
笑い合いながら、空が少しだけ橙色に染まってきた。
この戦いが、いつ終わるかは分からない。
希望はまだ遠く、絶望の気配が常に背後にある。
けれど、それでも。
「――いつか終わったら、ちゃんと伝えたいな。今言わないと、たぶん……ずっと言えない気がするから」
ガレンは、小さくそう呟いた。
ルナは何も言わず、ただカップを両手で包み込むように握りながら、頷いた。
遠く、波の音がひときわ高くなった。
――しばし静かな時だけが2人の間を流れていた。
➡15章へつづく




