第11章「テオ、ミャウコ教創設を決意」
■邂逅
生きる理由なんて、なかった。
テオはいつもそう思っていた。
教室の隅、黒板を引っかくチョークの音が遠く響く場所。
彼は黙って俯き、ノートに小さな魔法陣を描いていた。
誰にも話しかけられず、誰にも必要とされず、ただ毎日を“死なずに”過ごすだけ。
きっかけは些細なことだった。
テオが治癒魔法の授業で、誰よりも優れた才能を見せつけた日だ。複雑な傷を一瞬で癒し、教員さえ驚く完璧な回復術を披露した。テオの治癒魔法は、魔法学校の歴史でも稀に見る精度と力を持っていた。
だが、その才能はクラスメイトのエリート集団——特にリーダー格のエランを激しく苛立たせた。テオのような「地味で目立たない奴」が、自分たちを凌駕する才能を見せたことが、エランのプライドを粉々に砕いたのだ。
「お前、調子に乗ってんじゃねぇよ」とエランは吐き捨て、教室中に響く嘲笑を合図に、テオへの苛烈な攻撃が始まった。
ある日は、テオの鞄が窓から投げ捨てられ、校庭の泥だらけの水たまりに沈んだ。中には祖母が遺した古い魔導書が入っていた。ページは破れ、水に滲んで読めなくなった。
エランは笑いながら言った。
「お前の婆さんの呪いでも治せよ、な?」
別の日には、テオの上履きが燃やされた。魔法学校の工房で、誰かが故意に火炎魔法を「誤って」放ったのだ。靴は溶け、焦げた匂いが教室に充満した。教師はただ「事故だ」と片付け、テオに新しい靴を買うよう冷たく告げた。だがテオにはそんな金などなかった。
さらにエスカレートしたのは、休み時間にテオがトイレに閉じ込められたときだ。ドアの外からエランとその取り巻きが哄笑しながら、氷魔法でドアを凍らせ、テオを数時間閉じ込めた。凍える寒さの中、テオは震えながら壁に魔法陣を指でなぞった。誰も助けに来なかった。 やっと解放されたとき、エランはニヤリと笑い、
「お前、治癒魔法使えるんだろ?自分を治してみろよ」と言い放った。
極めつけは、テオの机に刻まれた言葉だった。鋭い刃物で削られた無数の傷。その中に、こう書かれていた。
「生きてる価値なし」
その文字を見つけた瞬間、テオの胸に突き刺さるような痛みが走った。クラス中がクスクス笑い、教師はまたしても見て見ぬふりだった。
魔法学校では、テオは治癒系の才能があると診断された。祖母譲りの血であり、誰よりもずば抜けた力を持っていた。
だが、その才能は彼を救うどころか、嫉妬と憎悪の的でしかなかった。努力を認める者など誰もいなかった。
「お前ってさ、何で生きてんの?」
エランのその言葉が、テオの耳にこだました。返す言葉はなかった。ただ、胸の奥で何か黒いものが蠢き始めていた。
ある日の帰り道、路地で肩がぶつかっただけで因縁をつけられた。
数人の男に殴られ、蹴られ、視界が赤く染まっていく。
「こいつだ!あの時のガキだろ!」
違う、違うと声を上げても、誰も聞いてくれなかった。
――意識が遠のき、彼は初めての死を体験した。
金色の光が彼を包んだ。
死後に発動する蘇生呪文。
かつて人違いで殺されかけたとき、偶然発動した術だった。
その日以来、彼の命には“猶予”があった。
死んでも、もう一度だけ蘇る力。
何度も死に、何度も蘇った。
理由はなかった。ただ「誰かの役に立ちたい」だけ。
だがそれも、やがて空虚に変わっていった。
――いつか、自分を絶対に肯定してくれる存在に出会いたい。
その願いだけが、何度死んでも胸の奥で消えなかった。
高校を中退し、都会に出た。
履歴書には何一つ誇れることがなく、行き着いたのはコンビニの夜勤だった。
乱雑に置かれた段ボールと、カビの匂いが染み付いたバックヤード。
壁には、シフト表だとか毎月の売上表、標語みたいなものも貼ってある。最初の仕事はバックヤードの整理だった。その後、レジ打ち、掃除、品出し、揚げ物の調理(といっても
冷凍食品をただフライヤーに入れるだけの単純作業)時給は800ゴールド、夜勤は850ゴールドで廃棄の弁当付き。
魔法の才能なんて、ここでは何の役にも立たない。
そんなある日、休憩中に見かけた一枚の張り紙。
『【勇者パーティ募集!】君の力で世界を救え!報酬100万G~!寮完備!食事付き!未経験者歓迎!』
ハローワークでは、「魔法なんて、実務経験がなきゃ意味ないですよ」と鼻で笑われた。
バイトの面接では「顔色悪いね、体力あるの?」と門前払い。
何をやっても、「存在していない人間」みたいだった。
ふざけた求人だった。
だが、テオは本気で応募した。
「どうせ死ぬなら、誰かの役に立って死のう」と。
■命題
そして運命の日――。
戦場は、異様な静けさに包まれていた。
さっきまで響いていた咆哮も、剣戟も、断末魔の叫びすらも、すべて闇に呑まれたかのように消えていた。
漆黒の女王――ブラッククイーンが立ち去った後の空気は、まだ氷のように冷たく、肌の奥に残る恐怖が抜けきらない。
その場にいた誰もが息を詰める中、ただ一人、ゆっくりと膝をついた者がいた。
回復魔導士テオ。
全身は汗と土で汚れ、呼吸は乱れ切っているのに、その瞳だけは異様なほど澄んでいた。
「……これは、啓示だ」
闇そのものをまとい、冷たい瞳で存在を消し去る絶対者――ブラッククイーン。
その圧倒的な死の気配が、静かに霧散していく。
そして残ったのは――。
焚き火の前で足を投げ出し、魚をもぐもぐ食べるミャウコの姿。
背後では、まだ地面が凍り付いたままだというのに、彼女の周りだけは不自然なほど暖かく、魚の香りが漂っていた。
耳に届くのは、「にゃふ〜」という間抜けな寝言だけ。
そのあまりの落差に、テオの胸の奥で何かが弾けた。
――この理不尽こそが、世界を救う。
全身を震わせながら、彼はミャウコの背を仰ぎ見た。
それは、長い暗闇の中で初めて見た、確かな救いだった。
「……これが……神……」
涙が止まらなかった。
あの時、心の奥でずっと待っていた存在に、ようやく出会ったのだ。
戦闘後、テオはノートを開き、震える手で記す。
――神の証明・第一条:無自覚の破壊。
――聖句・第一:「にゃふ〜」。
「ミャウコ様の無自覚こそ神性……俺が形にする」
ルナが呆れたように覗き込み、「ただの寝ぼけ!」と突っ込む。
だがテオは真剣な目で返した。
「無自覚なる神性を、俺が言葉と形にして広めるんです」
そして、高らかに宣言した。
「僕は“ミャウコ教”を創設します!」
「教団!?バカじゃないの!?」とルナは叫ぶ。
ガレンは肩をすくめ、「世の中、理屈じゃ動かねえこともある」と笑った。
■シンクロニシティ
その動きは偶然にも、世界に波紋を広げた。
吟遊詩人が歌にし、SNS魔導具で拡散。
パン屋の娘は猫耳型の焼き印を作り、老騎士は失った腕に寝言を刻んだ。
人々は理屈ではなく“何か”を求めていた。
《猫耳は神性の象徴か?》
《雌豹ポーズ教室が王都で開講》
疲れ切った世界に、奇妙な救いが芽吹き始めていた。
魔王軍や再調和評議会は警戒を強めた。
「猫耳勇者が物語を終わらせる……?」
夜、焚き火の前。
ミャウコは焼き魚をつつきながら言った。
「にゃふ……なんか最近、私の写真ばっか出回ってるにゃ〜。しかも“神性”とか“救世主”とか、意味わかんないにゃ」
ルナがぼそっと返す。「……全部、テオのせいよ」
「違います!僕は真実を記録してるだけです!」(教義は既に108条)
ガレンは笑い、「まあ、そういう時代なんじゃねえか?」
「よく分かんないけど、魚くれるなら、神でもいいにゃ♪」
こうして――。
誰にも止められない、この世界で最も無自覚で、最も無敵な宗教が誕生した。
だが、本格的に布教活動を始めるのはもう少し先のことである。
➡12章へつづく




