わたしの名前
天井から現れたのはミハル・オルタナティブ。
【影下分身】で生成したミハル――母さんの影人形である。
母さんが俺にキスをしたときに、母さんは俺に【MP交換】を発動し、俺は母さんの影に触れて【影下分身】を発動していた。
俺はMPの供給を受けると同時にミハル・オルタナティブを待機させていたのだ。
後はオークプリースト戦の時と同じ――
母さんの【一念化粧】によって床や壁の質感を偽装して、影を隠すことで、罪園へと迫るミハル・オルタナティブの姿を見えなくしていた。
罪園は勝利を確信している――この隙を突く!
ミハル・オルタナティブは罪園を拘束すべく、実体化して襲いかかる。
この機を逃さない。
俺は地面に映る罪園の影へと走った。
「――計算通りです」
だが、ミハル・オルタナティブは動かない。
影人形の四肢は、ダンジョンの壁面に拘束されていた!
「あれは……錬金術師の職業スキルかッ!」
【物質変成】――
非生物である物質に変化を与える能力。
「即席の拘束具を作り上げました。
ダンジョンの壁を組み替えることで」
ミハル・オルタナティブは力いっぱいに抵抗するが脱出できない。
拘束具にヒビは入るものの……流石に武器を用いない膂力だけでは抜け出すことができないようだ。
ここは第四十層――ダンジョンの壁の耐久力も、相応に硬くなっている。
「……影に戻れ、ミハル・オルタナティブ!」
「否定します。弊社はさせません、そのような真似は」
【物質変成】によって拘束具は檻となる。
檻と檻の隙間は壁で塞がり、立方体と変化していった。
蟻一つ漏らさない、完璧な檻。
こうなってしまっては影人形でも逃げることはできない!
「(ミハル・オルタナティブによる奇襲は罪園に読まれていた……?)」
俺には疑問があった。
「……どうやって、ミハルの影に気づいた?」
「お義母さまのユニークスキルがダンジョンの床に使用できることも、それによって以東くんが生み出した影人形の存在を隠すことができるのも、オークプリーストとのバトルで既に弊社は把握済みです」
「あの配信の映像だけで、母さんのスキルの正体を暴いたっていうのか!?」
「否定します。これは現地に居合わせた冒険者から聴取した情報です」
「まさか……!」
----------------------------------
「貸し一つ分はこれで相殺ということで。残りの借りた分については、そうですわね……いずれ、返済いたしますわ。いつか返す機会を楽しみにしていてくださいな、イモータル・リュウさま♪」
----------------------------------
パンドラさんのことを言っているのか?
あの人はA級冒険者特有の洞察力によって母さんのスキルの正体を見抜いていた。
だけど……パンドラさんが簡単にそのことを話すとは思えない。
会ったのは一度だけだが――義理堅い人だ、という印象がある。
「お前、パンドラさんに何をした?」
「尋問ではなく、あくまで事情聴取ですよ。まぁ、少々――ザイオン社を通じて、あの方には「冒険者としての進退に関わる交換条件」を出すことにしましたが」
「それって……脅迫じゃないか!!!」
「肯定も否定もしません。
自由に解釈してください、以東くんの好きなように」
パンドラさんは『パンドラの希望』の代表を務めるリーダーだ。
そういった責任のある身で、ダンジョン公社と深い繋がりがあるザイオンから圧力をかけられたなら……それに従う他に選択肢は無いだろう。
――罪園は一線を越えている。
「……なんでだよ、罪園」
万策尽きたように膝を折る。
無念の感情を体現するが如く、俺は地面を叩いた。
「お前、めちゃくちゃだよ。母さんだけじゃない、パンドラさんにまで酷いことをして……! なぁ、俺のこと、好きって言ってくれたよな? どうして俺のことが好きなんだ? 俺は、お前に好かれるようなことは何もしてないし……俺の方は、罪園のことを、このままじゃ、嫌いになりそうなんだ……!」
罪園は、かすかに震えた声で言う。
「――弊社は以東くんが好きです。だからこそ、憎んでいるのかもしれません。お義母さまを――『ハッピー・エクリプス』を――そして、以東くんを」
「俺や母さんを……憎んでいる?」
「弊社が持っていないものを、持っているから」
「……罪園、お前っ!?」
罪園が泣いていた。頬を流れるのは、涙。
「わたしだって……母に愛されたかった」
☆☆☆
罪園 リアムは打ち明ける――
その思いの根源を。
「以東くんは覚えていますか? 小学生の頃、自分の名前の由来を親に聞いてきて、みんなで発表する――という授業があったことを」
「ああ、覚えているよ。
俺も母さんに聞いて、初めて自分の名前の由来を知った」
罪園は頷く。
忘れるはずがない。
以東くんの、名前の由来――
「以東 涼。母親の春子さんが「春」だから、「春」から生まれた「夏」を意味する――「夏」に吹く爽やかな風のような「涼しさ」を込めた、と。妹の亜希さんも同じですね。「夏」の次は「秋」――こちらは意味ではなく、音」
「春」の字を取った「春子」――
「夏」の意を取った「涼」――
「秋」の音を取った「亜希」――
それを聞いたとき。羨ましい、と思った。
「以東くんは……お母さんに愛されているんだ、って」
「罪園……?」
「弊社は――わたしの、名前は……!」
----------------------------------
「原初の女錬金術師、ミリアム。
――我らザイオンは、彼の者の末裔」
母、さま……?
「セプテントリオンの襲来は間近。
我も今の肉体には限界が来ている――
故に、鍵となるのは汝」
なにを、言っているの?
「リアムよ。
汝の身体は何よりも大事。
汝の命は汝のものではないのだから」
わたしの、からだ……。
「我の大切な器。我の――道具だ」
----------------------------------
うっ、うっ、と嗚咽が漏れた。
氷のよう、人形のよう、ロボットのよう、そんな風に言われる罪園 リアムの鉄面皮に、人並みに暖かい、人肌の体温を持った涙が流れていく。
「……みんながわたしの名前を笑った。罪園 リアム――変な名前だって。おかしいって。馬鹿みたいだって。母に聞かされた由来だって、言えるはずもない――でも」
以東くんだけは、違った。
「以東くんだけが笑わなかった。以東くんだけが褒めてくれた。以東くんだけがカッコいいって言ってくれた。以東くんだけが、好きだと言ってくれた――わたしの、名前……ッ!」
罪園 リアム――
わたしの大嫌いな、わたしの名前を。
----------------------------------
――良い名前だと思うぜ?
---------------------------------
それが初恋の始まりだった。
☆☆☆
「弊社は、母の道具。プレジデント罪園という立場も、罪園CPの社長という立場も、全ては与えられた責務、果たさなくてはならない義務です」
だからこそ、と罪園は云う。
「弊社は条件を出しました。母の希望は何でも叶える。母の命令には何でも従う。代わりに――希望を一つだけ、叶えてほしいと。それ以外には何も要らない、たった一つだけの希望……弊社の伴侶を、夫となる人を選ばせてほしいと」
「それが……俺だっていうのか」
「そのために積み上げました、プレジテント罪園としての実績を。母も弊社の意見を無視できないように、弊社が母には欠かせない道具となるように。弊社が、自分のことを弊社と呼ぶようになったのだって……」
「わかるよ。罪園のDネームである、プレジデント罪園――プレジデントとは、企業の指導者や代表を意味する言葉だ。冒険者になったときから、既に自分がザイオンテックの頂点に立つことを意識していた――社長でありながら冒険者――そのためのパブリックイメージの形成、言ってみればキャラ付けみたいなもんだろ。……良いセンスだと、思うぜ」
「……そうやって、弊社のことは何でもわかってくれるのに。弊社が以東くんを愛していることは、わかってくれなかったッ!」
罪園は激情のままにエネルギーをチャージする。
【月光華】は第六段階の「中枢の玉姿」に達した。
決着は近い。
罪園がエネルギーを解放したとき、全ては終わる。
――罪園のことは何でもわかってる、だって?
否定する。俺は全然、わかってなかった。
罪園が母親との関係で苦しんでいたことも――
ザイオンの後継という重圧の意味も――
異星存在セプテントリオンという、未曽有の脅威も――
わかってたのは、罪園が自分の名前を嫌ってるってことだけ。
だから「リアム」とは呼ばなくなった。
苗字の「罪園」と呼んでるうちに――
いつの間にか、呼び方を変えるのも恥ずかしくなってたんだよな。
だけどさ――俺は、本気でカッコいいと思ってたんだ。
カッコいいだろ、罪園 リアム!
その思いが通じてたことが……俺は嬉しいんだよ。
「お前だって、言ってただろ。俺は女の子の色恋沙汰を苦手にしてる、って……そのとおりだよ。そういうのは本当にわかんねえし、アキにも注意されてる。だけど、ずっと好きだったって言うのなら――もっと早く言ってくれよ! 馬鹿の俺にもハッキリとわかるように……!」
「弊社が母に条件が通せるようになったのは、ごく最近。ようやく妻として以東くんに思いを告げられる――そう考えていた矢先に現れたのが、星羽ミハル。以東くんのお義母さまです」
罪園はダンジョンの曲がり角に隠れていた母さんをにらみつける。
「リアムちゃん……!」
「以東くんがマザコンであることはわかっていました。ですが、実母である春子さんなど、所詮は恋愛対象外だと侮っていたのが運の尽き……まさか正体を隠しながら、自分の母親と甘々カップルを演じて人前でイチャつくとは……以東くんが、これまでの常識を超えた救いようの無い重度のマザコンだったことは……弊社の計算外でした」
反論したいが――客観的には反論の言葉が見つからねえ!
それでも母さんは必死に擁護する。
「違うの、リアムちゃん! あれは私が無理を言って……リョウちゃんは、私が無理やり恋愛営業に付き合わせてたのよ。そうよね、リョウちゃん?」
「……いや、それは違う。
こうなったら俺も認めるしかない」
「リョウちゃん?」
「罪園が本音で話してくれたんだ。
だったら、こっちも本音を言う」
俺は――母さんが好きだ。
「マザコンだっていうのも、そうなのかもしれない。楽しかったんだ、ミハルとの配信が。ミハルと二人きりで肌を寄せ合ったり、いつもと違う香水の匂いにドキドキしたり――それに、キャピキャピの女子高生ぶってリスナーに媚を売るミハルの横顔に、俺が尊敬する母さんを見ている事実にも興奮していたんだ。最近では、家にいる母さんもミハルに見えてきたんだ。言っておくが、これは断じて、性欲じゃないぞ。罪園の初恋が俺だったように……きっと、これは俺の初恋なんだ。俺は――母さんのことが、一人の女性として大好きなんだッッッ!」
俺が全てをぶちまけると、母さんは絶叫した。
「な、なにを言っているのよーーーーーーっ!?」
「好きなんだ、母さん!
頼む、俺と結婚してくれッ!」
熱弁する俺に、罪園が殺意に満ちた声を向ける。
「民法第734条――」
罪園が手にした光の球に、チャージされた全エネルギーが集まった。
やはり、来る――全ては狙いどおり。
俺の意図にも気づかずに罪園は続けた。
「直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。以東くんとお義母さまの結婚は、法律により無効。判決は――死刑。法と正義の女神に代わり、弊社自ら以東くんを処刑します」
|第六段階・無尽光散涙雨――!!!
範囲内の全ての対象――
俺と、俺から生まれた影人形に光のビームが降り注ぐ。
母さんならともかく――
俺のステータスでは一撃で蒸発するだろう絶技だ。
「絶体絶命のピンチ……と、思うだろ?」
俺がニヤリと笑っていることに気づいたのか、罪園が眉だけで驚きを表現した。
「まさか――全ては、演技?」
そうさ、これを待っていたんだよ。
罪園が冷静さを失い、必殺技を不用意に放つ瞬間をな。
「(俺は知ってるんだぜ、罪園……!)」
お前は勉強が得意だし、頭も良い。
それに、他人よりもちょっとだけ表情を作るのが苦手だから……。
クールとか、冷静沈着とか、大人びてるなんて言われてるけど。
本当はノリが良くて、冗談が好きで、
怖がりで、寂しがりで、沸点が低くて、感情的な……。
ごくふつうの、ただの可愛い女の子だってことを――
俺は知っているんだ……!
「恋愛営業は以東家のお家芸だって言ったろ?
二度もかかるとはなァ、罪園っ!」
光の奔流が迫る――
全てを消滅させる光線が俺の身体に降り注いだ。




