BGMはブラック・サバスのアイアン・マン
令嬢ジャネットは激怒した。
必ずやあの邪智暴虐の平民女を除かねばならぬ。
「あの女、なにかにつけわたくしのゲルマー様にべたべたと触れ回るのですから」
ゲルマーというのはジャネットの婚約者であるこの国の公子である。そろそろ名前をつけないと話を進めるのが面倒だと思ったので適当につけた。兄弟順は1番目なので次期公爵としてこの国を統治する予定になっている。お約束だね。
ちなみにアンヌ・マリーの名誉のために言っておくと、「べたべたしている」というのは誤解である。ゲルマー公子は痩せ型長身のブロンド貴公子で、顎が長く尖っている。
細く長い顎は猪木寛至氏の親戚だとかそういうのではなく、元になった乙女ゲームのキャラデザインを少女漫画家が担当したせいだ。
要するに典型的な少女漫画の美形キャラの外見をしていると言っていい。
そしてアンヌ・マリーはそういう造形のキャラが苦手だった。
無理もない。彼女の中身は男性なのだから。
転生後女性として十数年過ごしてきたはずなのに、アンヌ・マリーの精神は女性化していなかった。
いや、華麗に淀みなく「ですわ」言葉を使いこなせているので、ある面ではしっかり女性化しているといっていいだろう。
だが、性的嗜好の部分ではまだ女性を好む傾向が強い。
とはいえ、男性的な性欲の根源を失っているので、女性に対して性欲を抱くことはない。子猫や子犬を愛でるごとく、かわいらしい少女を愛でたい、と思う程度である。
たとえ読者諸姉諸兄が望んでも百合的な展開にはなりそうもないのだ。
そんなわけなので、アンヌ・マリーはゲルマー公子が彼女に言い寄って来ることに激しい嫌悪感を感じていた。
「だから絶対に倒さなければならないのですわ!」
令嬢ジャネットも転生者であり、前世ではやはり男性だった。
にも関わらずゲルマー公子に執着し、激しく嫉妬し、公子に近づく女を殲滅しないと収まらないのは、シナリオによる強制力が働いた結果か、この世界での人生を経験することによって、精神が完全に女性化したためなのか、それはわからない。
とにかく、アンヌ・マリー・ド・バトロワゼルを亡き者にしなければならない。
「目障りなのですわ。平民のくせに!」
令嬢ジャネットはそう言ってハンカチを噛む。
「ジャネット様ジャネット様、お言葉ですがあの女を本当に平民だとお思いなんですの?」
取り巻き令嬢の一人が言う。令嬢ジャネットが「何をおっしゃってるの?」という顔になる。
非常に感情の動きがわかりやすい。
「平民ではないと言うんですの?」
「バレバレですわ。なんで平民の名に『ド』が付くんですの?」
令嬢ジャネットは腕を組んで「うーむ」と考える。
ここらで種明かしをしておくが、令嬢ジャネットはかなりのバカである。
思考の大部分は、公子ゲルマーに対する愛情(だと彼女が思い込んでいるもの)と、恋のライバルに対する敵愾心と、もうひとつの感情で占められていた。
もうひとつの感情というのは、「強者と戦いたい」という衝動である。
婚約者への愛情とライバルへの嫉妬心だけなら、ごく普通の悪役令嬢ということになる。
最後の、強者と戦いたいという衝動、というのは、一般的な悪役令嬢の中には存在しない感情である。
それが彼女本来のものであるのか、そうでないかは、この後で語られることになるだろう。
今はただ、令嬢ジャネットがバカであるということを記憶に留めていただければ事足りる。
さて令嬢ジャネットだが、数秒後には自分たちが何を話題としていたか忘れてしまっていた。
ダチョウ並の記憶力である。
恋のライバルの正体が貴族なのか平民なのかはもはやどうでもよくなり、以下にしてアンヌ・マリーを再起不能にするかと、ただそれだけを考えていた。
というわけで、ここらで前回のラストにつながる。
取り巻き令嬢の一人が、新入生歓迎の舞踏会を催し、そこでアンヌ・マリーに思い切り恥をかかせてやればいいだろう、と提案したのだ。
「新入生を歓迎する意味で、舞踏会を開こうと思いますの」
他の令嬢から提案された案件なのだが、数分後に令嬢ジャネットは自分自身の提案であるかのように周囲に語りかけていた。
いるよねこういう人。能力ないけど自己肯定感がめっちゃ強い会社の上司とかに。
令嬢ジャネットの前世が、こういうタチの悪い中間管理職であったかどうかはわからない。
少なくとも津田沼市役所の職員でなかったことだけは確定である。
津田沼の小役人であればこの話もかなり平和なものになったはずだ……というか、最初から存在しなかったことになるかな?
というわけで、舞踏会を開催することに決めたので、後は適当に取り巻きに意見を出させて、ルールを決めていくことにする。
もちろん、すべてはより効果的にアンヌ・マリーをぶちのめすために計画されるのだ。
令嬢ジャネットは目を閉じ、戦闘における自分の強みを思い浮かべる。
彼女はスピードとパワーに優れ、ハイスパートなバトルで短時間に勝負を決める、というのを得意にしている。
アドリアーナとの令嬢ファイトにおいては、右腕のラリアットとスコーピオンデスロックを使ったが、彼女のもともとのファイトスタイルは長◯力よりはロード・ウ◯リアーズに近い。
(逃げ道を塞いでしまえば、極めて短時間に彼女を血の海に沈められますわ)
逃げ道を塞ぐ、塞ぐためにはどうすれば…。
彼女は前世の記憶も動員して、必死に考えた。
考えすぎて熱を出し、三度ほど泡を吹いて倒れた。
頭に氷嚢を載せられ、取り巻き令嬢たちに介抱されつつ、彼女はついに一つの結論にたどり着く。
「そう、これですわ。これならアンヌ・マリー様を再起不能にできますわ!」
ちなみに、再起不能にしてやりたいほど憎んでいる相手でも、「様」をつけて呼ぶ。だって令嬢だからね。
翌日。
魔法学校の講堂。
壇上でにこやかに微笑みながら、生徒会長ジャネットは全校生徒に語りかけていた。
「……というわけですので、新入生を歓迎する意味をこめて、校内舞踏会を開催したいと思います」
ざわつく生徒たち。ジャネットはぱんぱんと手を打って場を静め、話を続ける。
「一部の女生徒……特に転入生のアンヌ・マリー様にはダンスを踊るパートナーがいないでしょうから、生徒会の方から手配いたしますわ」
ジャネットはこれで攻略対象、特に公子ゲルマーがアンヌ・マリーのパートナーにならないように仕組んだつもりだ。
この手の小細工は、シナリオ側が本気を出せば簡単に覆されてしまうのだが、ジャネットのシンプルな脳みそはその点には思い至らない。
彼女の思考は、次の一点に集中していた。
「この舞踏会には、皆様が楽しめるようにちょっとした趣向を凝らすことにしました」
再び講堂内がざわつく。
「はいお静かに。その趣向というのですわね、会場内を取り囲むように有刺鉄線をめぐらし、電流を流すというものです。また各所にばくだ……花火をしかけて皆様の楽しい気分を盛り上げることにいたしますわ」
ジャネットは満面の笑みで全校生徒に語りかけたが、言われた方はアンヌ・マリーを除き一様に青ざめ、表情を強張らせていた。
かくしてこの1週間後、フランクンフルター魔法学校の歴史に開校以来の恥辱としてその名を残す「ノーロープ有刺鉄線電流爆破舞踏会」が開かれることになるのである。