あーわたくし正ヒロインになってしまいましたわ-あるいはハッピーバースデー悪役令嬢-
アンヌ・マリー・ド・バトロワゼルが貴族の身分を偽り、豊かな平民の娘としてフランクンフルター魔法学校に転入してから数日が過ぎた。
「なんか、妙な感じですのよね」
女子寮の一室で、ため息混じりにアンヌ・マリーがつぶやく。
「なにがでしょうかお嬢様」
答えたのはアンヌ・マリーの侍女・アーデルハイドである。彼女はアンヌ・マリーの従姉妹でもある。より詳しく言うと、アンヌ・マリーの父方の叔父の庶子だ。
庶子ではあるが公認なので社会的なステータスは結構高い。
だから幼い頃は姉妹のように、やや長じては友人のように、そしてここ数年は主従として、常にアンヌ・マリーに寄り添っていた。
侍女とはそういうものなのである。
ちなみにゲームの中の「中世世界」にはメイドという生き物が出てくるが、本来のメイドは主として近代の富裕な市民層に仕える家事使用人である。主人との関係は「金で雇ったもの」と「金で雇われたもの」でしかない。
脱線したが、要はアンヌ・マリーとアーデルハイドの関係は、主人とメイドのそれより濃密だよ、と言いたかったのである。
関係が濃密な割にはアンヌ・マリーのフランクンフルター魔法学校の初回乱入時には姿が見えなかったじゃないか、と感の鋭い読者諸姉諸兄は言うかもしれない。
あれは…その、あれだ。アンヌ・マリーとアドリアーナの全力疾走に追いつけなず、取り残されてしまったのだ。そういうことにしておこう。
時速45km/hってウサイン・ボルトのトップスピードより速いんだから、転生者ではない普通の侍女なら追いつけなくてあたり前田のニールキック。
脱線はこれぐらいにして、アーデルハイドの疑問に対するアンヌ・マリーの答えに戻ろう。
「入学してからというもの、いろんな殿方が偶然を装ってわたくしに近づいてきますの」
「お嬢様はお美しいですから、殿方が寄ってくるのも当然かと思いますが」
「その中にこの国の公子が混じっていたとしても?」
「うーん」
アーデルハイドは腕組みをして考え込む。
「それ以外にも公国の筆頭将軍の御子息、宰相の御子息、宮廷魔道士の御子息なんかが接近してきましたのよ」
「ふむふむ」
「そして公子様がわたくしの前に現れる度に、氷のような視線で見つめられているのに気が付きますの」
「お嬢様はお美しいから、他のご令嬢の嫉妬を買うのも…」
「わたくしたちを刺すように見つめているのは常に同一の方。生徒会長で公子の婚約者であるジャネット様ですわ」
「……」
アーデルハイドはしばらく考えていたが、やがてぽんと手を叩いた。
「お嬢様、それは!」
「それは?」
「お嬢様がこのゲームの世界のヒロイン枠に収まった、ということではないでしょうか」
アンヌ・マリーの目が驚きでまんまるになった。
「ヒロイン枠? わたくし、悪役令嬢ですのよ? しかも転生者で…」
幼い時から常に一緒だったので、アーデルハイドはアンヌ・マリーが転生者であるということ、またこの世界が何百という乙女ゲームの世界を悪魔合体させたものだということを知っている。
というか、アンヌ・マリーが前世の記憶が蘇った際、最初にそのことを告げた相手がアーデルハイドだったのだ。
「お嬢様。この世界がゲームの世界であるならば、人の運命はシナリオによって左右されてしまう、ということですよね」
「そうね。破滅へのフラグを折った悪役令嬢が何人もいるので、シナリオの拘束力は絶対ではないけれど」
「ということは、ある日ある時特定の条件を備えた人がある場所に行くと、特定の役割を割り振られてしまう、ということもあり得るのでは」
今度はアンヌ・マリーが腕を組んで考える番だ。
「……可能性としては、否定できないわね」
「そこでよく考えてください。お嬢様は平民として魔法学校に入学なされた」
「そうですわね」
「編入の際に試験をお受けになりましたが、結果はどうでした?」
「学科テストは満点でしたわね」
乙女ゲーム世界の科学力は現実世界に大きく劣っており、高校相当の学校のテストは現実世界においては小学校のそれに劣るという設定が多いので、転生者が満点を取ってしまうのはさほど珍しいことではない。
「その後、魔法力の試験もお受けになりましたね。そちらの方は」
「本来わたくし、火水風土の四大属性と暗黒魔法が使えたはずなのに、それ全部使えなくなっておりましたわ。代わりに光属性の聖魔法が使えるようになってました」
「それで確定ですね。お嬢様はこの世界ではゲームの正ヒロインです。悪役令嬢の妨害に耐え、攻略対象の誰かと結ばれる運命に変わりましたね」
アンヌ・マリーはしばらく目を点にしていたが、やがてガタガタと震え始めた。
「い、いやですわわたくし……わたくしよりも弱い色気過剰の殿方と結ばれるなんて……想像したくもありませんわ」
アーデルハイドは台所に行き、コップ一杯の水を持ってきた。それを一気に飲み干すと、アンヌ・マリーも落ち着きを取り戻したようだ。
「もし、そういう気持ちの悪い運命が待ち受けていたとしても、そのフラグは折れるのですよね?」
「悪役令嬢の破滅フラグが折れるんですから、たぶん可能かと」
「わかりましたわ。全力で折りに参ります」
「あ、でも一つ気をつけなきゃならないことがあるかもです」
「それは?」
「この世界での悪役令嬢であるジャネット様を倒してはいけないんじゃないかってことです」
「どうしてですの?」
「悪役令嬢の妨害を最終的に排除したら、その悪役令嬢の婚約者と結ばれてしまう確率がぐっと高まると考えられますから」
「そんな……わたくし、ジャネット様と全力で戦うためにこの学園に参りましたのに」
そうは言うが、アドリアーナが瞬速でジャネットに倒された時、このまま対戦するとやべぇと思って身分を偽り、令嬢ファイトを回避したのはアンヌ・マリー自身である。
彼女の元いた世界では、人、それを自業自得と言う。
「ジャネット様と戦うと公子の妻に……公子との結婚を避けるとジャネット様と戦う機会が……」
ぶつくさぶつくさと、およそ30分ほど暗くつぶやいた後。
「決めましたわ!」
さっきまでとは打って変わってさわやかな表情で、アンヌ・マリーは前を向いた。
「どちらを選ばれるのですかお嬢様」
「ジャネット様と公子様、どちらもまとめてぶちのめせばいいんですわ! たとえジャネット様が悪役令嬢っぽい妨害行為ができなくなっても、公子に婦女子を妻とする能力がなければ、結婚なぞしなくても済みますわ! そうよ! どさくさまぎれに公子の生殖能力を奪って宦官にしてっやりますわ!」
拳を握り、やる気を漲らせて吠えるアンヌ・マリーであった。
その頃、フランクンフルター魔法学校の生徒会室。
いかにも悪役そうな笑みを浮かべながら、ジャネットがその取り巻きの令嬢たちに話しかけていた。
「新入生を歓迎する意味で、舞踏会を開こうと思いますの」
こくこくとうなづいて賛意を示す金魚のふ……じゃない取り巻き令嬢たち。
(見てらっしゃいアンヌ・マリー・ド・バトロワゼル。わたくしの婚約者に手を出したらどうなるか目にもの見せて差し上げますわ! 新入生歓迎舞踏会があなたの墓場となりますのよ!」