悪の悪役令嬢
ここは大陸東部の小公国フランクンフルター。
すでに述べた通りこの世界の国々はほとんどすべてが君主制国家であり、貴族の子弟とほんの少しの平民を通わせる魔法学校というものを設立している。
ここフランクンフルター公国も例外ではない。
悪役令嬢アンヌ・マリー・ド・バトロワゼルとその友人アドリアーナは、フランクンフルターに凄まじく強い悪役令嬢がいると聞き、令嬢ファイトをしかけようとやってきたのであった。
「あ、見えましたわお姉様。きっとあれがフランクンフルター魔法学校に違いありませんわ」
砂煙を蹴立てて全力疾走しながら、アドリアーナが前方を指差す。
アンヌ・マリーはというと、アドリアーナの背後にぴったりとついて移動しているのだが、その足運びは優雅なダンスのステップのようであり、品なく全力疾走をしているわけではなかった。
「悪役令嬢はワルツのステップで最高速度を出すものですわ」
開いたレースの扇で口元を隠しながら、アンヌ・マリーは優雅に微笑んだ。転生前の世界の単位系でいうと、ゆうに45km/hを超えているのだが、彼女は汗一つかいていない。
そんな速度で移動しているものだから、二人はあっという間に魔法学校の正門に到着した。
「たのもーう」
古城を思わせる巨大な木製の扉を叩いて、アドリアーナが呼ばわる。
まもなくギイっと重々しい音がして、扉が開いた。
開いた扉の向こう側には、黒いドレスを身にまとった美女を中心に、目つきの鋭い若い貴婦人が並んで立っていた。
「なんの御用かしら?」
中央の美女が氷のまなざしをアドリアーナに向けていう。
「令嬢ファイトを申し込みたいですわ!」
自分に向けられている視線の冷たさに気づかないアドリアーナは、能天気に言う。
「わかりましたわ。受けて立ちましょう!」
黒いドレスの美女がそう言った瞬間、その姿が見えなくなった。
ほとんど同時に、丸太で何かを叩いたような鈍い音がして、アドリアーナがのけぞった。
「ぐわっ」
アドリアーナの口から、カエルを潰した時のような声が漏れた。この女、一応令嬢である。
さっきまでアドリアーナが立っていた場所に、黒いドレスの令嬢が姿を現す。右腕が真横に突き出されていた。
「!」
アンヌ・マリーの目が光る。黒いドレスの女は視線に気づいていたようだがアンヌ・マリーの方は見ず、仰向けにひっくり返ったアドリアーナの両足を掴み、自分のふとももの上で交差させる。
交差させたアドリアーナの右脚のふくらはぎ部分を自分の右脇でガッチリと固めると、黒いドレスの女は左脚でアドリアーナの体をまたぎ、腰を落とす。
アドリアーナは腹ばいで下半身から両脚を思い切りのけぞらせる姿勢を取らされた。
「あいだだだだだだ、ギブ、ギブですわっ」
たまらずアドリアーナは地面を叩く。黒いドレスの女は右腕をアドリアーナの脚から離し、さっと立ち上がった。
「ご自分から令嬢ファイトをしかけてきましたのに、お弱いんですのね」
鈴を振るような声で笑い、今度はアンヌ・マリーの方をきっと見据える。
「あなたも令嬢ファイトをお望みなのでしょうか」
アンヌ・マリーは優雅に扇を動かしながら黒いドレスの女に微笑みを返した。
「とんでもありませんわ。わたくし、貴族ではなく平民の娘ですので、令嬢ファイトなどを挑むしかくなぞ最初からございませんので。今日はこちらの方の付き添いということで参りましただけですわ」
「平民とおっしゃる割に、仕草がお上品じゃありませんこと?」
「わたくしエッチーゴ王国でチリメーン問屋を営む商人の娘ですの。父が商売で成功を収めたので、普通の平民よりは多少よい暮らしをさせていただいていました」
「そうなのですか」
「幸い魔法もほんの少しですが使えるようになっておりましたので、名高いフランクンフルター魔法学校に入学させていただこうと考えまして、友人と参った次第です」
「そうですか。ではまず事務局に転入申請書類を提出していただけますこと? あなたの言葉を信じないわけではありませんが、身元がまったくわからない方を学園に入学させるわけにはいきませんので」
「承知したしました。ところで失礼ですが、あなた様のお名前を伺いたいと存じます。わたくしはアンヌ・マリー・ド・バトロワゼルと申します」
アンヌ・マリーはうやうやしくスカートの裾をつまんで礼をした。また黒いドレスの女の目が光る。
「ご丁寧にありがとうございます。わたくしここの生徒会長をさせていただいているジャネット・カーリーと申します。お見知りおきを」
挨拶を済ませると、ジャネットは取り巻きを引き連れて学園の内部へと消えていき、大きな扉が閉じられた。
「大丈夫ですか?」
まだ倒れていたアドリアーナを助け起こし、アンヌ・マリーは肩を貸す。
「面目ございませんわお姉様」
「あの生徒会長さん、転生者ですわね。強いのは当たり前だから、アドリアーナさんが気に病む必要はございませんわ」
「転生者?」
「ジャネットさんがアドリアーナさんに仕掛けた技、あれはわたくしたちの前世の文化に由来するものですわ」
「といいますと」
「アドリアーナ様が最初に受けたのは、右腕でのラリアット。その後受けたのは、スコーピオン・デスロックですの」
「!……言われてみれば!!」
どちらにしても令嬢がかけたりかけられたりしていい技ではない。
「どちらも長◯力選手の得意技ですわ。長◯選手本人が異世界の令嬢に転生したとも考えにくいので、プロレス同好会に所属していた大学生、といったところでしょうか」
「なるほど」
「となると、ひとつだけ気になる点がありますわ」
「なんでしょうかお姉様」
「わたくし、あの方から強烈な悪の匂いを感じ取りましたの」
言われてアドリアーナは、「あ」と言って右手を握り、左手の手のひらをぽんと叩いた。
「それはわたくしも感じましたわ」
「悪役令嬢で悪人、というのは不自然ではありませんか?」
「いえお姉様、お言葉ですが悪人だから悪役令嬢なのではないでしょうか」
正論である。
だがアンヌ・マリーは静かに首を左右に振った。
「ゲーム世界の悪役令嬢、しかも中身が異世界からの転生者の場合、その性格は底抜けのお人好しかつ善人ですわ。本当の性格が善人でなかったとしても、破滅フラグ回避のために全力で善人を演じるので、表面的には善人に見えるのですわ」
「あ……」
「あの方はゲーム中では悪役令嬢ポジションで、しかも中身が転生者。にも関わらず自分の中からにじみ出る悪の匂いを隠そうともしない。おかしいとは思いませんか?」
「……」
「これはひとつ、調べてみる必要がありそうですわね」