ノーカラテノーレイディ
金髪縦ロールの悪役令嬢アンヌ・マリーと今では冒険者となった悪役令嬢アドリアーナが力の限りを尽くして激突してから三日。
二人は今日も、全力で戦っていた。
場所はギルドの建物内の酒場ではなく、ギルドの外の広場である。
二人の周囲は野次馬に取り囲まれていた。
アドリアーナの大剣がうなりをあげる。アンヌ・マリーの篭手が大剣をがっきと受け止め輝き叫ぶ。
その見事な技の応酬に、野次馬たちの口からは感嘆の声が漏れた。
やがてアドリアーナの体力がつき、大剣を杖にして体を支え、はぁはぁと荒い息を吐く。
それを見たアンヌ・マリーはにっこりと笑い「今日はここまでにしましょうか」と言った。
アドリアーナは尻もちをつくようにその場に座り込んだ。
「やっぱり…お姉様はお強いです」
どうやらこの二人、激闘の後に打ち解け合い、今では無二の親友のような関係になっているようだ。
全力で戦った後には遺恨を残さず、互いの力量を称え合う。
悪役令嬢とはそういう生き物らしい。
ちなみに年齢的にはアドリアーナの方が上なのだが、彼女はアンヌ・マリーをごく自然にお姉様と呼んでいる。これは自分よりも強いものはすなわち自分の上位者である、と認識する悪役令嬢の性がなせるものであろう。
「剣も槍もお持ちにならないのに、わたくし手も足も出ませんわ」
「悪役令嬢の道の真髄はカラテにあります。ノーカラテノーレイディ。これはバイヴォーにも書かれていることです」
……バイヴォーってなんだと突っ込んではいけない。ちょっと発音の近い名前の本があるでしょ。あれみたいなもんだ。
「そうなんですの? わたくし目からウロコが落ちましたわ! ノーカラテノーレイディ。なんて素晴らしい言葉なのかしら!」
悪役悪役令嬢にカラテが必須とかどう考えてもおかしいが、それを不自然だと思わないのは二人が転生者であるためだろう。
アドリアーナの前世は体育大の学生だった。性別は男である。
アンヌ・マリーの方はというと、これが変わっていた。
彼女の前世はいわゆる現代日本ではなかったのだ。
彼女は、別のゲームの世界から転生してきたのである。そのゲームは現代日本で作られたものであったから、彼女のバックボーンとなっている文化は、現代日本のものとほぼ同じであると言えるかも知れない。ちなみに転生前の性別は、やはり男であった。
この特殊な前世の自分の姿を、アンヌ・マリーはすでにアドリアーナに伝えていた。
だって拳で語り合った悪役令嬢同士だから。
「わたくしの転生前の世界は、ロボットに乗って戦い合うゲームの世界でしたの」
アンヌ・マリーの話を、アドリアーナは真剣な面持ちで聞く。
「そのゲーム、わたくしも前世でプレイしたことがあるような気がしますわ。時々ステージにNPCロボが乱入して経験値をごっそり持っていったりしてませんでした?」
アンヌ・マリーは静かにうなずいた。
「そんな前世だったからこそ、戦って、戦って、戦い抜くというこの世界の『悪役令嬢ファイト』も自然に受け入れることができたのかも知れませんわ」
「わたくしもすんなり受け入れてしまいました。転生した悪役令嬢というのは、みんなそんなものかも知れませんわね」
いくら異世界とはいえ、それは違うだろう。どこであろうと、悪役令嬢の仕事は戦うことではない、ということは断言できる。
そういう世間一般の常識に思いを馳せたりはせずに、空を見上げてアンヌ・マリーはしみじみと言った。
「それにわたくし、こうやって他の悪役令嬢と戦っている時、ああわたくし今生きているのね、と感じるようになってきているの」
「お姉様もですか? 実はわたくしもですわ」
アンヌ・マリーは微笑みながらアドリアーナの手を取った。アドリアーナの頬がかすかに赤らむ。
「悪役令嬢ファイトを戦い抜くと、新しい王子や公子と婚約できるようになると言うのだけれど、わたくしそういう方々と結婚することだけが、悪役令嬢の幸せだとは思えないの」
「お姉様……」
「だいたい、わたくしは自分の国で王子から婚約破棄を宣告された時、思いっきり顔面にグーパンかましてしまいましたのよ」
アンヌ・マリーはころころと上品に笑う。
「そして王子が新たに婚約しようとしていた平民あがりの娘に言ってやったのです。この方は顔以外のすべてが人並み以下です。特に人格に問題があります。こんな方と結婚すると、必ず不幸になりますよ、と」
「あ、それ。わたくしも似たようなことを婚約者を奪った相手に言った覚えがありますわ」
「婚約者を奪われてくやしいとか、ヒロインとの好感度を上げていたのでバッドエンドを回避できたとか、そういうことはどうでもいいやと思いましたの。わたくしの人生は、バッドエンドを回避するためだけにあったのではない、と」
どこからか一匹の蝶が飛んできて、アンヌ・マリーの頭に停まった。
「自分が転生者であり、この世界が乙女ゲームの世界であり、やがて自分が破滅すべき運命にある、と知ってから、わたくしはその運命を回避するために全力を尽くしましたわ」
アドリアーナは黙ってうなずいた。彼女もそうだったからだ。
「武道の腕を磨き、魔法の腕を磨き、知性を磨き、人格を磨く。ありとあらゆるものを磨きまくりましたわね。それはもう言葉では説明できないぐらい辛い思いを重ねてきましたわ」
アンヌ・マリーの頭に停まっていた蝶が、ふわりと空中に浮いた。
「でも破滅の運命を回避したその後、わたくしは何を得たでしょう。そこで気付いたのです。わたくしが得たものは何の目標もない無味乾燥な時間だけだった、と」
破滅の運命は砕け散った。それはつまりこれまで重ねてきた努力が意味を失った、ということでもある。
よりシンプルに言えば、断罪の運命を回避した段階で、悪役令嬢の人生というのは終わったも同然となるのである。
「わたくしは考えました。わたくしの人生をこれで終わりにしていいのか、と。死の運命を回避するとともにすべてを失い、生きる屍として本当の骸になるまでただ呼吸して食事して眠っていればそれでいいのか、と」
アドリアーナは目を閉じてアンヌ・マリーの話を聞いている。彼女にもいちいち覚えのある話だったからだ。
「おせっかいな人たちが、わたくしにもう一度高貴な方との結婚、という未来を作ってくださいました。でもそれがわたくしを満足させてくれるでしょうか。それは食べること眠ること以外に、男女の交わりを追加しただけに過ぎないのでは?」
アドリアーナが、小さな声でアンヌ・マリーに答えた。
「わたくしも、全く同じことを考えておりましたわ……」
「しかし、そのおせっかいな未来を掴み取れるという令嬢ファイトに参加して、わたくしは考えが変わりました。令嬢ファイトには本当の魂の交流がある。本当の感動がある」
アンヌ・マリーの目から涙が流れる。アドリアーナもつられて泣いていた。
「戦いましょうアドリアーナ。あらゆる悪役令嬢と戦って、戦って、戦い抜くのです。わたくしはそのためにまずこの国の魔法学園に生徒として入学します。学園内に必ずいる悪役令嬢と戦うために。ついてきて、くださいますよね?」
アドリアーナは無言でがしっとアンヌ・マリーの手を取った。
いつの間にか日は傾いており、夕日が二人の悪役令嬢を赤く染め上げていた。