令嬢酒場に立つ
とある小さな公国の領都の冒険者ギルド。その片隅にある小さな酒場のテーブル席。
「そこのあなた。そう、あなたですわ」
若い女が、一人の冒険者に声をかけていた。
女はこんな場所には不似合いなドレスを纏っていた。金の髪は恐ろしく長く、それを縦ロールにまとめている。
どこかの貴族のご令嬢だろうか。よく見ると、背後にメイド服を着た若い女が控えていた。
冒険者が無言で令嬢(?)の顔を見ていると、彼女はずいと彼に近づいてきた。
首にかけているブローチを手に取り、冒険者の前に突きつける。ブローチは前面が開くように細工されており、令嬢はその「蓋」を開けた。
「この人を見たことはないでしょうか」
開いたブローチの中には、小さな肖像画があった。冒険者はじっとそれを見る。ブローチの背景に、令嬢の胸部がある。
「でけぇな」
冒険者はそう思ったが、口には出さなかった。代わりに言ったのは
「ずいぶんとべっぴんさんだな。……いや、あんたの方が美人だが」
ほんのちょっとだけお世辞混じりになったのは、胸を見ていたことに気づかれ、機嫌を損ねた場合の予防線のつもりだった。
しかし令嬢はそれに気づかず
「もっとよく見てくださいまし。ほんのちょっとした情報でも、いただければそれでいいのですが」
とブローチごと胸を近づけてくる。
(困ったな……嬉しくないわけではないが…)
冒険者が困惑していると、酒場の反対側から金切り声が響いてきた。
「わたくしの指輪を盗んだのはあなたね!」
冒険者は目前の令嬢の胸から視線をそらし、声のした方を見た。令嬢もそちらに顔(と胸)を向けていた。
そこには黒髪でややツリ目の女と、その前に平伏する桃色の髪の少女がいた。
金切り声をあげたのはツリ目の女らしい。
女は黒いドレスの上に胸や肩を守る鎧を身に着けていた。いわゆる女戦士というやつだ。両手には肘まで届きそうな黒いレースの手袋をしている。
そしてその胸は豊満だ。金髪の令嬢よりも一回り大きい。
桃色の少女の方は、粗末な僧衣をまとっている。涙目になっているその顔立ちは、純朴そのものといった感じだ。
とても人様のものを盗むようには見えない。
「そ、そんな……わたし、お嬢様の指輪を盗んだりなんかしていません……」
「指輪だけではないわ! あなた、パーティーに参加した時からリシャール様に色目を使っていたでしょう。わたくし、すべて知っていますのよ!!」
豊満な胸を見せつけるように揺らしながら、ツリ目の女は少女を追い詰める。
「あー、またか」
冒険者の男が、ため息混じりに言った。
「またか、とはどういうことですの?」
金髪の令嬢が、冒険者の男の方に振り向く。
「あの黒髪の女はアドリアーナって言ってな。ここのギルドじゃ有名人なんだ。なんでもどっかのお貴族様の令嬢だって話だ。リシャールって色男とパーティーを組んでいるが、頻繁に若い女の新人をパーティーに入れ、いびり倒して追い出しているとか」
「まあ確かに見た目は貴族っぽいですわね」
(あんたほどじゃないけどね)
冒険者の男は喉まで出かけたツッコミの言葉を飲み込んだ。
「でも貴族なのは見た目だけで、中身は蛮族以下ですわ」
(こ、声が大きい!)
冒険者の男は金髪の令嬢の口を塞ごうとしたが、それより先にアドリアーナが金髪の令嬢をきっと睨みつけていた。
「互いにまだ自己紹介もしていない間柄ですのに、蛮族とはあまりな物言いですわね」
「わたくし、常日頃から『正直は美徳』を信条に生きておりますので」
アドリアーナのこめかみに青筋が現れ、ぴくぴくと動く。
豊満な胸も、ぶるんぷるんと震える。
バシィ!
アドリアーナは黒いレースの手袋をさっと脱ぎ、金髪の令嬢に叩きつけた。
「決闘ですわ! 不特定多数の前で蛮族呼ばわりされるなど、わたくしの貴族令嬢としての誇りが許しませんわ!!」
手袋を叩きつけられた金髪の令嬢は
(この方……どういうわけか常日頃さまざまな鬱憤を貯めまくっている体質ですのね。新人をパーティーに入れていじめて追い出すのは、ストレス発散が目的のようですわ)
結構冷静に事態を分析した後に、口を開いた。
「わたくしも貴族令嬢! 挑戦は謹んでお受けいたしますわ!!」
高らかに宣言すると、指をぱちんと鳴らす。
すると背後に控えていたメイド服の女が、どこに隠していたのか大きな箱を持ち出し、その蓋を開けた。
ギルドの酒場に、金属音が響く。
金髪の令嬢は、一瞬で銀色の甲冑を装着していた。
甲冑とはいっても、全身を覆うタイプではない。胸や肩、腰などを重点的に防備する、ドレスの上にまとうタイプの鎧である。
アドリアーナの甲冑と構成がよく似ているが、レースの手袋ではなく、堅固そうな銀の篭手が装着されている点が、わずかに異なっていた。
「この決闘、国際令嬢条約に基づいて行うものといたしますわ。よろしくて?」
冒険者の男は、「国際令嬢条約ってなんだ?」と思ったが、アドリアーナが金髪令嬢の宣言にこっくりと頷き、腰に帯びた大剣を抜いたので、「まあそんなもんがあるんだろう」と納得することにした。
「では令嬢ファイト! レディー!」
「ゴー!!」
ドレスに甲冑をまとった二人の令嬢が、全速力で接近する。アドリアーナは大剣を大きく振りかぶっているが、金髪令嬢は剣を抜いていない。
「舐められたものですわね! その驕りを残り短い生涯のすべてで後悔するがよいですわ!」
全力で大剣を振り下ろす。
(これで勝ちですわ!)
そう思った次の瞬間、アドリアーナの両手には金髪の令嬢を両断した感覚が伝わってくる……はずだった。
「そんなゆっくりとした動き、Fクラス冒険者でも避けられますわ!」
金髪の令嬢は不敵に微笑み、銀色の篭手を突き出す。
ばすっという、空気の抜けるような音がした。
酒場にいた全員が、音のした方を見る。
その音はアドリアーナの右胸から発せられていた。
そしてその右胸は、哀れなほどにしぼんでいた。
左胸が元通りなので、余計に平坦さが目立つ。
金髪の令嬢は右手をぶるんと振り、言った。
「令嬢条約第一条。胸部を破壊され、淑女としての尊厳を失ったものは敗退となりますわ!」
アドリアーナは両手で胸を抑え、その場にぺたんと腰を落とした。