7 アメカジ屋から戻って
ジャケットを購入して家へと帰ると、タグを取り、自室のクローゼットに掛けた。
『これで仮に東京に呼ばれたとしてもOKだな……』
とはいえ、これは妄想なのだ。
実際に俺が東京へ呼ばれることはないだろう。
『うふふ、一緒に選んで上げたんだから大切にしてね!』
香月さんがそう言い、俺は『うん』と簡潔に答える。
香月さんが幻聴とはいえ、一緒に選んでくれたジャケットだと思うと愛着が湧いた。
そして香月さんとの距離が少しだけ縮まった気がしていた。
正直に言って俺は嬉しかった。これが幻聴なのだとしても、久々に出来た彼女のようでとても幸せだった。この時間がもっと長く続けばいいと思っていた。
『どうしよっか? このあと』
香月さんが俺に聞いてくる。
『亜翠さんは今日は仕事なんだよね。他の皆はどうなんだろ?』
『さぁ……どうだろ、おーい操ー』
香月さんが矢張さんに声を掛けると、すぐに返事が来た。
『しー! 仕事中です!』
小さな子どもに言い聞かせるかのように矢張さんが言う。
『そっか、ごめんごめん……。じゃありつひー?』
『私は今日は休みですけど、なんですか?』
『おぉ、りつひーはいるんだね。矢那尾さんはいるかな?』
『昨日帰り際に、明日も仕事だってぼやいてましたよ』
『そっか。じゃあ話しかけないほうが無難だね』
『ですね……ところで香月さん、小日向さんが救世主だって話……私なりに考えてみたんですけど、もしそうだったなら私達ってなんなんですかね?』
りつひーは自然と湧いて出たらしい疑問を口にする。
『なにって……運命の相手って言うか、たっくんハーレムって言うか……じゃない?』
『ハーレムですか……? 本当に一人に対して8人必要だなんて話あるんですかね? 私は運命の相手って居ても一人だと思うんですけどね』
『まぁそれはレヴォルディオン的な話だから……それに熊総理にだってテレパシーは通じたんだし、必ずしも皆が特別ってわけじゃないのかもだよ』
俺が苦し紛れにそう指摘すると、香月さんが『そうかな? 私は運命の相手って一人か8人かは分からないけど、たっくんが運命の相手って割と信じられるかな』と感想を口にする。
『え? そうなんですか?』
りつひーが意外そうに疑問を口にする。
『うん……まぁ、なんとなく、ね!』
『意外……』
『そうかな?』
『そうですよ。だって香月さんっていつもは男を見る目かなり厳し目じゃないですか』
『えーそうかな? それはりつひーも同じじゃない?』
『まぁ、それは否定しませんけど……。それにしたって小日向さんは中卒ニートなわけだし、厳しい目で見ちゃうものじゃないですかね、社会的には』
りつひーが冷静に俺の社会的地位の低さを指摘する。
俺は縮こまってしまいそうだった。
だからそんな気持ちを紛らわせる為に、豪快にベッドに倒れ込んだ。
『まぁまぁ、それはそれこれはこれ……それにテレパシーはあるじゃん?』
『それはまぁ、はい』
『だからたっくんには量子脳なのか救世主なのかよく分かんないけど、とにかく特別な力がありそうってことだけは認めてあげようよ』
『それは確かにそうですけど……あ、マネージャーから連絡だ……。え……? 香月さん! 私、明日、政府の会議に出ろって話になったらしいですけど、香月さんは?』
『えぇ!? 本当に!? 私にはそんな連絡全然来てないけど……って言ってる傍から電話だ! はい、もしもし!』
香月さんは電話を始めたようだ。
どうやら幻聴の方では着実に問題が進展しているらしい。
しかし当の俺には何の連絡もない。
やはり幻聴なのだろう。もしくは別の世界の亜翠さんや香月さん達と繋がっているのかもしれないし、宇宙人から攻撃を受けて遊ばれているのかもしれないという可能性もいまだに頭の隅にあった。
『たっくん! 私も明日の会議に出ろってさ! たっくんには連絡来てないの!?』
電話を終えたのか、香月さんが俺に問う。
『全然全く、音沙汰なしだけど……』
とは言え俺はスマホを持っていないし、家の固定電話は処分してしまっているので、連絡があるとすれば母のスマホのはずだ。しかし母からは何も言われていない。
『熊総理に聞いてみよ!』
香月さんがそう言うので、俺は熊総理を会話の輪にいれるように念じた。
『熊総理……今いいですか?』
『あぁ……小日向くんか……ちょうどいま君と話がしたいって思ってたところだよ』
『はい? なんでしょうか』
『亜翠さんに教えてもらった、君のお母さんの携帯電話にも電話したんだけど繋がらないんだ。どういうことか分かるかい?』
『はい? 母に……? ちょっと確認してきます』
それだけ返すと、俺は二階にある自室を出て一階へと向かった。
「お母さん。ちょっとスマホ貸して、壊さないから」
そう言ってスマホを借りると、着信履歴と電波状況を確認する。
しかし、電波に問題はないようだったし、着信履歴もなかった。
「ありがとう」
スマホを母に返すと、俺はすぐに二階へと戻っていく。
階段を上がる途中、熊総理に報告する。
『確認しましたが、電波には問題ないようでしたし、着信履歴もありませんでした』
『そうか……それはおかしいね。こちらからは確かにコールをしてると言うんだがね、全く出てくれないんだ』
熊総理は不思議そうにそう返す。
『そうですか……皆さんには失礼ですが、これは統合失調症の症状なんじゃないかって俺は思ってます』
自室へついてドアを閉めると、俺はそう言い切った。
そうして再びベッドへと転がる。
『それは……連絡が取れない君がそう思うのも無理はないが、しかし……』
熊総理は俺の言い分に混乱している様子だった。
そこへりつひーが割り込んでくる。
『小日向さん。小日向さんの言い分は分かりますけど、私達には確かにテレパシーが届いてるし、熊総理とも連絡がついてるのは事実なんですよ』
『りつひーはそう言うけど、俺には信じられないよ。だって、俺には一度だって連絡が届いたことなんてないじゃないか』
『それはそうですけど……』
りつひーも俺の言い分になんと返したら良いか分からなくてか、閉口してしまった。
『ごめん……別に責めるつもりはないんだ。もしかしたら皆とは別の世界にいるんじゃないかって可能性もちょっとだけ思ってるし……』
『別の世界ですか?』
『うん。この俺がいる世界とそちらの世界は別の世界なんじゃないかって』
俺がそう説明すると、熊総理が諭すように喋り始めた。
『気持ちは分かるよ小日向くん……けれど、君が我が国の国民であるということまではきっちり確認が取れているんだ。だから別の世界ってことはないんじゃないかな。しかしどういうわけか連絡が付かない。何か特別な理由があってのことかもしれないけれど、私達は確かに君のお母さんに連絡をつけようとしているんだ。ぜひ君にも明日の会議に参加して貰いたくてね』
熊総理は冷静に俺にそう告げる。
『なら……家に直接迎えを寄越して貰えますか?』
俺はいっそそれならば話が早いと思った。
もし迎えが来なければやはり統合失調症であるか、もしくは別の世界か、はては宇宙人によるお遊びか、少しは実態が見えてくるだろう。
『分かった。今すぐに迎えを送ることを約束する』
『ありがとうございます』
俺は熊総理に一応お礼を述べた。
そうして数時間して、亜翠さん達も仕事を終えているであろう頃、しかしやはり俺の元へは熊総理からの迎えは来ていなかった。俺は対して驚かずに自分の部屋で一人、冷静に分析する。
「やっぱり統合失調症かな?」
もしくは別の世界か……。あるいは宇宙人によるお遊びか。
そこへ亜翠さんが帰ってきた。
『ただいまー。ふう、自宅到着ー』
『お疲れ様です』
『うん! たっくんはちゃんと上着買えた?』
『はい。まぁ……でも迎えは来そうにないですけどね』
『うん? どういうこと……?』
亜翠さんが不思議そうに聞く。
『亜翠さん、私、グループメッセージに事情送っといたってば』
香月さんが遠慮がちに指摘する。
『あぁ、ごめん。見てなかった。えーっと……』
亜翠さんはアプリを開いて、テレパシーが通じた声優さん達のグループメッセージを確認し始めたようだ。暫くして亜翠さんから応答があった。
『あぁ……熊総理が迎え送ったんだ? 直接?』
『はい。そのはずなんですが……』
もうあれから4時間は経つ。
仮に東京から即座にxx県のド田舎であるここに迎えの人員が当てられていたとして、4時間も音沙汰がないのはどう考えてもおかしい。
『それはおかしいね。聞いてみよっか?』
『そうですね……まぁ、無駄だと思いますが……』
俺はそう言いながら熊総理をグループに入れるように念を送った。
そうして、亜翠さんが熊総理に話しかける。
『熊総理、たっくんの小日向くんへの迎えの件ですけど……』
『あぁ……その件なんだがね小日向くん。どうも何かトラブルがあったらしい』
『はい? トラブルですか?』
『あぁ……xx県の自衛隊地方協力本部の者を迎えに向かわせたんだがね。なにやらおかしな報告をしてくるんだ』
『どういうことですか?』
『なんでも、君の家の周辺3km辺りに入ってからの記憶がそっくり抜け落ちているらしい。それで何の為に自分がここに来たのかも分からずに、一番近くにあった飯屋で食事をして戻ってきてしまったと言うんだ』
熊総理がそんなへんてこなことを言ってきた。