60 君は僕を知らないで君で/涙のゲームセンター
およそ1ヶ月後の2018年6月某日のイベント当日。
俺は緊張した面持ちで都内某所アニメショップを尋ねた。
会場の開場時間に合わせて来ていたので、ぬかりはない。
俺は会場で本人確認を済ませると、席順抽選権を箱から引いた。
結果は4列目くらいと悪くない位置だった。席に着いてみる。
これなら前に身長の高い人が来なければ、はっきりと香月さんの顔が見える気がした。
しかし、いざイベント開始時刻になる頃には俺は絶望した表情をしていた。
なんと、前の列にいる人が軒並み自分よりも身長が遥かに高い人だったのだ。
何度か確認したが、香月さんが座るであろう席は全く見えそうにない。
八枷や亜翠さん達と喋るわけにもいかず、彼女たちがなにか言ってくることはあった気がしたが、緊張で俺は何も覚えていない。
とにかくイベント開始を待っていた。
前説も終わり、聞き慣れた香月さんの声よりも一段と高い声が聞こえた。
「やっほーみんなー声優の香月伊緒奈です! 今日はイベントに来てくれてありがとー」
大型スピーカーからそんな声がして、実際に見えるわけでは全く無かったが、確かに香月さんの声がして俺は全力で聴覚に集中した。
内容はあまり覚えていない。
だがとにかく楽しいトークイベントだったのは覚えている。
そして最後のハイタッチ会へとイベントは進行する。
俺はスタッフさんに手を消毒してもらい、順番を待った。
そして運命のときはやってきた。
眼の前にした彼女は、俺の思っていたよりも遥かに小さな背丈の女性で、思わず抱きしめていまいたくなるほど愛おしかった。だが懸命にこらえる。それをしたら俺は終わりだ。
そして普通にハイタッチする……のではなく、そっと優しく彼女の手の平に自身の両手のひらを触れる。
そうして、何度も何度も練習してきた成果を見せる為に、俺は言った。
「生まれてきてくれて、ありがとう!」
しかし、彼女は何も言わない。
俺はてっきりその前にハイタッチをしていたファン達と同様に、なにか一言返してくれると思っていたので、数秒硬直してしまう。
普通にハイタッチしないのが悪かったのだろうか。そうかもしれない。きっと気持ち悪いと思ったんだ。
俺は泣きそうになりながら、やはり俺の香月伊緒奈さんではないんだ……という思いが心の内を支配していく。
俺の放った一言に困惑する彼女は、俺のことを知らない。それが彼女の表情から間違いなく感じ取れた。俺は硬直してしまっていたので、慌てて居を正すと、足早に「ありがとうございました」と言って捌けようとすると、彼女も困惑した表情で小さく「ありがとう……」とだけ返してくれた。
俺は凄い速さでイベント会場をあとにすると、近くにあったゲームセンターに逃げ込むように入っていく。
やはり……やはり、俺の香月伊緒奈さんではないのだ。
分かっていても情けなくて悲しくて、どうしようもなく涙が溢れてくる。
『たっくん……』
と亜翠さんはなにか言いたげに俺の名前を呼んで黙している。
そんな時、俺は偶然にもクレーンゲームで香月さんのキャラのアクリルスタンドを見つけた。
それがあたかも救いであるかのように縋り、俺はそのクレーンゲームを始めた。
輪っかを外して取るゲームに何回も連コインしていく。
そのキャラクターは有名なSFファンタジー作品のキャラで、なんと花嫁衣装を着ていた。
なんだか、私がここにいるから! と慰めてくれているような気がした。
ボロボロに泣きながら連コインする俺。
それでも取れず、もう資金も底を尽きそうに成っていた時、男性店員さんが哀れに思ったのかサポートを入れてくれたのだ。
「調整してみたんで、やってみてください!」
「ありがとうございます!」
俺はその調整の結果、数千円かけてようやっと花嫁衣装の香月さんのキャラのアクスタをゲットした。こんな場所で泣いちゃ駄目だと思いながらも涙が溢れてくる。
しかしアクスタのキャラが俺を慰めてくれているような気がした。
『やっぱり、統合失調症なんですよね』
『たっくん、それは違うの……それは……』
亜翠さんが言い訳を並べ立てようとするが、しかし俺はそれを遮るように言う。
『だって、香月さんは明らかに俺に困ってましたよ。やっぱりただの統合失調症で、俺は彼女に大好きなんて思われてないんだって……』
『でもたっくん、きっと量子フィールドがあって、香月さんは忘れちゃうのかも』
りつひーも擁護するような事を言う。
『でも、俺の周囲に量子フィールドが展開されていたのは前の時空、フリーメーソン時空に転移する前のこの時空での話ですよね? 皆さんがこちらの世界に統合されたあとにもあるとは限らないし……やっぱりただの統合失調症ですよ』
『たっくんにはそうとしか思えないかもしれないけど、けど私たちはね? 本当に色々なことを経験したんだよ? それは決して嘘じゃない』
矢那尾さんが自分たちの経験が嘘じゃないと断言し、『うん。それは本当のことだよ』と持田さんも矢那尾さんに乗っかる。
そうしてMioさんが、『分かった! たっくんが統合失調症だと思ってるのは分かった! でも私たちとしてはそれに納得するわけには行かないよ!』と珍しく話をまとめた。
そんなことを話しながら、現実の香月さんが俺のことを知らないという現実に心を打ち砕かれながらも、俺は家への帰路に着くのだった。
第2章 フリーメーソン篇 終わり
第2章フリーメーソン篇はこれにて完結。
次からは第3章多元宇宙篇となります。
続きは鋭意執筆中! またいずれある程度書き溜めができたら投稿させて頂きます。ご了承下さい!
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