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『帰源院の門』  作者: 驢馬人
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第1夜

 昭和の面影を残す古めかしい北鎌倉の駅に現れたのは、想像していた少女とはかけ離れた“今”を象徴するかのような存在であった。

 

 カンカンカンカンと鳴っていた踏切の音は鎌倉方面へと電車が過ぎ去るとともに終わり、曇天の空へと遮断機が上がったのでホーム端の小さな踏切へと普段とは違いわずかな人が流れていく。

 北鎌倉の駅は簡素だ。線路の両側にホームがあり、出入り口は東の鎌倉側に小さな駅舎の改札があるだけであった。

 鎌倉街道に面したメインの改札のある南側ではなく、北側の端には円覚寺方面へと降りる電子チケット専用のとても簡単な出入り口があり、あらかた人が降りた後に“彼女”はそこから姿を見せた。

 正確にはこの段階でぼくは“彼女”が待ち合わせた人物だとは微塵も考えていなかった。


 ぼくが最初に奇異の目を向けたホーム上を近づいてくるそれは人間を模したロボット……であると言って良いだろう。

 頭部に当たる部位には全周に渡って8個のカメラが取り付けられており、各種センサーもそこにあるようだった。

 体幹には2本の腕が人間さながらついている。それは機械とは思えないほど滑らかで繊細に動いていて、お腹が開く形のポーチのような収納から器用に決済端末を取り出して、改札にかざして出てきたのであった。

 足元は音もなく進む電動車いすのようになっている。悪路でも進めるような径の大きな車輪に凸凹した頑丈そうなタイヤが取り付けられており、底面にも斜面に応じて傾斜するキャタピラのような構造が見て取れた。そうだ、ネットで見たクローラ構造に違いない。

 そのロボットはぼくの近くまで来ると少し頭を持ち上げてこちらを見ている気がした。

 

「お、の…おのぐち…た…たかよしさんですか?」

 

 耳につけたコードレスイヤホンから女性の声がしたのでドキリとする。

 ナチュラルな発音ではない。それはボーカロイドの声のような音声だ。

 イヤホンを通じての会話のことは事前に聞かされていたが、同時翻訳によるものだという。最近のそれは驚くほど精度が上がっているのだった。

 事前に指定されていたので、携帯端末には専用のアプリが入っており、ボイスチャットはオンになっていたのだ。

 

「はい。小野口貴義はぼくです。もしかして……貴女が葉淑華いえしゅふぁさんです?」

 

「ええ、このような姿で驚かれたことかと思います。今日はご無理を申し上げて申し訳ありません」

 

 少しのタイムラグは翻訳のためか、それとも通信による距離的な問題なのか。技術的な問題は一介の開業医である自分にはわからなかった。

 知っているのは、彼女が華南共和国、いわゆる南中国から来た一人旅の少女であると言うことだけだった。共産党政権による一党独裁国家の北中国と違って、華南共和国は民主主義で、海外渡航の自由度も高い。

 なんでも観光のための来日だそうだが、北鎌倉の円覚寺を見て回るのに、コンシェルジュAIが選定した案内人に選ばれたのが不思議なことにぼくだという話だ。

 ぼくは趣味でレストランや食べ歩きに関してのレビューをブログやレストラン口コミサイトにアップしているから、てっきり鎌倉周辺での食事込みの目的で選ばれたのだろうと思っていただけに意外であった。

 世界を襲ったパンデミックの後、都会を離れ鎌倉に店を構えたシェフも多かったから鎌倉は外国人客で溢れているのだ。

 事前に食事の予約を取らなくて良いのかと尋ねていたが、返答は必要なしだった。その理由がこれかと腑に落ちた。

 

 そうなると改めて、なぜ、ぼくが?

 

 当然の疑問として湧き上がるが、それを知るのは選定したAIだけだ。理由は分からないが、卒なく手配されたようで、丁寧にも懇意にしている食べ友のラーメンレビューサイト会長からの紹介で今日の案内が決定していた。

 

「いえ、気にならないと言えば嘘になりますが、華南共和国は日本よりも色々発展していますからね。むしろ感心しました」

 

 一昔前に独裁者の台頭を許した共産国家の中華人民共和国は、香港と台湾を中心とした民主国家である華南共和国の独立により北中国と南中国に分裂していた。正確にはチベットも中国のくびきが外れて、インドの保護下にあるから3分割されたと言ってよいだろうか。

 独裁を維持するために歪に発達した監視管理技術と台湾の持つ最先端コンピューターの生産能力が結びつき、華南共和国はかつての中華人民共和国が望んだ発展を皮肉にも民主的に遂げている。


「小野口、は発音しづらいようですね。ぼくは“ろば”とか“ろばさん”と呼ばれていますのでか、そう呼んでください」

 

「ブログのハンドルですね。それでは、私は……そう、“よね”と呼んでください。好きな小説の女性の名前です」

 

 よねはそう言って機械の頭を可愛らしくかしげた。

 その所作はたしかに若い女性のそれだった。

 機械なのに可愛らしいとは不思議な感覚だ。

 

「それではよねさん、ご案内しましょう。円覚寺を見て回りたいとか」

 

 近年、SNSがネット空間内の疑似世界であるメタバースへと結びつき、リアルとは違った発展を遂げる中、海外を始めとした外出を遠隔操作によって行う手法が散見される。

 カメラ付きの機械に行かせて、自分は遠くから旅をするというものだ。

 ロシアのウクライナ侵攻を発端とした戦争が、ドローンによる無人攻撃を発達させ、市街地におけるドローンの使用が逆に規制されたのに対して、地上を走り回る陸上ドローンが許可制で認められたのは記憶に新しい。人手不足に対して増大していく配送物の都市部での配送方法として期待の声が高まったからだった。

 法律の制定に伴い、こういう旅行形式が生まれたのは面白い試みだ。

 

 よねが利用しているのはその最新型と行ったところだろう。

 デジタル先進国の華南共和国らしい技術の結晶だった。

 ガンダムやボトムズなどのロボットアニメを見ながら育ったぼくら世代にはある意味感慨深い。

 

「はい。私は台湾の新竹シンヂューに住んでいるのですが、以前から円覚寺、それも帰源院と呼ばれる場所にはぜひ来たかったのです」

 

 なるほど、台湾の新竹と言えば、華南共和国のシリコンバレーと呼ばれるほど、デジタル技術が進んだ街だ。このような進歩的デバイスがあるのもうなづける。

 そう、一人納得してしまった。

 

「それでは参道のはじめからご案内しましょう」

 

 彼女が直接来れないのには何か理由があるのだろう。その点には触れず、ぼくはにこやかに彼女を誘導した。

 

 最初に横須賀線の駅の出口からすぐの総門に彼女を連れて行ったが、総門の方ではなく反対の線路の向こうにある鎌倉街道側の緑多い池の参道へとまずは手を伸ばした。

 線路の踏切を渡り、円覚寺のとても短い参道に移動する。

 

「白鷺池です。円覚寺開山の無学祖元が白鷺に姿を変えた鶴岡八幡宮の神霊に導かれた場所がこの池だったのだと伝えられているそうです」

 

「とても雰囲気のある場所ですね」

 

 よねは周囲をゆったりと見渡した。

 

 初夏ではあったが、紫陽花は咲き終わり、この朝の台風一過の直後のタイミングでの案内のためか、観光客の姿はまばらだ。いつもよりも断然少ない。予報ではもう少し台風の通り過ぎるのが遅いはずだったので、観光客が出歩いていないのだろう。

 空は晴れているというよりも暗く厚い雲がまだ居座り続けていて、木々の下は薄暗かった。

 雨の後の独特の土の匂いがじんわりと周囲を満たし、雨上がりを喜ぶようなうるさい蝉の鳴き声が逆に辺りの静寂を際立たせていた。

 

「元々は総門の前まであったようですが、1889年の横須賀線の開通によって池の半分が埋め立てられてしまったようですね」

 

「1889年というと、夏目漱石がこの円覚寺に禅のため止宿されたときにはすでに参道を線路が横切っていたということですね」

 

「よくご存知ですね。漱石の『門』に描かれていた禅の修行場所のモデルが円覚寺だなんて、日本人でも知っている人は少ないですよ」

 

 はたと気がついて、ぼくは頭を書いた。

 

「それ以前に、『三四郎』、『それから』に続く長編三部作最後の『門』を読んだ人自体、現代人には少ないかもしれませんね」

 

「それは日本でも動画主体で、活字離れが起きているからですか?」

 

「ええ、その通りです。もっとも、近代日本文学より、今の日本や漫画やライトノベルの方がカルチャーとして確立して、海外へ発信するようになっていますね。純文学を愛する人自体が減っているのでしょう」

 

 そこで、よねの視線というか、頭部が円覚寺の、総門の方へと向いたので、また線路を渡って円覚寺へと入るように歩を進めた。

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