3.
何の進展もないまま季節が過ぎていった。世間は緑と赤に彩られ、もう数日もすれば街中に流れる音は和楽のものに塗り替わるだろう。
その日はサークルの友人との約束で、午後から出掛けるところだった。くあ、とあくびをしながら乗り込んだ電車の中に、朝の見慣れた顔を見つけ表情がこわばった。相手も仁に気付いており、ばっちり視線が絡み合っている。
「アイリちゃん……?」
思わず呟いてしまったと思ったが、彼女の耳にはしっかり届いてしまったようだった。目を大きく見開いて驚きの表情だ。
「ごめん、友達と話してるのが聞こえちゃって。キモかった?」
「―――いえ、大丈夫です」
「改めて、自己紹介しとこうか。滝野仁です。さんずいに竜の野原に、仁義の仁」
「わたしは、……親しい人はアイリって呼ぶので、それでお願いします」
あわよくばフルネームを教えてもらいたいと言う下心で漢字まで説明してみたが、彼女は困ったように笑っただけだった。
予期せぬ邂逅に戸惑い何と声を掛ければいいか分からない。と言うか若干舞い上がってしまっている。
「今日は学校じゃないよね。買い物かな?」
制服姿ではない。茶系のツイードコートに黒のマフラーを巻いている。足元にはショートブーツ、防寒対策はきっちりしているようだ。
「買い物ですね。兄が結婚するので、二人にお祝いを贈りたくて。滝野さんもお買い物?」
買い物だとすればご一緒出来たかもしれないと残念に思いながら首を振る。
「サークルの奴と一緒にバスケの試合を観戦しに行くの。オレの知ってるとこが出る訳じゃないけど、まあ付き合い上ね」
仁の返答に天使はころころと笑いを漏らした。
「良かった、お友達出来たんですね」
「―――その節は、大変情けない姿を晒しまして失礼シマシタ」
恥ずかしさで居た堪れないが、あの出会いがなければ知り合うこともなかったと思えば耐えるしかない。また、弱い姿を知るからこそ彼女も仁の事を放っておくことが出来なかったのだろう。
「何とか楽しく大学生やってますよ。サークルもまあ、居心地いいし」
「それはホント良かったです」
「きみは? 受験生だろ、どこ行くか決めた?」
物凄く聞きたいことだった。朝の電車内ではその手の話題が出ていなかったので、今の時点で仁は彼女の進路を知り得ていない。この偶然の出会いを利用して、彼女の今後を何としても知りたかった。
だが彼女は一瞬肩を揺らし、見上げていた視線を落とした。少しして、小さな声でぽつりと告げる。
「受験はせずに就職組です。わたしの学校12月に卒業試験終えたので、一月からはあんまり登校することもなくなるんです。春までは免許取りに行ったりとかすることになりそう」
受験はしない。では大学生になることなく社会人への一歩を踏み出すと言うことだ。大学生と言う同じ土俵に上がると思っていただけに、一歩先に置いて行かれた気分になった。
「就職決まったんだね、おめでとう! あぁでも、きみの方が社会人の先輩になるんだ……なんか先越された気分……」
欲を言えば同じ大学を目指してくれればと期待していた。駄目でも都内の大学なら、どうにか伝手を使って大学間の交流を図ることも出来ただろう。何とか接点を持ちたかったが、社会人と大学生では己の方が精神的にまだまだ幼いようで気が引ける。
ふと気づくと、彼女が驚いたように目を丸くして仁の顔を見上げていた。仁のへこみ具合に驚いているのだろう。
「何だろ、きみが立派に自立しようとしてるのに対して、オレってもう居ない親の脛を今もまだ齧ってんだなぁって打ちひしがれてた」
「自立って言っても、まだしばらくは結婚した兄夫婦の家に同居させてもらうんですけど」
「それでも自分で収入を得るんだから凄いことでしょー」
話の流れから職場も同じ沿線で通うことを知り内心でガッツポーズをする。ちなみに彼女の乗る駅と仁の駅の間には急行が停まる駅もあるが、混雑を避け今まで通り各駅停車の電車を利用するつもりとのことだ。唯一の接点である電車内での邂逅をこれからも失わずに済んでほっとした。
いつもより長い時間を並んで過ごし、他愛無い雑談に興じる。降ってわいた幸福な時間だ。
「うん? なに?」
ふと気づくと彼女が仁をじっと見上げてきていた。身長差はおよそ20センチほどある。頸の角度が辛そうに見えて腰を屈めて顔を近づけると、彼女は仁の瞳を覗き込んできた。
「もしかしてカラコン入れてます? きれいですね」
「ああ、これか」
前髪を長めに伸ばして影を作るので普段はあまり興味を惹かれないが、仁の髪は明るめの茶色で瞳の色はグレーである。髪色は母親譲り、瞳の色は母の方が青味が強かった。
「よく気付いたね、でもこれ自前だよ。母親がハーフなんだってさ」
どこの血が混ざっているのかは仁も詳しくは聞いていない。母は毒親に育てられ、成長して逃げ出した人だった。仁が中学生の頃夜中に祝杯を挙げていて、聞けば親の死亡を知り縁を切る手続きをようやく終えたとのことだった。優しい母が他人の死を寿ぐ様にショックを受けたが、父から後程事情を説明された。ちなみにこの時父方の祖父母についても尋ねてみたら、実父は父が小学生の頃に亡くなり、中学生最後の年に母が再婚しその際養父と養子縁組をしたが、父が二十歳の頃に実母が亡くなったのを期に縁組は解消したらしい。つまり仁には祖父母と呼べる存在は一人もいなかった。
それでも父がいて母がいた。家族三人だけの生活だったが、慎ましくも尊いものだったと断言できる。髪や目の色で地元のヤンキー共には目を付けられることがあったが、それでも色を変える気にはなれなかった。
「きみが気に入ってくれるなら、嬉しい」
本当に嬉しくて自然に笑顔になったのだが、互いの顔が近いことに気付いた彼女が慌てふためいて視線を落とした。だが髪の隙間から僅かに見える頬が紅潮している様子に照れていることが良く分かる。少しでも仁を意識してくれるなら有難い限りだった。
こうやってゆっくりでいい、徐々に距離を詰めていきたい。でも早く捕らえてしまいたい。矛盾するがどちらも正直な気持ちだった。
こうした接触があと一年も続かないと、知らないからこそ幸せに浸っていられたのだ。
投稿の仕方を試してみたかったので一応満足しました。男女のダブル主人公での物語を考えているので、いずれそちらの方に吸収させます。




