2.
二週間前に座らされていたベンチにて、仁は入ってきた電車から出てくる人波をじっと眺めていた。求める人は以前助けてくれた女子高生だ。前回ここで出会ったのだから、彼女の利用する駅はここで間違いないはずだ。
ポンコツだった先々週の自分だが、恐らく時間帯は今のものでそう外してはいない筈だ。一応早めに着いて彼女の到着を待っているが、かれこれ三十分ほど経っているので不審者と思われはしないかと多少ひやひやしている。
「あ、」
電車から出てくる人の波の中に、一際鮮やかな色彩が見える。その人物を見つけた途端、停車していた電車もそこからあふれる人たちも、何もかもがぼやけて背景となり、その女子高生を仁に際立たせて見せてくる。
「ねえ、きみ!」
座っていたベンチは端の方にあったため、改札へ向かおうとする彼女を大股で追って腕をつかむ。びくっと震えた肩と振り返って見上げてくる瞳に怯えの感情を見つけ、慌てて手を放しホールドアップの体勢を取った。
「驚かせてごめん、君にお礼が言いたくてここで待ってたんだ」
「ねぇちょっとアイリ、知り合い?」
彼女の隣にもう一人、女子高生がいたようだ。制服は違うが朝の通学を共にしているところを電車内で見かけたことがある。その友人が仁を警戒しながら耳打ちしているが、地獄耳と恐れられた仁の聴覚はきちんとその言葉を捕らえていた。
「え? えーと、うん……知り合いって言うか……」
「ごめんね、二週間ぐらい前に電車乗り過ごしてここで途方にくれてたところ、助けられたんだ。滝野って言います。地方から上京したばかりの大学一年生」
どう説明しようか言いあぐねている様子に仁から簡単に自己紹介をしておく。恐らく彼女からは自殺を疑って助けたことなど、暴露しにくいことだっただろう。そんな心根の優しさも仁には好ましいものに映る。
「いろいろ親切にしてもらった上に、年下の女の子に奢られっぱなしじゃ情けないでしょ。同じ沿線で実は朝見かけたこともあるんだ。でも電車内じゃちょっと声掛けづらくて」
同じ沿線を利用しているのは事実だ。だが見かけたのは偶然ではない。意図して仁が探し出した。
視力は良くも悪くもないが、動体視力の良さには自信があった。彼女の通う学校が沿線にあるのは制服から分かっていたので、朝の通学時間帯に駅で電車内をじっと観察し、彼女の利用する電車を特定し同じ車両に乗り込むようにしたのだった。電車内の人の多さに特定は時間がかかると覚悟していたが、始めて三日目で彼女を見つけ、その後はつかず離れずの位置を保って彼女とその友人の通学状況をこの一週間ほど見守っていた。
地獄耳と友人たちに恐れられただけあって、電車内の混雑の中でも仁はノイズをひとつづつ取り除くことができる。そうやって彼女たちの会話に注意を払った。天使の名前は友人の呼ぶ声によって判明した。アイリ、どういう字を書くのだろう。愛の字は似合いすぎて間違いないだろう。愛の里でアイリだろうか。ちなみに友人の名も分かっている。ミワとよく呼んでいたが、三輪か美和、姓か名かの判断はつかないがそれは別にどうでも良かった。
「ハンカチ駄目にしちゃったからお詫びとお礼。口に合えばいいんだけど」
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。あの時は本当にありがとね」
周囲にリサーチして人気の高かった可愛いクッキーの詰め合わせ缶と、貸してもらったものと同じブランドのハンカチとを入れた紙袋を押し付けるように彼女に渡す。初対面ではないがまだこちらを警戒している様子の少女たちにこれ以上の接触は余計な忌避感を抱かせるだろう。当初の目的は礼を言うのと、己の存在を認知してもらうこと。この二点は達成できたと判断し仁は名残惜しさを見せないように背中を向けてその場を去った。反対のホームへ移動する際に気付かれないように様子を伺うと、友人の方が紙袋の中身に興味を示しながらも改札を抜けていくところだった。
恐らく明日以降、朝の電車内で彼女は仁の存在に気が付くだろう。そこで積極的にアタックを掛けていく気はまだない。ここ十日足らずのことではあるが、彼女はどうも男性に対し苦手意識を抱いているように見えた。それなのに自分に声を掛けてくれたのは、余程に弱って見えたからだろう。ゆっくり時間をかけて、仁が無害であり、安全であり、傍によっても大丈夫な男であると受け入れてもらえるように行動するつもりだった。
「さぁて。明日からが楽しみだ」
姿を見られるだけでも嬉しい。翌日の、ほんの数分だけの出会いに期待して、仁は帰宅の途に就いた。
二人の朝の通学が重なるのはほんの二駅分の区間である。田舎の二駅ならまだしも、都会の二駅分は本当に短い。それでも仁が電車に乗るときに気付けば目礼してくれるし、先に電車を降りる彼女はまだ社内に残る仁に再度会釈をくれるのだ。それだけで大満足でさわやかな一日の始まりを迎えられる。
数日そんな状態が続いて、仁がさあこれから大学へと電車を降りたところで声を掛けられた。女子高生、見たことのある制服だ。記憶を手繰り、天使の友人だと思い至る。
「あの子のことで確認したいことがあるんですが、お時間取れる時ってあります?」
大勢の人間が乗り換えのために移動しているホーム上である。人波を避けて脇に寄り、少し考えて見せる。
「うーん、今だったらちょうど空いてるよ。なに?」
「え、今はあたしも学校が……」
ちら、とホームに設置された時計に目を走らせる。高校の始業は大学よりも早い。向かうなら時間を無駄には出来ないだろう。
「オレの方は時間があるから送ってくついでに話を聞こうか。学校ってこの近く? 歩き? それとも乗り換えなの?」
「えっと、最寄が茗荷谷で」
「池袋から丸の内線? 二回も乗り換えて通うなんて大変だねえ」
改札に向かうつもりの足を乗り換えの為に切り替える。後ろからついてくる女子高生の目つきが胡乱なものになったのが見もしないのに感じられた。
「地方から上京したばっかりなんですよね?」
「何か月経ったと思ってるの。路線図なんてとっくに頭に入ってるよ」
「でもあの子に会ったのって、電車乗り過ごして困ってたって。わざとそんなことしたんじゃないの?」
「いやー、あの時はほんとポンコツだったから、オレ」
乗り換えた電車はかなり混雑していた。一応レディファーストとして女子高生をドアの傍に立たせ潰されないような位置に立つ。
そんな気配りをしてやる仁に対し、女子高生は不審者を見る眼付きだ。仕方ないなと内心ため息を吐きつつ補足する。
「最初の出会いは本当に偶然だったんだって。彼女から聞いてない? あの頃のオレは両親亡くした直後で茫然自失状態だったんだ。それを救ってもらったんだよ」
「え……っと、」
「もうちゃんと復活してるから労いの言葉なら不要だよ。君も友達思いのいい子だねえ。オレに釘差しに来たんだ?」
釘を刺しに来た上に、彼女の情報を仁になるべく与えないよう注意している様子も見られる。現に女子高生は彼女の名を仁の前では出そうとしていない。実際には既に盗み聞いているのだが。
「……だってあなた、軽薄そうなんだもん。ともだち傷付けられたらヤだし」
「軽薄そう? オレが?」
「態度とか、髪型とか見ると、そんな感じ」
長めの前髪をいじってみる。緩く癖のある髪の色は明るめの茶色だが、地毛の色だ。そもそも脱色や染色は今時珍しくもない。かく言う女子高生とて茶髪のゆるふわパーマである。では髪型は後付けの理由で、態度が問題なのだろうか。
「自慢じゃないどころか自虐になるけど、オレ、恋人いたことないよ。運動部で周りヤローばっかだったし」
「その割に女性への対応手慣れてるような」
「学校自体は共学だしなあ、そりゃ話したりこき使われたりはあったから、怒らせちゃならない対応の仕方くらいは学んでるさ」
言ってみるも女子高生は納得がいかないようだった。
「じゃあ聞くけど、オレの何に警戒してんの? オレ何か不審な行動でもしてた?」
「―――最初はほんとに偶然だったとしても、あの子に、付きまとってるんじゃないかなって」
「朝通学の電車でものの数分見かけるだけなのに?」
電車内では声を掛けることもない。車両は同じでも近寄ることはしてないからだ。警戒されないようじっと見つめることも控えている。密かに聞き耳は立てているのだが、端から見には気づかれない筈だ。
「でも大学って毎日朝早い訳じゃないでしょ。なのにいっつも同じ時間の電車に乗って来るし。わざわざ会おうとしてるのかなって」
「一年生の一般教養課程だと、結構朝から入ってるのも多いけどねえ」
こちらを見上げてくる女子高生の声に甘えの色が滲むのを感じ、仁は彼女に対しての作戦を変更する余地があると感じた。彼女らに無害であるとアピールすると、どうやらこの女子高生に対しての好感度を上げる結果となるようだ。
「でもまあ、時間をわざと合わせてるってのは認めるよ。今日だって一限目から入ってたわけじゃないしな」
さらりと暴露する。他の日も、たとえ一限目からある日だとしても同じ電車に乗ると大学に着くには早く、意外と時間を持て余す。最近のルーティンは大学近くで朝食をとりつつ予習をすることだった。
「たとえ二駅分の時間でも、好きな子に会いたいって思うのはそんなにおかしい?」
誤解のないようにここではっきりと女子高生ではなく彼女に好意を寄せているのだとアピールしておく。彼女の方が先に電車を降りる分、電車内で過ごす時間が長いのはこの女子高生の方なのだ。たとえ傍に寄る訳でなくとも、自意識過剰に勘違いされるのは御免である。
「きみの言うように、オレだって彼女を傷付ける気はさらさらないよ。きみら三年生だろ? 受験終わるまでは見守るだけのつもりだし」
仁自身、高校三年の夏ごろからはクラスの女子や下級生に告白され煩わしい思いを感じたものだ。受験の追い込みの頃合いにあれこれ呼び出されたり泣かれたりするのは本当に面倒だった。落ち着くまで待ってほしいと訴えるも、卒業後は地元を離れるのだから思い出作りに専念しろと自分勝手に切れられた。自分がうんざりさせられた分、他人には、彼女なら尚の事嫌な気分にはさせたくない。
「高校在学中はオレの存在を認識してもらうだけでいいかと思ってる。迷惑かけるつもりは誓ってないよ」
男に対して苦手意識を感じているらしい彼女だが、初対面の印象で仁の事は気にかけてやらないと危うい存在だとでも思っているのだろう。あまり壁は感じない。そのまま存在に慣れて、受け入れてくれたらそれでいい。長期戦は覚悟の上だ。
「今は朝数分会えるだけで、十分満足してるよ」
「……何それ。あの子の事は会いに行けるアイドルみたいなもんなの?」
「ああ! 確かにその通りだ。知ってる? アイドルって偶像とか崇拝する対象なんだって。彼女はオレにとっての天使そのものだよ」
うっとり微笑んで見せると女子高生は若干身を後ろに引いた。ドン引きされるくらいがちょうどいい。彼女の近くにいる存在に変に好意を持たれるのは後々厄介ごとを引き起こしそうだ。
「それで、確認したいことってオレが彼女に本気の好意を寄せてるかどうかってことでオーケー?」
そろそろ女子高生の目的地に着く。話を纏めにかかると、しばらく思い悩んだのちに女子高生は頷いた。
「あの子に迷惑かけないって言葉に期待してますからね」
そう言い残して、仁を置いて電車を降りて行った。別段友人の許可を必要としてはいないが、反対されないのなら好都合だ。
こちらを振り返りもしない女子高生にひらりと手を振って、仁は己のスマホを取り出す。この電車から自分の目的地への最適な乗り継ぎを調べるには、やはりネットを使った方が便利だった。
人物紹介(登場時)(5~6月くらい)
滝野仁
大学一年。18歳。
癖のある赤味の強い茶髪で前髪は長め。灰色の瞳。若干タレ目のため柔和な印象を与えている。
身長は高校三年時に178cmだった。伸びた自覚はあるが興味ないので測っていない。
大学進学を期に天涯孤独の身に陥った不幸人。
芦屋愛鈴
高校三年生。17歳。
肩先までの黒髪ストレート。
身長はギリギリ160cmに届いた。
年の離れた兄と二人暮らし。
立花美和
高校三年生。17歳。
茶髪のショートボブに天パの癖毛あり。
身長163cm。愛鈴の友人。
毎朝電車で一緒になるイケメン大学生はもしかしてあたしに気があるかも?と一瞬期待しかけたが、ものの見事に玉砕。
というかリアルで天使呼びする男の存在にドン引いた。




