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「っ……うう、いてて」
青い空と白い雲が見える。
どうやら、仰向けに倒れてしまって気を失っていたようだ。
体中がずきずきと痛む。頭はとくに痛い。
後頭部を強くうちつけたからだろうか。
「ええっと、そうだ! たしかトラックがもうスピードで近づいてきて……」
それでたしか、ひかれちゃったんだっけ?
てことは、その後吹っ飛ばされて気絶してたってことかな……
頭を押さえながら、おもむろに上体を起こした。
「あっ……! お……起きた!?」
「っ……!? リリィちゃん! よかった! リリィちゃんが起きたよ!」
すると背後から唐突に声がかかる。
見知らぬ女の子の声だ。
ふたりいるみたいだ。
歩道にいた通行人の女の子だろうか?
しかし、違和感がある。
これって、外国語かな? その割にはなんて言っているか理解できるし……
「リリィ……ちゃん?」
それに体の感覚にも違和感がある。
自分の体なのにまるで別人の物のような……
地面についた手のひらの感触も固いアスファルトのそれではなく、やわかくて冷たい土の感触だ。
なんだか不思議な感覚に包まれながら、その声の方向を向くと、少女たちがわたしに抱きついてきた。
「ぐへっ!!」
「よ、よかった!! 心配したんだから! 剣術の練習の途中で転んで頭打って動かなくなっちゃって!」
「そーだよ! 死んだかと思ったんだからっ……」
ふたりは緊迫した声で、そういって、強く腕に力を入れた。
わたしの中で違和感が急速に膨張を始める。
……どういうことだろ。剣術の練習?
そんなものをしていた覚えはないよ?
ふと下を向いてみると、細い腕と小さな手がかいまみえた。
明らかにわたしのものとは別人の手だ。
肩から流れるように下ろされた髪の毛は黄みがかった薄いベージュ色。
それも明らかにわたしのものではなかった。
それにやっぱり二人の話している言語は日本語ではない。それどころかわたしの話す言語も日本語ではない。
「あれ、たしかわたしトラックに引かれて……え……?」
続けて、顔を上げて周囲を見渡す。
そこにはわたしが想像していたものは何もなかった。
そびえ立つビルや行き交う人々、わたしが渡ろうとしたスクランブル交差点などどこにもなくて。
ただただ、風を受けてさんざめく、青々とした麦畑がどこまでも広がっている。
地平の彼方まで、視界をさえぎるものなど何もない。
明らかにわたしがもといた場所とは別の場所だ。
「トラック? 何それ。本当に大丈夫? 頭打って、おかしくなってないよね?」
「とりあえず、今日は安静にしていた方がいいかも。剣術の練習は終わりにして、家までおくりましょ」
二人は包容をやめ、膝立ちの姿勢でわたしの横に立つ。
わたしは二人の姿を尻目に、眼前に広がる景色にただただ言葉を失った。
もしかして……
いやあ、まさかね?
そんなはずはないよ……
その光景を見て、とある疑念が渦巻く。
トラックにひかれて、暗転し死んでしまったと思ったら、てんで知らない場所で目が覚めた。そのシチュエーションをよく知っている。
わたしが熱中するほど好きだった連載漫画の冒頭がたしかそうだった気がする。
わたしが夢中になって読んだ、ラノベの始まり方の多くがそうだった。
「ほら立てる? もうホントにリリィはドジなんだからさあ。無事でよかったけど」
「リリィちゃん、頭痛くない? もし、辛かったらいってね。二人で家まで運んであげるから」
二人の少女がそう言って、わたしの腕をつかみ上に持ち上げた。
二人の力を借りながら立ち上がる。
これって異世界転生ってやつでは?
漫画や小説にめざといわたしはそう思いたつ。
しかし、すぐにぶんぶんと首をふって自分の考えを否定する。
いくらなんでもありえない。そんなことが現実に起こるなんて……
「何考えてるのかな……わたし……」
そのとき、ふいに二人の後ろを何かが駆けていった。
よく見るとそれは、角が三本もあるへんてこな形の牛だった。
「ふえ……?」
その見たこともないような姿の牛にあっけにとられる。
しかし、それだけではない。
さらに後ろから桑をもった農夫のような人間とローブをきた男が現れて、それを追いかけるように走り去っていく。
「魔導士さん、そいつだ! そいつを捕まえてくれえ!」
「了解した……任せてくれ」
大声でクワを持った男が叫ぶと、ローブの男が杖を取り出してかまえる。
ローブの男が牛をめがけて杖を振るうと大量の土砂がどこからともなく現れた。
重力などまるでないかのように浮かび上がったそれは流体のように動き纏わりついて牛の動きを封じた。
種も仕掛けもありそうにない。
奇々怪々な現象が目の前で繰り広げられる。
男が放ったそれはどうみても、ファンタジーでよく見かける魔法だった。
「もしかして、この世界には魔法が存在したりする? なんて、聞いてみたりして……あはは」
あまりのことに脳がおいつかず、とっさに言葉を投げかける。
「何言ってるんだこいつ。頭打って、おかしくなっちゃった? あるわけないじゃん!」と笑われるような滑稽な質問だろう……
現実とファンタジーの区別もつかなくなったのかといわれてもおかしくはない。
しかし、尋ねずにはいられない。
この不可解な現象を説明できるだけの柔軟な脳をわたしは持ち合わせていない。
「ぶ、はははっ、いきなりなにいってんのさ。そんなもの存在するに決まってるじゃん! 何当たり前のこと言ってるの?」
「ふふ、リリィちゃんたら冗談好きなんだから」
彼女たちは笑いながら無慈悲にもそう言った。
その言葉を聞いて、わたしは額に汗をかきながらひきつった笑みを浮かべる。
そんなバカな!
いや、しかし……
目の前で起こった出来事はたしかに本当のことで……
「…………」
暫く黙っていたが、しだいに状況を理解する。
わたしの中の常識をつかさどる部分が悲鳴を上げ、心の中の何かが決壊した。
「そ、そんな! 本当に転生しちゃったっていうの!?」
「ど、どうしたの!? リリィ!? いきなり叫んだりして」
「異世界? 転生? 何言ってるの?」
わたしはたまらず発狂した。
二人の少女が丸く目を見開いて驚いた。
いや、そんなに驚かないでよ! 驚きたいのはこっちなんだから!
「リリィってだれ?! もしかしてわたしのこと?!」
「うん、そうだけど……」
「ここどこ? あなたたちはだれ?」
「トートルペリの直轄領内、王都トルト周辺にあるノイナ村。ぼくはラナ。こっちはメーロル」
「にほん、あめりか、いぎりす、ちゅうごく、ふらんす、いんど、どいつ」
「な、なに? お菓子の名前?」
「そ、そんな!!」
反応を見るかぎり、嘘をついているようには見えない。
「どうなってるの!? 異世界に転生!? そんなの絶対おかしいよ! 現実に起こりうるわけない!!」
ゆ、ゆめに違いない! でなければ何かのトリックだ!
「ちょ、ちょっとリリィちゃん!?」
「何やってんのリリィ!?」
半狂乱で周囲の岩に頭を打ち付ける。
しかし、一向に目が覚める気配はなかった。
むしろ岩の方が真っ二つに破壊される。
夢なんかじゃない!! しかも、岩がっ!!
「痛あぁッ!! ど、どうなってんのこれえ!!?」
「どどど、どうしよう! リリィが本格的におかしくなっちゃった!」
「やっぱり頭を打ったのがダメだったのよ!」
この痛みは本物だ。
しかも、岩が簡単に割れて!?
夢にしてはあまりにも意識や感覚が明瞭すぎる。
でっかい岩に頭を打ちつけて岩の方が割れるなんて現実には起こらない。
つまりほんとうの本当に異世界に来てしまったということだ!
「そ、そんな……」
「だ、大丈夫? リリィちゃん……?」
絶望と驚愕のあまり尻餅をついた。
ショックで全身の力が抜ける。
そんなわたしの様子をみて、二人が焦り出した。
無理もない。
二人の会話を聞いているかぎり、この体の持ち主は二人の知り合いだったみたいだ。
知り合いがいきなり変になったら、心配もするだろう。
「と、とりあえず、家までおくりましょ! 今日はもう安静にしてなくちゃ」
「そ、そうだね!」
二人はなにかを決意したように頷きあい、わたしの体を持ち上げようと引っ張った。
抵抗しようとしたが、腰が抜けてしまっており、動くことができない。
脇の部分と足を抑えられ、されるがままに宙に浮いた。
「ふぇえええ、ちょっ……ちょっと!」
「とりあえず、リリィちゃん。今日はもう安静にしててね。家まで送るから」
「え、家ってなに!? どこなのそれ。わたしの家? え……?」
「そうだよ、リリィの家。ベットで休んだほうがいいって」
仰向けのままの格好で少女達に連行される。
どうやらわたしをこの体の持ち主、リリィちゃんとかいう少女の家へ運んでいくらしい。
二人の両手に揺られながら、5分くらいの距離を移動した。
すると木造の一軒家が見えてきた。
けっこうな大きさを誇る家であったが、日本の一般家屋よりもずいぶん作りが質素だ。
「とりあえず、おばさん呼んでくるから、それまでベッドの上で待っていてね」
二人は家の扉の前まで来ると、蹴っ飛ばして開けてかってに中へ侵入した。
どうやらカギはかかっていなかったようだ。
二人は家の中をおもむろに見渡した後、簡素なベッドを見つけそこまで歩いて行った。
わたしをその上に横たえた。
ギシギシと体の重みで、ベッドの脚がきしむ。
「また様子を見に来るからっ」
そういうやいなや、すぐに二人はもと来た道を引き返してしまった。
ぽつんと一人、ベッドの上に残される。
やばい本当に異世界にきてしまった。
まさか自分が来ることになるなんて……っ。
顔から血の気が引いていく。
一人になって、得体の知れない恐怖に苛まれる。
ふと窓の外を見る。
ローブをきた男が杖を振るって何かをしていた。
男が杖を振るうたび、どこからともなく水があらわれて、樽の中を満たしていく。
やっぱりどうみても手品には見えない。
ま、まほうだよね? あれ……
とっさに顔を反らした。
現実を直視したくなかった。
ベッドから飛び起きるようにして立ち上がった。
家の中を幽霊のように力なく徘徊する。
頭の中は混乱したままであり、現実を呑み込めていない。
もはやまともな思考はできなくなっていた。
とりあえず、どうしよう……
そういえば昔、両親の出張で海外までついていったときにお母さんが「外国で困ったことがあったら、大使館に助けてもらうのよ」とか言っていた気がする。
そうだよ! 大使館だよ! 日本の大使館なら助けてくれるはずだ!
パニックになったわたしは右往左往しながら、考えた。
でも大使館までの道がわからない。
電話でタクシーを呼べばいっか!
スマホ、スマホ……
ポケットをまさぐるが、当然そこにスマホなどあるはずもなかった。
……って何やってるの、わたし。
異世界に大使館やタクシーがあるわけないじゃないか。
あほなのか、わたしは……!
頭を抱えながら、しゃがみこむ。
とりあえず、落ち着こう……!
ここは異世界だけども、外国にはちがいない。
外国で迷子になっているんだからとりあえずわたしのいる場所がどこかということは知っておかなければならないのではないだろうか。
わたしは極めて冷静にポケットからスマホを取り出そうとした。
スマホ、スマホ………………って!
いやだから、そもそもスマホがないんだった!
何やってるんだ、わたし!
というか、百歩譲ってスマホを持ってきてたとしても、通信衛星がないからグーグルマップもGPSも使えないじゃん……!!
自分のバカさ加減がほとほと嫌になった。
何考えてんの……ほんと……
もうこうなったら、開き直って現実逃避でもしてやろうかな。
そんな気分になる。
正常な状態なら絶対に思わないだろうが、いたって混乱していた。
漫画でも呼んで暇を潰そう。
そう思って、かってに家の本棚を物色し始めた。
「えーと、なになに? 特殊な毒に対する回復魔術の学術書、効率的なポーションの精製方法……はあ!? わけがわからないよ!」
しかし、そこにあったのは漫画とはほど遠いものであった。
何やら、よくわからない専門用語が書き記されてある分厚い本しかない。
小説などの物語調になった本すらない。
「もしかして、漫画ないのかなこの世界……」
ふと、そんなことが頭をよぎる。
顔から血の気が引いていくのを感じた。
そういえば、唐突の転生というあまりにも衝撃的な出来事で考える暇もなかったが、よく考えてみればこの世界の娯楽文化は発展しているようには思えない。
漫画という文化がある可能性は限りなく低いのではないか。
そもそも漫画は地球特有の文化で異世界にあると考えている時点でおかしな話だ。
漫画のない世界で今後生きて行かなければならない。
ふいにそうおもいたったとき、底知れぬ恐れを感じた。
「あはは、まさかね……そうだ! 応募した漫画の続きでも考えようかな……」
わたしにとって、漫画は心のよりどころである。
物語でポップカルチャーというくくりなら、アニメや小説なんかも大好きだが、漫画はその中でも特別な存在であった。
ずっと一人きりだったわたし。
物語の中の世界にあこがれ、その中に入り浸ることで寂しさを紛らわそうとした。
嘘の世界の中で、わたしではない他の誰かの人生を追うことで孤独な人生に彩りを添えた。
そして「異世界と幸せを呼ぶ剣」と出会って進むべき道を見つけたのだ。
だから、それを奪われるのはつらい。
大使館がなくても、タクシーを呼べなくても、スマホを取り上げられてインターネットが使えなくても百歩譲って我慢できるが、漫画だけはダメだ。
それがなければわたしは生きる意味を見失ってしまう。
「ペンと紙さえあれば、絵は描けるんだよねえ……」
現実を直視するのが、嫌で
深く考えれば終わりのような気がして、
逃げるように漫画の続きについて考えた。
応募した漫画はあれで終わりではない。
頭の中ではストーリーが続いているのだ。
全くそんなこと、この場で考えても何の意味もないのに。
別世界にいる今に考えることではないのに。
混乱極まったわたしは、心の平穏を得ようと、あるいは現実から逃走をはかろうと必死だった。
机の上に置いてあった、わら半紙のような色合いの紙と、四角形に尖ったぼろっちい鉛筆をむんずと引き寄せて、目の前にかまえる。
「と、とりあえず、手を動かしながら考えていこう……その方がはかどりそうだし」
そう思って、絵を描こうと手に持ったペンを紙の上で滑らせた。
「あ、あれ? なんで……思うようにかけない……!」
しかし、わたしの手はわたしの意思に反して、思うように動いてくれなかった。
いつもさらさらと綺麗に引かれる線が……形よく描かれる円が、重力干渉兵器の影響を受けた力場みたいにぐにゃぐにゃと曲がって、滑稽に紙の上に現れていく。
「何この絵!? まるで幼稚園児が描いたみたい……」
完成した絵を見て、絶句する。
紙に書かれたものは精神年齢20歳の大人が描いた絵とは思えなくて……
古代の洞窟に描かれた壁画をさらに醜くしたような出来だった。
「もしかしてわたし……画力を失ってしまっている……?」
なぜ? なに? どうして?
そういえば、この体が自分のものじゃないことを思い出した。
身体が自分のものじゃないってことは、わたしが積み上げてきた技術や長年培ってきた感覚がリセットされていてもおかしくない。
「そんな…………なんで」
ショックのあまり、持っていた鉛筆を落とす。
右手が震える。
わたしは前世の能力をすべてなくしてしまっていた。