あの世でも獄卒でブラック
酔生夢死、何もせずにぼんやりクラゲのように生きる。
並大抵の人間にはできぬことである。
しかし、それがこの男にはできてしまった。
男の人生はなんという事はない。ただ単に人と同じように学校に通い、当世風に流されるまま手に職も付くわけでもない大学に進学した。そして、そのまま新卒で就職したブラック企業に疑う事もなく勤め上げた。新卒で入らんでも良い会社に就職したことは、男も十分承知していたのである。
だが、それは自分自身の人生を否定されるのが怖く、考えないようにしていた。一日の半分を労働に費やし、傾きかけた会社に身を置く。窮鼠猫を嚙むというが、実体のない猫の姿に脅かされる日常を送る。
そんなだから、女も振り向くはずもない。一日の半分も労働に費やしているのだから、女との出会いも無くて当然のことであるという人もいるだろう。
しかし、身だしなみを整えたり、実家から自立しようとしなかったり、見合いの場に出向かなかったのは、男自身の選択である。何かと忙しいだのと理由を付けていたが、本当の所は他人に自分の好意を否定されるのが怖かったに過ぎない。要は、臆病者だったのだ。
そんなだから、男は三十路半ばになっても、商売女の身体すら知らなかった。正確に言うと、売春宿に行く度胸すら持ち合わせていなかったのだ。
男の毎日は単調な歯車のようなもので、よくもまあ気が狂わずにいられるものだと感心する人もあろう。
朝の5時には起床し、60代近くの作った母の弁当を持って、碌に顔も洗わずに家を5時半に出る。そして、人もまばらな6時の電車に乗り込み、6時半には出社している。当然帰りは、6時近い。
男は40代も近いというのに、家事全般を母親に任せっきりにして生きてきた。これでは、結局学業が労働に変わっただけで、何も学生時代から進歩していない。
ある日の事だった、男が電車に乗り込もうとした朝だ。男はぽっくり心筋梗塞で逝ってしまった。直接的な死因は過労とストレスの重なった結果である。しかし、会社など薄情なもので「この度はご愁傷様で…」と男の父母に言い、僅かばかりの見舞金を置いて行ったばかりだ。
困ったのは急に死んだ男の方である。いくら父母より先に死んだとはいえ、中年の薄らぼんやりした男が、賽の河原で石を積んで、子供に混じって地蔵菩薩に縋るのは情けない。
だからといって、奪衣婆に衣服を取られたって、女も知らずに生きてきたわけだから地獄行になるほど、悪さもしていないのは明白だ。なので、対して衣服をかけても枝はしならない。
死者の裁判を行う49日もあの世の10人の裁判官もあくびをこらえる始末だった。閻魔王が浄玻璃の鏡で見ても、特筆すべき悪さも、善行も無いのだ。
「して、お前はどうしたいのだ」
流石に判断を決めかねて、もう閻魔王も男に意見を求めた。
「…はぁ、僕ですか?」
男は極楽と地獄を見て回った挙句、案外あっさりと結論を出した。
「閻魔大王様、僕は地獄で亡者を苛む獄卒になりとうございます」
それは、男のこの世に対する復讐心であった。自信を無視し続けた世間への復讐心から、男は獄卒になるのを望んだのだ。
「左様か」
男の願いはあっさりとかなえられた。男さえ願えば、天道も夢ではなかったのかもしれなかったのにも関わらず。
男の貧相な身体は、みるみるうちに変わり果て、64の眼を持ち、牛の角の生えた獄卒に変り果てた。人間としての理性も抜け落ち、修羅と暴力に思考は支配された。
しばらく、と言っても息子を亡くした悲しさから、そう遠くない日々の内に、男の父母があの世に来た。親子の縁とも言うべきか、恐ろしき獄卒がすぐに我が息子と理解できたのだ。
両親は、49日の裁判も手につかず息子を人間に戻してくれるよう、哀切を持って各十王に頼み込んだ。
その哀れさから、男の父母を仏弟子とし、功徳を積むようにと申しつけた。
しかし、これは男の生前の復讐なのである。果たして、男が正気に戻る日は来るであろうか。
子供部屋おじさんに喧嘩売ってるわけじゃない