1.ワークショップ
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……
「……くん、起きてる?宇梶くん?」
平日の午後。暖房の効いた、静かな店内。そして雪かきで疲れた身体。ちょっと微睡むには、最高の条件じゃないか?
うとうとして目を閉じて、ふっと意識が飛んでいた。一寸の間だ。時間にして、たぶん三十秒。
知恵さんに名前を呼ばれた気がして、ゆっくり目を開けた。
「……ん゛あ゛っ?」
「……おはよ、宇梶くん」
視界に入ったのは、彼女のじとっとした視線。眠気は一瞬で吹き飛んだ。
やばいやばい。バイト中に居眠りはいけない。
俺の返答は、自然と早口になった。
「いや、起きてます、起きてますとも。真面目に店番、していますとも」
「……ほんとにぃ?」
店主の知恵さんは、俺と干支が一回り離れているというのが信じられないくらいには年若だけれど、優しい上から目線のその言い方は、やっぱり年上の女性が年下の男をからかう時に特有のそれだった。
「いや、断じて居眠りなんて」
「……そうだよね。宇梶くん、ホントは真面目だもんね」
そう言って、知恵さんは客のいない店内を、窓の外の白い世界を見た。
ここは、北海道江別市。住宅街の一角にある毛織物の店。
店の名前を『ぎんのしずく』という。
古民家を改修して、江別煉瓦を所々にあしらったモダンな雰囲気の店内には、紡ぎ仕事や手織りのための品々が並ぶ。
紡ぎ車や織機はもちろん、天然染料、色とりどりの染色メリノに綿糸、各種書籍。アルパカにカシミヤを10グラムから買える専門店は、近場だとここだけ。
品揃えは十分。これ以上は望めないほどに最高。なのだけれど。
「こんなに寒いと、お客さんも来ないよね……」
「……雪もだいぶ降りましたしね……」
閑古鳥が鳴くとはこの事だ。
最低気温が連日マイナス十度以下のこの寒さ。汗をかいて雪かきをしても、肝心のお客さんは来ない。
「それでね、宇梶くん。お店のために考えたんだけど……」
こちらへと振り返ってレジ台に肘をつき、知恵さんはお願いするように言った。
顔が近い、と思ってしまうのは、意識しすぎだろうか。
「……またっすか?」
「……うん、またなの。……だめかな」
お客が来ないこんな時、知恵さんが考えることは決まっていた。染織や紡ぎの体験教室を開いて人を集めるのだ。
ワークショップは、これまでに何度も開催している。その度に数人の参加者がいて、ついでに売り上げも少しは上がるのだった。
彼女は店長で、俺はバイト。彼女のお願いを、断れるはずもない。それに俺は、知恵さんの力になりたかった。
俺は、染織作家だ。一応。
こっちの高校を出た後、東京の専門学校で学んだ。卒業後も数年頑張ったけど、結局は地元に戻ってきた。
道産の蓼藍で勝負がしたかった、というのは半分言い訳。
あっちで見つけた師匠の元には大勢の弟子がいて、その中で生き残る自信がなかった。正直に言うと、逃げ帰ってきた。
『ビートルズだって十年は下積みだった。十年頑張れ。後はなんとかなる』
それが、師匠から俺への最後の言葉。
染織作家に明るい未来はない。諦めるなら今だ。そう思いながらも、師匠の言葉のせいで諦めきれない。
俺の行く末を心配した師匠が紹介してくれたひとまずの働き口。それが知恵さんのお店だった。
ツテのない俺からすればありがたい限りだ。お店には、俺が作った藍染裂織のブックカバーやポーチも置かせてもらっている。
一応は師匠の顔も立てねばならないし、受け入れてくれた知恵さんの役には立ちたい。この店がなくなっては俺も困る。
でも、ワークショップのネタだって無限にあるわけじゃない。
「……ハンカチ染めも、裂織コースター体験も、もうやりましたしね……」
考えながら店内を見渡すと、壁に吊るされた糸の束が目に入った。木綿の二十番手。三本縒り。100グラム380円。
これでいいか、と思った。
「綛糸の藍染……なんかどうです?」
俺の言葉に、知恵さんは目を丸くした。
「綛糸を染める、だけ?」
「ええ、染めるだけっす。それで、糸巻き体験とセットにすればいいんじゃないですかね」
咄嗟の思いつきだけど、ワークショップとしては悪くはないアイデアだと思った。二週に分けて行えば、参加者も二回来ることになる。売り上げに繋がるかはわからないけど、店に興味を持つきっかけにはなるかもしれない。
少し考えてから、知恵さんは両手をぱんと叩いた。
「それで人が来てくれればいっか……じゃ、決まり!一週間後に、藍染ワークショップ!そのまた後に、糸巻きね!」
過去のものを少し書き換えただけのチラシを作って、ホームページと、それから最近流行り出したソーシャルネットワークサービスで告知。この作業も、もう慣れたものだ。
「……あ、それから、宇梶くん」
告知の準備が終わってから、知恵さんは意地悪そうに微笑んだのだった。
「なんです?」
「居眠りもほどほどにね。今、コーヒー淹れたげるから」
そう言って、知恵さんは店の奥へ消えた。
ひょこひょこと揺れる短いポニーテール、そしてライトグレーのカシミアセーターのすぐ下に見える、タイトな濃紺ジーンズで強調されたそのライン目がいってしまうのは、男としては逆らえないことだった。
「……どもっす……」
◇◇◇◇
~毛織物の店・ぎんのしずくニュース~
藍染、糸巻きワークショップ開催!
道産の蓼藍を使った染液で、あなたも糸を染めてみませんか?
染めあがった糸は、一週間後の糸巻き体験で木枠に巻きつけてからお渡しします。
日時) 1月25日(藍染)、2月1日(糸巻き)、10:00~13:00
参加費) 3000円
講師) 宇梶 ウノ
藍染と糸巻き体験、片方だけでもご参加いただけます。
事前にご予約頂くとありがたいです。お名前と電話番号をご記入の上、ショップスタッフへお渡しください。お電話やメールでの予約も受け付けています。奮ってご参加ください。
お名前:
電話番号 :
◇◇◇◇
一週間後のワークショップ当日。
届いた予約は、メールで入った一件だけだった。
『マンツーマンの集中レッスンだね……』なんて、知恵さんは冗談めかして笑った。
『やっぱりテーマが悪かったか……いや告知の方法……店の外はラルズマートにビラ貼るだけってのが……それに天気が……』
そう思いながら、お店に併設された作業場に向かうと、参加者の応対にあたった知恵さんが丁度出てくるところだった。
「……宇梶くん、がんばってね」
「うっす」
彼女の意味ありげな目くばせが気になりつつも、作業場のドアを開いた。
それなりに広さのある作業場には、大きめの木の机が中央にあって、それを囲むように椅子が十個並べてある。
入口から遠くの一番後ろの席に、女の子が一人、ちょこんと座っていた。
美少女だった。真っ黒よりも少し藍色に近い、静かな印象を与える髪と瞳をしていた。