プロローグ
俺は、染織作家だ。
道産の蓼藍が原料の染液で糸を染めて、織って、そして作品を制作している。バッグとか、財布とか、名刺入れとか、栞とか、そんなものを。それが生業。
それで儲かるかって?
そんなわけないだろ。こんな事、好きじゃなきゃやってられない。
三十半ばなんて、染織作家としては駆け出しもいいとこ。なんとか帳尻合わせて工房を維持する毎日だ。
自分の工房を持てたのも、自分の力じゃない。周りの人のお陰。運もあった。
『染織工房ふるふる』
それが、俺の工房の名前。
冬のこの季節、北海道内陸部じゃ最高気温がマイナスの日々が続く。ストーブを一日中つけっぱなしにしないと冗談じゃなく凍え死ぬ。作業場がそのまま生活スペースになるのだって、石油代の節約のため仕方のない事だ。
さっきまで、作業場の空気を揺らしていた『かちゃかちゃ』という音が止んだ。
機織り機の綜絖に糸を通す機かけ作業にひと段落がついた。
比喩でなく針の穴に糸を通す作業が何時間も続く、神経がすり減らされる、俺の嫌いな作業。
甘い物が欲しい。脳が甘い物を求めている。
林檎の香りの茶葉とたっぷりの砂糖でロイヤルミルクティーを淹れた。
「ん゛っ?」
甘くて濃厚な液体を啜りながら、何気なく開いた季刊雑誌『はたおり』。見開き二ページのインタビュー記事に目を奪われた。そこに載った写真にアップで映っているのは、若い一人の女子。『気鋭の染織作家』らしい。
心当たりのある、真っ黒よりも少し藍色に近い、静かな印象を与える髪と瞳をしていた。
◇◇◇◇
~気鋭の染織作家・志村藍さんに聞く~
━━染織作家を志したきっかけは?
そうですね、私、中学生の頃は北海道に住んでいたんですけど、学校に馴染めなくて。そんな時、たまたまやっていた染色体験教室に行かされたんです。母親に、無理やり。私は気が乗らなかったんですけど……
━━そこで得るものがあった、と?
ええ、講師の先生に染めと織りを一から教えていただいて。あそこで私は、いわゆる灰色の学校生活っていうものから一度精練されて、そして藍色に染まる準備ができたんじゃないかな、と。
……
……
◇◇◇◇
彼女の作業場で撮られたらしいその写真の背景には、藍染平織の壁掛けが映り込んでいる。
それは、彼女の初めての作品に違いなかった。
もうあれから十年になる。ちょうど今頃だ。冬の季節、彼女と過ごした一か月余りのあの時を、機織りの『とんとん』という音が二重に響いた日々の事を、急に思い出したのだった。
そうだ、もう十年だ。