伝説誕生編
人類滅亡目前特集 Vやねん!魔王軍!強すぎてたまらん!
もはや誰に向けて書かれているのか分からない号外が人々の間を飛び交う。
ある日突然現れた魔王は、魔物の軍勢を率いて人間の国へと侵攻を始めた。瞬く間にいくつかの国が滅ぼされ、今まさに人間は滅亡の危機に瀕しているのであった。
ここは魔王の侵略により完全に制圧されたとある王国。かつて王国内にあった全ての都市は魔王軍に蹂躙され、わずかな国民が森や隣国に逃げ延びることで命をつなぐことに成功したのみである。数少ない逃亡先となった辺境の町近くの深い森の中、崖にできた小さな洞窟の中に二人の男女が身を寄せ合っている。
その二人とは言わずもがな、勇者召喚を三度失敗した姫とじいである。もはやなりふり構わぬ王族ダッシュをかます姫と、驚愕しながらもそれに追従したじいは何とか魔王軍の手を免れ、この洞窟までたどり着いたのであった。
「うぅ、ひもじいよぉ、おなかすいたよぉ。寒いし疲れたし、温泉入って刺身をつまみながら熱かんでいっぱいやりたいよぉ」
「欲望が駄々漏れでございますな」
姫は疲れきった様子で膝を抱えて座り込み、空腹を訴え続けている。じいもいい加減な返事をしながら、くたびれた体に鞭打ち、地面に魔法陣を描いていた。そんなじいの近くにネズミが這い寄ってくる。
「キャー!ねずみ!」
姫が上げた悲鳴は恐怖によるものではなく、意味するところは歓喜であった。ネズミを見つけた途端に狩人のような鋭い目つきとなり、ネズミに踊りかかった。
「やったわ!久しぶりのお肉よ!ちょっと小ぶりだけど肉付きは良さそうだし……じい、そんな目で見てもこれは私が取ったんだからね!あげないんだからね!」
「姫、お願いですからネズミを食べるのだけはおやめください」
じいはかつての姫を思い起こし、涙目になりながら姫を取り押さえる。
「仕方ありません。隠しておいたパンが一つだけございます。これを差し上げますので……」
「じい、大好き!愛してるわ!結婚してあげてもいいわよ?」
「それだけは絶対にお断りいたします」
姫の唐突なるラブコールに、じいは絶対なる意思を込めて断った。姫はじいから奪い取った、もとい受け取ったパンをあぐあぐと食べ始める。じいは嘆息しながら、再び地面に向かって魔法陣を刻み込んだ。
「じい、さっきから何やってるの?」
「勇者召喚の儀式用の魔法陣を書いております」
勇者召喚の儀式。
それは世界の危機において、異世界から強力な力を持つ勇者を降臨させるという、この国の王族に伝わる秘儀である。ここでパンを貪り食っている頭のおかしいイカレ女の暴走により、これまで三度ものチャンスをふいにしている。その結果、王国は魔王によりを完全に制圧され、僅かな生き残りも迫り来る死の恐怖に怯えるのみである。もはやこのような状況となっては、勇者の奇跡に頼る他には手段は残されていない。
「えーまたやるの?もう無理だよーまた失敗するって」
「あなたが勝手にダメにしているんでしょうが、このバカ女!」
最近、姫はますます図太さを増し、じいはますます胃痛が増えてきている。じいは何度になるかわからないため息をついて姫に向き直る。
「姫、今魔王を討たねばこの悲劇が世界に広まっていくのです。必ずやここで彼奴を倒し、平和な世界を……」
「もうめんどくさいし、疲れたし、今日は寝て明日考えよーよ」
そこまで喋って、姫が全く聞く耳を持っていないことをじいは見て取った。
「勇者が魔王を討伐すれば、その勇者を召喚した姫にも感謝することでしょうな」
「まーそうかもねー」
「感謝のしるしに美味しい食事に高級な酒を振舞ってくださる方も大勢いることでしょう」
「世界を救うのは王族たる私の務め。早速召喚に取り掛かりましょう」
姫は瞳を輝かせてじいに賛同し、軽い足取りで魔法陣へと向かった。魔法陣の前で立ち止まると深呼吸し、呪文を唱え始めた。
「我は世界の安寧を祈る者なり。創造主たる女神に願い奉る。我らを脅かす邪悪なる存在を打ち滅ぼすべく、彼の者に祝福を与え、ここに降臨させたもうことを……」
その後も祝詞が姫の口から朗々と紡がれる。次第に魔法陣がうっすらと輝き始める。今まで見たような眩い光ではなく、包み込むような穏やかで温かみのある、春の日差しのような光がゆっくりとあふれ出てくる。光は天へと立ち昇り、やがてそれは天地を結ぶ光の柱のようになった。光の柱はしばしの間明滅を繰り返し、一際大きな光を放つと掻き消えた。光が消えた魔法陣の上には瞑目した勇者が立っていた。
「おお、これは!なんという凄まじいオーラ!」
鍛え上げられた筋肉、短く切りそろえられた黒髪、強い意思を感じる顔立ちをした屈強な男がそこにいた。体中に刻まれた無数の傷は、彼が数多の死線を潜り抜けた戦士であることを証明している。手に持つ巨大な戦斧は、使い込まれているがよく手入れされており、あらゆるものを容易に切り裂く業物であることが一目でわかる。彼ならば、間違いなく魔王を打倒できる、そう確信を持てるような勇者であった。
「姫!やりましたぞ!これで世界は救われます!」
じいは今までの苦労が報われたような思いを抱きながら姫に目をむける。
外見もかなりハンサムな部類であることだし、何も問題はあるまい--そう思って見た姫は、非常に難しい顔をして、下唇をかみ締めていた。じいは初め、その不思議な様子に、はてと頭を傾げた。
歓迎の挨拶を考えている?いや、それならば笑みを浮かべるなりした方が好印象であろう。それとも毅然と振舞うべく思わず浮かぶ笑顔を押し殺している?それにしては随分と残念そうな……嫌な予感がして姫を制止しようとした時には、手遅れであった。
「チェンジ」
「なんでだぁ!?」
じいの動きは一歩及ばず、唱えられた言葉によって、魔法陣が起動して勇者は忽然と姿を消した。
「なんでって、じい。あなた、本当にわからないの?」
「わかるはずないでしょう!すごい強そうな上、かなり格好良かったでしょう!?何が不満なんです」
「見た目の問題じゃないわ。それ以前の話なのよ。彼は勇者として致命的な欠点を持っていたわ」
「致命的な欠点、ですと?」
姫の落ち着き払った様子を見て、じいは自分が何かを見落としているのか、と頭をフル回転させる。
「彼は、斧使いだったわよね」
「そ、そうですな」
「斧は!不遇武器!」
姫の言葉が洞窟に響き渡る。じいは意識を手放しそうになった。
「勇者なら剣でしょ!百歩譲って槍か素手よ!」
「武器くらい持ち替えさせればいいでしょうが!」
「彼は斧がベストマッチすぎて、他の武器持たせるとイメージ崩れちゃうから」
「よしわかった。そこに直れ。今度という今度は叩き切ってくれるわ!」
ぎゃいぎゃいと二人が騒いでいると、突然魔法陣からピキリと何かがひび割れるような音がした。
それに気付いた二人がそちらを見ると、魔法陣から黒いもやのようなものが噴出していた。あまりの出来事に二人が身動きできずにいると、もやは徐々に量を増し、一箇所に集まっていき、それは人の形を取った。
そうしてそこに現れたのは、サングラスをかけ、趣味の悪いスーツを着た、パンチパーマの男であった。何かを噛んでいるのか、口からクチャクチャとした音が鳴る。
「おう、姉ちゃん。ウチのモンをずいぶんと可愛がってくれたみたいやのぅ。おぉ?」
男はドスの聞いた声で問いかけながらズカズカと姫に歩み寄る。姫は凄まじい迫力に気おされながらも何とか答える。
「え、えーっとウチのモンというのは?」
「アンタ、呼び出したやつら、送り返したやろ?」
「あ、はい……」
「それも四回もや」
「え、一回は犬が」
「四回やろが」
「あ、はい……」
「この落とし前どうつけてくれるんじゃい、このボケカス!」
「ひぃ、ごめんなさい!」
胸倉を掴んで凄む男に思わず悲鳴を上げて謝る姫。じいはその様子を観察し、密かに胸のすく思いであった。
「ごめんですむかいタコスケが!チッ、金も持っとらんみたいやし、しゃあないから、ウチで働いてもらおか」
「ど、どこ行くんです?」
「大丈夫や、ねえちゃん意外と可愛いツラしとるから、すぐ人気者になれるで」
「な、なんか怖いんですけど!ヤダヤダ、じい助けて!」
姫が首根っこを掴まれて引きずられる様を、じいは見ているしかできなかった。できなかったのである。しなかったのではない。
男が魔法陣に姫を押し付けると、ずぶずぶと沼の中に沈んでいくように姫が取り込まれていく。
「い、いやー!怖い怖い!でもなんかちょっと暖かくて気持ちいい」
しばらく姫の叫び声が響いていたが、魔法陣の中に体が沈みきると声も聞こえなくなった。一仕事終えたかのようにスーツの汚れを手で払い、魔法陣に歩みを進めた男にじいが声をかける。
「お、お待ちください勇者様」
「あぁ?何やじじい」
「是非、魔王の討伐のお力をお貸しくださいませ」
そう言って深々と頭を下げる。
「なんでワシがそんな事せなあかんねん」
「魔王はこの世界の数々の国を滅ぼしてきました」
「話聞けや」
「魔王はその滅ぼした国にあるもの全てを手中に収めているとのことです」
「だから何やねん」
「魔王を倒せば金銀財宝ザックザクでございますぞ」
「……最近運動不足やったからな。たまには体動かすのもええかもな」
男は邪悪な笑みを浮かべた。じいもそれに劣らない良い笑顔を返した。
かくしてその日のうちに、魔王は討伐された。数多ある勇者伝説の中に、パンチパーマのグラサン勇者が追加された記念すべき日となった。
なお、魔法陣の中に沈められた姫が、ある日ひょっこりとじいの前に姿を現し、じいを震撼せしめたのはまた別の話である。