19.たまにとんでもない飲み物が出るときってあるよね。
翌日。
どういう訳か天城が来た時点で、当の本人――久遠寺文音は部室に訪れていなかった。今度は鞄もない。
既に部長机に荷物を広げて、何やら絵を描いていた星生にも聞いてみたが、首を傾げるだけで全く知らないときた。
流石に昨日の今日で忘れているという事は無いだろうし、いくら久遠寺とはいえ、この大事な日にダブルブッキングしてしまうなどというミスを犯すこともないだろうから、大方クラスでいい顔をしながら話し込んでいるか、また件の自販機に良く分からない飲み物を買いに行っているかのどっちかだろう。後者なら鞄を持っていく必要性はないから、前者か。
と、いう訳で、
「なあ星生」
星生に話しかけてみる。すると、顔こそ上げてはくれなかったものの、
「なんだ?」
驚いた。
いつもとは違い絵を描いているという事は、それすなわち今部長机でタブレットと向き合っている星生葵は星生葵でありながら、どちらかといえば月乃茜の顔が見えているはずであり、つまりはプロとしての仕事の可能性も高いわけで、一応同じ部室を使って活動する仲間であるとはいえ、ただの一般人である天城の、暇つぶしにしか過ぎない会話になど、応じないのではないかと思っていたのだが。
天城は予想外の返事に歯切れも悪く、
「あー……えっと、星生はあれか?久遠寺のページってあれから見たか?」
「見てない」
即答だった。
「マジか。確認とかしなかったのか?」
「一応、確認しようかとも考えた。でも、」
「でも?」
「久遠寺はきっと、今日、この場に来るまで、自分の作品にどれだけの評価が入ったのかを確認していない気がする。だから、私も、見ないでおこうかと思った。それだけ」
そこまで言って顔をあげ、
「天城は?」
「俺か?俺も実は見てないんだよな」
「結局、見てないじゃないか」
「や、まあな。ホントは朝の時点で確認しようかとも思ったんだがな。俺も全く同じなんだよ。ホラ、多分あいつのことだから、三人で一緒に見ようとか、そんなこと考えてそうなきがしてさ」
「仲間」
「仲間だな。まあ、久遠寺が分かりやすすぎるのかもしれないけど……」
星生は再びタブレットに視線を落とし、
「そうでもない」
「ん?」
「葵は、ああ見えて結構複雑」
天城は苦笑して、
「そんなもんかねえ」
「そんなもん。天城だって、複雑。だから、仲間」
「俺が、複雑?」
天城は思わず繰り返し、
「いやいや。そんな面倒な人間じゃねえぞ、俺は。思った事はすぐ口に出るし。まあ、表情に出ないって意味では、そうかもしれないけど」
暫くの間が空き、
「……まあ、人は皆、複雑だ」
「ま、そんなもんかもな」
星生の最大公約数的な返答を、天城は何となく飲み込む。
その直後、部室の鍵がガチャリと飽き、外のやや涼しくなってきた空気と一緒になだれ込むように久遠寺が入ってくる。
「うあー……ごめんごめん。遅くなったわ」
天城がここぞとばかりに、
「そうだ。遅いぞ。何してたんだ?あれか?こう上っ面だけの会話か?」
久遠寺は「ちゃうわい」と否定しながらドアを閉めて、鍵をかけ、
「ちょっと、ね。買い物してたのよ」
つかつかと長机までやってくると、鞄をその上に置き、中身を取り出していく。
飲み物。
お菓子。
そして、コップ。
天城はそれらを指さして、
「これ、どうしたんだよ」
久遠寺は「何でそんなことを聞くんだ」という感じで、
「そりゃ、買ってきたに決まってるだろ」
「いや、そうじゃなくて。なんでこんなに色々買ってきたんだ?」
「そりゃ、」
久遠寺は鞄をあいている椅子に置いた後、
「なんていうの?出陣式?みたいなやつ。やりたいなーと思って」
「思ってって……」
天城は改めて机の上を眺める。
量はそこまででもないのだが、飲み物に食べものに取り皿とコップと来れば、これはもう出陣式というよりは祝賀会にしか見えない。
天城たちというか久遠寺がやったことといえば、約一万字の短編を書いて、ネット上に投稿しただけである。
勿論、それだけでも大変なことは大変だし、当事者でありながら傍観者でもある天城からしてみれば簡単に終わった出来事でも、久遠寺本人からしてみればそれなりの苦労があったのだろうとは思う。
しかし。
だとしても。
「大げさじゃないか?」
言わずにはいられなかった。ちなみに星生は一瞥しただけで何も言わない。締め切りでも近いのだろうか。
久遠寺はそんな反応が不満らしく、
「えー……いいじゃん。出陣式。やろうぜ」
恐らくそのへんのコンビニかなにかで買ってきたと思わしき紙コップとお皿の封を切ってそれなりに並べ、うち一つのコップを星生の元へ、
「わ、すごい」
持って行ったところで軽い歓声を上げる。
「そうか、おまえはまだ見たことないんだったか」
思い出す。
久遠寺はたしか、星生もとい月乃茜の存在を知らなかった。今でこそ知っているはずだが、その絵は見たことが無かったのだろうか。
久遠寺は振り向いて、
「や、流石にあの後確認したって」
「じゃあ、なんでそんなに驚いてるんだ」
「そりゃ、だって、描いてるところを見るのは初めてだし。いつもはほら、ネットとかで、完成してるのを確認するだけだから。なんか、面白くて」
「あぁ」
そういうことか。
要は絵描きが絵を描いているところを眺めるのが面白いのだろう。
その気持ちは分からなくもない。
ただ、
「それはまあ分かるが、今は短編の方だろ」
久遠寺は邪魔が入ったことへの不満をあらわにしつつも、なまじ言っている事は間違っていないので、口には出さず、すごすごと席へ戻ってくる。そんな彼女に星生が、
「また、今度見せる」
とだけ言って、タブレット端末を持ったまま、長机の所へとやってくる。その途中、久遠寺が「わ、やった」と言って、あっさりご機嫌になるのを天城は見逃さなかった。やっぱり単純だと思う。
星生がタブレット端末を弄りつつ、
「ところで、文音」
「ん?何?」
「ランキングとか、ポイントの数はもう、確認した?」
「あー……」
久遠寺はやや照れながら、
「や、実はね、まだ確認してないんだわ、これが。ほら、今日、ここで、見ようかなーって思って」
当たり。
天城は思わず、
「と、言うことは、全員まだなんの結果も知らない、ということか」
久遠寺がややびっくりして、
「え、あんたも見てないの?」
「何で驚く」
「や、あんた真っ先に確認して、しかも私が見てないなんて言ったら、嬉々として教えてきそうな気がしてたんだが」
「そうか、それはそれで面白そうだな」
「おい」
天城は肩をすくめ、
「冗談だ。そんなことしてもなんの利もないからな。やらんよ」
久遠寺は「利になるならやるんかいな」とつぶやきつつ、
「んじゃまあ、先に確認しよっか」
再び鞄の中を探そうとすると、星生が、
「大丈夫。今サイトにアクセスした」
タブレットを長机に置き、
「既に私のアカウントで久遠寺のアカウントと、作品はそれぞれフォローしてある。だから、ここからマイページに飛べば確認できる。準備はいい?」
天城はすぐに、
「ああ」
久遠寺は暫くしてから、
「大丈夫」
「じゃあ」
星生が慣れた手つきで操作して、久遠寺の短編『私の嘘、あなたの音』のページを開き、
「お」
感嘆符ひとつ。
「どれどれ……おぉ」
感嘆符ふたつ。
「ちょっと私にも見せてくれよ……わぉ」
感嘆符みっつ。
その原因は、短編についた評価ポイントにあった。
一人。しかしポイント数は4。
評価の段階は五段階なので、4ということは、それなりの評価を貰っている事になるし。まだ一応完結はしていないのだが、それでもポイントをくれるということは、この評価してくれた人は、久遠寺の作品が相当気に入ったのか、取り敢えずよさそうならポイントを投げる、基準がものすごく緩い人かの二択だろう。ただ、
「取り敢えずポイントが入ったな」
そのことだけは事実である。
正直、天城はこんなにあっさりとポイントが入ってくれるものだとは思っていなかったところがある。
なにせNovelstage自体がネット上の小説投稿サイトの中でも相当後発であるし、一応出版社が関わってはいるものの、その認知度は低い可能性の方が高い。
一応今回の短編大賞は、サイトが行うコンテスト類の中でも目玉のような扱いにはなっているものの、どうしても読み手の注目は、同時に開催されている、長編コンテストの方に行ってしまいがちであると思っていた。
だからこそ、初日の、しかもまだ完結もしていない、(少なくともこのサイト上では)全くのド新人である久遠寺が、こうもあっさりポイントを獲得するのは、天城からしてみればかなり意外だった。
ところが、本人――久遠寺はいたって冷静に、
「あいつのはどうなってるか分かる?」
あいつ、とはすなわち鷹瀬のことだろう。そういえば天城は彼女のアカウントを全く知らなかった。
星生は「ちょっとまってて」とだけ言ってタブレットを持ち上げて操作し、
「これ」
再び、長机の上に置く。それを見た久遠寺が、
「げっ」
天城がワンテンポ遅れて、
「おお」
評価者は二人。
ポイントは6。
平均点は3ポイント、最高点も3ポイント。どちらも久遠寺には及ばない。しかし、最も重要な、今回勝ち負けを左右する総合点は、この時点では鷹瀬に軍配が上がっていた。
星生が補足をするように、
「鷹瀬はもう既に全て投稿しているから、その差もあるかもしれない」
なるほど。
言われてみれば鷹瀬の投稿した作品には「連載中」というマークはなく、代わりに「完結済み」というマークがついていた。
文字数は九千字ちょっと。
投稿時間は11月1日の0時。
要するに鷹瀬はコンテスト開始と同時に全部を公開したのだろう。だからこそ、この時間で既に最後まで読んだ人間がいる訳であり、評価ポイントを投げる人間の数もまた、増えるはずである。
だから天城は、
「大丈夫だ。まだ始まったばかりだしな。それに、こっちは後数回変……更新を残している」
久遠寺が「今変身って言おうとしただろ」と突っ込むが聞かなかったことにして、
「だから、取り敢えずはなんだ。出陣式?だったか?やるんだろ?」
久遠寺はまだ多少言いたげではあったが、それは取り敢えず引っ込めるようにして、
「まあ、そうだな」
途端に楽しそうな雰囲気をかもしだし、
「じゃあ、ほら、飲み物。どれでも好きなの選んでいいぞ」
「ほう」
天城は言われて机の上に視線を移し、
「ちょっとまて」
久遠寺は「邪魔すんな」とでも言いたげな口調で、
「あん?なんだよ」
「いや、これって、あれか。全部件の自販機から買ってきたのか?」
「そうだよ。悪いか」
悪くはない。
これらを買いそろえる金は全て(恐らくは)久遠寺の懐から出ているはずであり、天城たちはそれをタダで飲み食いさせてもらえるのだから、本来は礼を言うことこそあれ、文句など言う筋は無いはずなのだ。
はずなのだが、
「なんだこれは……」
「ああ、それ?なんか新作らしいよ」
天城が取り上げた缶には「おしるコーンポタージュ」と書いてあった。冗談だと思いたかったがどうやら本当に製品として存在し、購入できるものらしい。きっとこれを考えたやつらは徹夜で頭がおかしくなっていたに違いない。完全に響きだけで決めただろう。
そんな天城を尻目に星生は相変わらず、
「これ、貰って良い?」
「いいよー。っていうか葵に買ってきたようなもんだし」
「おお。ありがとう」
前にも買ってきていた「抹茶コーラ」を手に取る。
天城は、この味覚だけは、どうやっても理解出来そうになかった。




