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世界でいちばん幸せな死  作者: 桃月 成美
1/2

1話

ほんの暇つぶしに読んでいただければ、嬉しいです。

よろしくお願いします。

 王子と下働きの娘。


 本来ならば、顔を合わせるのも奇跡に近い男と女が恋に落ちたとしたら。


 人々は何を思うだろう。

 世紀の大恋愛だともてはやすのか、それとも身の程知らずだと嘲笑するのか。


 それはきっと、物語の結末によっても左右されるもので。

 だが身分がものを言うこの時代で、国で最上級の身分を持つ男と底辺に身を置く女が結ばれるなんてことは、所詮婦女子向けの物語の中だけであり、実際に起こったならば世間はうっとりなんてしない。王子の評判は落ちるだけですむが、身分が低い女の方はたまったものではない。糾弾されるならまだしも、周囲は一気に危険になる。


 ―――二十年前。


 ディラン王国で、第一王子と城の下働きの娘が恋に落ちた。

 第一王子は国中の女子を虜にさせるほどの美男子で、怜悧かつたいそうな切れ者として国王の政務を補佐し、王座に一番近しい者として期待されていた。剣を握らせば、騎士団の精鋭である近衛兵とも対等に渡り合え、カリスマ性にも優れ、彼に心酔する者は後を絶たなかったほど。婚約者がいないこともあり、こんな素敵な殿方はいないと適齢期の貴族の娘は揃いも揃って彼に群がった。


 対する娘は、城で働く者の中でも最下層の下働きだった。

 身なりは質素で、手はあかぎれだらけ。全体的に細く、十分に食事をとれていないことがわかる。しかし、悲壮感はまったく漂っていない。水色の瞳は澄んでいて、裕福な貴族の娘よりよほど美しい。


 王子と娘は、お互いを一目見た瞬間から惹かれあった。

 王子はあの手この手で娘を口説き落とし、始めは困りますと拒否していた娘も、やがて熱心な王子に身をゆだねた。しばらく人目を忍んでの逢瀬が続いた。


 しかし人の目とは怖いものである。

 一年も経たないうちに娘の存在は、一部の貴族に知れ渡ってしまう。己の娘を王妃にと目論む者たちにとって、娘の存在はひどく目障りだった。秘密裏に片づけてしまおう、と刺客が放たれ、娘は危険にさらされた。王子が極秘に付けた護衛によって刺客は返り討ちになったものの、娘は王子に言った。 


 「わたしは、貴方の妃として、生きていくことはできないわ」

 「……ぼくとしても、君をこんな風に危険にさらしたくはない!しかし君を手放すことも、したくないんだ。最低な男だ……。こんな国よりも、君のほうがはるかに大切で愛しい。なあ、どうしたらいい?アリシア。いっそ何もかも捨てて、君とともに逃げてしまおうか」

 「いけないわ、ジョシュア!」


 苦渋の表情を浮かべる恋人の頬を包み込んで、アリシアは叫んだ。


 「そんなこと言わないで。貴方がいなくなったら、民はどうするの。この国の、明るい未来の象徴である貴方が、国を見捨ててしまったら、どれだけの民が悲しむか。どうか、無力な民を見捨てないで」

 「アリシア」

 「ジョシュア、愛してるわ」


 王子と娘は強く抱き合った。

 一筋の涙が、水色の瞳から溢れ、彼女の頬を濡らす。


 「王子として生まれたからには、王として僕は国を支え繁栄に尽力しよう。だが、僕の心は永遠に、アリシア、君だけに捧げると誓おう。君だけを愛している。誰も僕たちを引き離せない」

 「ええ。死さえもわたしたちを引き離せない」

 「愛しい僕の半身アリシア。君に頼みたいことがある」

 「なあに?」

 

 「僕が――――とき、――――ほしいんだ」


 そのとき、ひときわ強い風が吹き王子の声をかき消した。

 

 この逢瀬を最後に、アリシアは城を出て、二人は離れ離れとなる。


 その後、何事もなかったかのように王子は友好国の王女と結婚し、そのまま娘の存在は忘れ去られた。


 結婚して七年が経ち、王妃は元気な男児を産んだ。

 待望の跡継ぎに、国中が歓喜に沸いた。三日三晩、王都から小さな村に至るまで人々は王家の慶事を祝福し、食べて飲んで歌って踊って、王子の誕生と健やかな成長を祈った。


 その陰で幼い娘の手を引いて、寂しそうな表情を浮かべていた女性がいたことは、誰も知らない。

 



 ***




 「殿下、お初にお目にかかります。ブランドン侯爵が長女、アリア・カトレア・ブランドンと申します。本日から侍女としてお仕えすることになりました。どうぞよろしくお願いいたします」


 噂には聞いていたが、国王陛下によく似た美少年だ。

 青みがかった黒髪と王家の象徴である、一房の銀髪。それはまるで夜空を一直線に横切る彗星のよう。大きな瞳は、濃い薔薇色で、見る角度によっては赤にも輝く希少な宝石だ。まろやかな頬に、通った鼻筋、ぎゅっと結ばれた唇。今年、十歳の誕生日を迎えたという王子は、その愛らしい顔を曇らせて、ソファの端で両膝を抱えて座っていた。


 こちらを見ようともしない王子は、まるで人形のように生気がない。

 アリアはひとまず挨拶を終え、侍女長であるカタリーナの目配せで下がった。


 「王妃様が亡くられてから、ずっとふさぎ込んでしまわれて……。静かなほうがいいと侍女も全員追い出して、今はおひとりでずっとお部屋にこもっているの」

 「えっ……」

 「暴れたりはなさらないんだけど、食事も召し上がらず、ずっとあんな感じで。どうか王子殿下に寄り添って差し上げてほしいの。ブランドン卿のご子息やご息女に慕われている貴女なら、殿下をお願いできるわ」

 「わかりました。お任せ下さい」


 侍女長が去った後、アリアはう~んと唸った。

 お任せ下さいと大口をたたいたはいいものの、なかなかの難題だ。アリアには兄弟姉妹がたくさんいる。血は繋がっていないが、彼らはアリアを家族の一員として認め、大事にしてくれていた。生まれた時から一緒だった兄弟姉妹とは、とても仲が良いと自負していたが、相手は王子殿下だ。兄弟姉妹と同じノリでいったら、不敬罪で投獄もありえるのでは。


 真っ青になるアリア。

 いや、何を迷っているのだ。不敬罪だろうが、ここは自分のやり方でやっていく。何が王子だ。母を亡くしたばかりのひとりの少年でしかない。自分の可愛い弟と同じように接すればいいい。


 アリアは腹をくくった。


 「殿下、失礼します」


 部屋に戻ると、アリアが下がった時と同じ格好で王子が座っている。たぶん一ミリも動いていない。

 昔からいつも手やら足やらを動かしてきたアリアにとって、同じ体勢で動かないというのはある意味苦痛だ。すごいわ、と変なところで感心しながら、アリアは少し距離を取って王子の隣に腰かけた。


 実家から持ってきたバッグからハンカチと糸を取り出す。

 そして、アリアは静かに刺繍を始めた。


 

 ふと、何気なく呼吸音が規則正しく、ゆるやかになったことに気づいて、アリアは顔を上げた。横を見ると、王子の体勢が少しだけ崩れている。固く膝を抱えていた両手はだらりと下がり、揃えられていた両足も横に倒れていた。

 王子はすやすやと穏やかな表情で寝ていたのだ。

 そこには挨拶をした時の、張り詰めたようなものはどこにもなく、ただあどけない少年の姿があるだけ。


 しかしこのままだと風邪を召してしまう。

 アリアは少し逡巡した後、部屋の前にいる警備兵に頼んでベッドまで運んでもらった。

 十歳にもなると、なかなか重いのである。弟で痛感しているアリアは、安定して持ち上げる自信がなかった。今頃どうしているかしら、と弟の顔を浮かべながら、アリアはそっと王子の頬を撫でた。


 

お読みいただきありがとうございました!

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