番外編5(後編)
柑菜とエルの二人は葵との昼食を終えてしばらくして、美琴が住まう屋敷の一室に来ていた。ギルドに美琴への伝言を伝えておいたため、二人は屋敷に着くと門番に直ぐに通され、客室に招待されたのである。
「うぅ……緊張する」
緊張した様子で畳の上に正座するエルに、柑菜はエルの背中をさすりながら笑いかけた。
「大丈夫よ。師匠は優しい……かな?」
「あら……その疑問文はどういう意味かしら?」
その背後からの声に驚き、背筋が伸びた柑菜はゆっくりと後ろを振り返る。
そして、そこには怖くなるほどの満面の笑みを浮かべた特殊な巫女服を着た美琴が立っていた。
「あ、あはは……お久しぶりです」
「久しぶり、柑菜。ふふっ、その様子を見ると私の心配は杞憂だったみたいね」
「えっと、どういうことでしょうか?」
その言葉が自分の何を言った言葉か分からず、柑菜は美琴に問いかけた。
「あなたの手紙から、気持ちが良く伝わってきたわ。焦る気持ち、必死な想い、自分に何が出来るのか思い詰め過ぎて疲れ切ってここに来るかと思ったのよ」
図星で、柑菜は返す言葉がなかった。先程、葵に元気づけてもらえなかったら、おそらく柑菜は美琴が言った通りの様子だっただろう。
そんなやり取りを終えると、美琴は部屋に入って二人の正面に座ってエルに目を向けた。
「さて、あなたですね。柑菜の手紙からあなたの事情や相当切羽詰まっていることがよくわかったわ」
「は、はい……」
そう弱々しく返事をするエルは、正直不安になっていた。
確かに目の前に座る美琴からは、ヴァイナーと同様に常人とは一線を期したものを感じるが、目の前に座るこの女性が果たしてあのクレアですら何も分からずお手上げ状態であった自分の病を、治すことが出来るのかと思ってしまったからである。
そんな不安そうな表情を浮かべるエルの様子を見ながら、美琴は苦笑を浮かべながら口を開く。
「あなたの病気については手紙で読んだけど、申し訳ないけど私は見たことも聞いたこともないわ」
その絶望的な美琴の言葉に、エルは絶望的な表情を浮かべて言葉を失うが、美琴はそのまま言葉を続けた。
「でも実際にあなたの状態を視ないと、何とも言えないわ。少し視せてもらえないかしら?」
その言葉に少し間の後、柑菜に手を強く握られたエルは俯いて少し震えたような小声で応えた。
「はい……」
「それじゃ……少し見るかしらね」
エルが絶望しているのを感じながら、そう言って美琴はゆっくりと目を閉じる。
そして再び目を開くと、美琴の黒い瞳は霊気により金色の光を帯びていた。
「“ポテンシャル・ライズ”」
魔法により潜在能力が少し引き出された眼で美琴はエルのことを見つめた。
しかし美琴の表情は優れず、息を吐いた。
「足りないわね、何も見えないわ」
美琴にとってもこの強化で、人の状態を視ることが出来なかったのは初めてで、驚いていた。
だが決して万策が尽きたわけでも、諦めたわけでもなかった。
「これからのことは、他言無用。守れるかしら?」
何も見えないという言葉で全身から力が抜けてしまったような感覚を覚えたが、まだ全く諦めていない美琴の金色の瞳を見て、エルは力強く頷いた。
それを確認すると、美琴は魔法を詠唱した。
「“ソル・シュトラール”」
魔法を詠唱し、金色の霊気と陽光の魔力が混じり合わせ、それを美琴は自身の眼に纏わせた。
霊気と陽光の魔力によって美琴の眼は、潜在能力の限界を超えてあらゆるものを見通す。今の美琴の眼は『神の眼』といっても過言でわなかった。
そして、そんな眼でエルを見つめた美琴は先程とは全く違う反応を示した。
「ッ!?」
形相を変えて思わず後ろに飛び退いた美琴の様子から、柑菜は祈るような気持ちで美琴に尋ねた。
「師匠。何か分かったんですか?」
「えぇ……よく視えるわ。なるほど、これは誰も気付く事が出来ないはずね」
柑菜の声で我に返った美琴はそう答えながら、しばらくエルの方向に目を向け、やがて眼を閉じた。
「原因が分かったわ。そして、皆が勘違いをしていたことも分かりました」
「勘違い?」
その美琴の言葉にエルが驚いた表情で聞き返し、美琴は一度二人の前に座り直してからエルの言葉に頷いて応えた。
「あなたは誰も見たことも聞いたこともないような、不治の病にかかっている訳ではないわ」
すると言葉を失っているエルに代わって、真剣な表情でそう答えた美琴が冗談で言っているわけではないと悟った柑菜が尋ねた。
「じゃ、じゃあエルの症状は一体……」
柑菜もエルと同様に動揺していたが、もしかしたらエルの症状が何とかなるかもしれないと、期待を込めた目で美琴を見つめた。
そして美琴は柑菜の期待の目に苦笑しつつ、今まで誰も分からなかったエルの病気を口にする。
「魔力過多よ。辛うじて魔力の暴走に至っていなくて良かったわ」
「「え?」」
誰もが知っている有名な病気の名に、二人は思わず声を上げてしまった。
「エルさん、あなたは自分にどんな魔力が宿っているか測定したことはありますか?」
「えっと……小さな村で産まれたので特にないです」
「そうですか。まあ測定したところで検知出来ないんですけどね」
美琴曰く、美琴以外の人がエルの症状が魔力に関係することに気付く唯一の機会が、魔力測定だったらしい。
そしてエルの症状の原因も、エルが内包している魔力によるもののようだ。
「驚きましたが、あなたには三つの特殊属性が宿っています。更にもっと驚かされたのはあなたが持つ魔力の量です。おそらく私と同等の量、つまり測定不能レベルの魔力を持っています」
「「三つ!?」」
再び同じ言葉を同時に口にする二人に、美琴はエルが持つ三つの特殊属性について説明し始めた。
一つ目は『消滅』。あらゆるものを消滅させるかなり危険な部類に入る特殊属性で、エルの体重と存在を希薄にさせている原因である。
二つ目は『反射』。他人による干渉を弾く特殊属性で、現在ではエルが本能的に受け入れていない他人の魔力を自動で弾いている状態らしい。
三つ目は『雲』。水属性の派属性の中でも珍しい特殊属性である。その原因は魔力の中でも感知することが非常に難しいということだ。そして、この魔力がエルの膨大な量の三種類の魔力を極限まで希薄にさせていた原因だった。
エルの魔力を実際に目にした美琴は、この膨大な魔力を周りの人達に全く感知させずに、放出し続けていることに戦慄し、思わず身構えてしまったらしい。
話を聞き終えたところで、美琴はエルに声をかけた。
「さて、私はあなたの症状を一時的に完治させることは出来ます。ですが問題が二つあります」
「な、何でしょうか?」
自身の症状を見事に分析し、完治させることが出来るという美琴に、様々な感情が湧き上がってきているエルは緊張した表情で美琴に尋ねた。
「一つ目、私が出来るのはあくまで応急処置。最終的にはあなたが自身の魔力を感じ取ってコントロールする必要があるわ」
美琴に出来ることは、現在自分の知らない内にエルが放出し続けている膨大な魔力を無力化し、魔力が勝手に外に流れ出るのを一時的に封じるということである。
そのため、エルの病気が本当の意味で完治するには自分で今まで感知出来なかった自身の魔力を感じ取って、自分の力で抑え込まなければならなかった。
「そして二つ目。治療費よ」
「……やっぱりそうなりますよね」
エルの病気の原因をはっきりさせて、美琴にしか使うことが出来ない特殊な魔法による治療。両方共、美琴にしか出来ないことであり、とてつもない金額の料金が請求されるのは当然のことだった。
「具体的にはどのくらいのお金が……」
「そうね……要相談ということもあるし、詳細に計算しないと分からないけど金貨二十枚は覚悟して欲しいわね」
「き、金貨ニ、二十!?」
エルは言葉を失い、柑菜は思わず声を上げてしまった。
この世界には銅貨、銀貨、金貨の三種類の硬貨が存在している。
柑菜は元の世界で換算すると、銅貨一枚は五百から千円の感覚。また銀貨は一枚で銅貨二十枚分、金貨は一枚で銀貨百枚分の価値である。
要するに単純計算だと金貨二十枚というのは二千万から四千万円近くということになり、とても働いたこともないエルにとっては莫大な料金であった。
ある程度ならば柑菜は一時的に肩代わりして、元気になったエルに少しずつ返してもらえばいいかと考えていたが、金貨二十枚となると柑菜の全財産を使っても到底届かない値段であった。
「まあ、これは実際にあなたの症状が治ってからでいいわ。その二つをふまえて提案があるの。聞く?」
「はい……」
項垂れながら返事するエルに美琴は目を閉じて口を開いた。
「一年。私の従者を務める気はない?」
「え……?」
思わぬ提案に、エルは気が抜けてしまうような声で応えるが、美琴はそのまま話を続けた。
「今はこの場にはいないけど、私の契約精霊のルナと共に私の身の周りのことを補佐する仕事よ。そして、空いた時間はあなたに魔力のコントロールの仕方を指導してあげる」
美琴の従者は一人で務めるとかなりハードで、休みなく働き続けるようなことになるが、もう美琴の従者を長い年月しているルナと共にすれば、まだ少しましになるだろう。
「衣食住は私が保証する。一年間やり切れば、料金はいらないわ。詳細や質問があれば後で書類二つの問題を解決出来る提案なんだけど、どう?」
柑菜は美琴が出した条件に、驚きを隠せなかった。単純に、好条件過ぎるからである。
美琴の話を頭の中で整理しているルナの隣で、柑菜が探るような目で美琴を見ていると、視線に気付いた美琴が柑菜に微笑みながら優しい目を向けた。
美琴は柑菜が想っている以上に、柑菜の気持ちを汲み取り、エルを救おうと考えていてくれたのである。
そんなことを美琴の表情から感じた柑菜は無性に嬉しくなって、頰を微かに赤く染めた。
そして、そんなやり取りを二人が終えたところで、エルが顔を上げて真剣な表情で正面に座る美琴の目を見つめた。
「やります。やらせて下さい」
「ハードな仕事よ。あなたに出来るかしら?」
「……頑張ります」
エルがそう苦笑いしながら応えると、美琴は頷いて立ち上がった。
「さ、場所を変えるわよ」
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三人は屋敷の地下に存在する、美琴が所有する個人の闘技スペースに来ていた。
そして現在、五メートル程の距離を開けて美琴とエルが向かい合っていた。ちなみに柑菜は二人の邪魔にならないように距離を置いて、その様子を見ていた。
「わ、私……本当に立ってるだけでいいんですか?」
「そうね……意識を保って、その場でじっとしていてくれればいいわ。あともしもの場合に備えて、出来れば何も考えず無心で立っていてくれると助かるかな」
「分かりました」
そう二人がやり取りを終えると、美琴は全身の力を抜いて目を閉じ、一度大きく深呼吸をした。
「始めます」
その一言と共に目を見開いた美琴は、先程の金色の瞳になっているだけではなく、黄金に輝きを放つ羽衣を身に纏っていた。霊気と自身の魔力を混ぜ合わせて身に纏う『神威』である。
美琴の凄まじい覇気と魔力の昂りに、エルは一瞬萎縮してしまうが、直ぐに思い直して何も考えないように努めた。
「いい子ね。それじゃあ、次の段階にいきましょうか」
そうエルを見た美琴は呟き、何もない空間に右手を伸ばした。
すると突然美琴の右手から光が溢れ、光が収束した時には柑菜も始めて目にする黄金の紋章が刻まれた特殊な長剣を美琴は握っていた。
遠目に見ていた柑菜は、その長剣を始めてみたがそれが何かは感じ取ることが出来た。
(あれが師匠の霊剣……)
美琴は右手で持った霊剣に霊気を流し込むことで魔力に変換し、美琴が内包する魔力の量は最初とは比べ物にならないほど増幅していた。
そして、エルの魔力量を圧倒するほどの魔力を纏った美琴はそれらの魔力を正確に操作しながら、最後の魔法を詠唱した。
「結界魔法“封魔”」
その瞬間、柑菜は思わず目を見開く。
美琴の魔法によってエルの周囲に透明な立方体型の内側に存在するあらゆる魔力を消し去って封印する結界が形成されたことで、エルの周囲に自然に混ざり合って放出されていた三つの魔力が解離したのである。
それによって、それぞれ三つに魔力が分裂したことで、エルが普段から放出していた魔力の大きさを柑菜も感じ取ることが出来るようになってしまったのである。
そのエルのあまりの魔力の量に、柑菜は驚いていたが、それを大きく上回る量の魔力によって形成された結界が内側からの『消滅』の魔力さえも完全に無力化していることに、もっと驚いていた。
そして、エルから放出され続けていた魔力が徐々に消えていくにつれて、美琴は集中力を切らすことなく結界を小さくしていく。
やがて結界は、エルの体内にも入っていったところで、エルは突然ふらつき始めた。
「エル!?」
突然ふらつき始めたエルに、危機感を覚えた柑菜は慌てて飛び出し、エルを支えるために駆け寄った。
そして、エルが後ろに倒れそうになった瞬間、何とか回り込んだ柑菜がその背中を支えた。
「うわっと」
倒れかかってきたエルの重さで一瞬ふらつくが、柑菜はしっかりとエルを後ろから支えた。
「大丈……」
ここで柑菜は気付く。
自分が支えているエルに体重が戻っていることに。
「あ、ありがと柑菜。身体が重くてさ……」
こちらを見上げて苦笑いをするエルは、気の所為かいつもより表情が良く見え、同性の柑菜ですら心臓の鼓動が無意識の内に早くなってしまうほど可愛く見えた。
一瞬柑菜は赤面するが、そのまま後ろからエルのことを抱きしめて涙ぐんだ。
気恥ずかしさ以上に、エルの病気が治った嬉しさと安心感が大きかったのである。
「良かった……本当に、良かった」
柑菜の涙と抱擁に、エルは少し恥ずかしくなったが、柑菜の頭に自身の頭をくっつけて、柑菜に向かって小声で呟いた。
「本当にありがと。大好き」
そう言って二人はしばらくの間、お互いの存在を確かめ合うのであった。
そして、それから美琴の従者兼弟子となったエルが自身の魔力操作の習得だけでなく、兄であるザインと同様に様々な才能が開花していくのはまた別の話。
次回からしばらく設定話が続きます。




