番外編5(前編)
エルの病を治すため、一足先にアストレアを出発して、大和に辿り着いた柑菜とエルの二人の物語です。
澄み渡る青空の下、港街ミンスクからの船旅を終えた二人の少女が島国の大和に降りたっていた。
「待ってぇ……疲れたよぉ……」
初めて見た広大で美しい海に、船の上ではしゃぎ過ぎて疲れたのか、ふらついてその場にしゃがみ込んでしまう少女が一人。
ラダトーム帝国の『守護騎士』の一人であるザインの妹、エル=リベルタである。
ひらひらとした長く白いワンピースに身を包んだ暗い蒼の長髪を持つエルは、少し前で立ち止まった半袖ショートパンツの軽装姿であるもう一人の少女を見上げながら、すがるように声をかけた。
「そりゃ、あんなにはしゃいでたらね……。すぐに胡桃の家に向かう予定だったけど、ちょっとどっかのお店に入ろっか」
「本当!? やった! 柑菜大好き!」
「ふふっ、じゃあ行こっか」
「うん!」
拓海の妹、桐生柑菜は苦笑しながらも、疲れてしゃがみ込んでいたはずなのに、もう楽しみで目を輝かせているエルに手を差し伸べた。
二人はラダトーム帝国から聖都アストレアを経由、そして港街ミンスクから大和に来ていた。
エルは難病にかかっている。体重がどんどん軽くなっていき、存在も薄れていくという病気である。
ラダトーム帝国にはエルを治療出来る可能性があった強大な力を持つ元ラダトーム帝国の王であるクレアですら、難病の原因の特定や治療を施すことも出来ず、ラダトーム帝国にはエルを救える人物は一人もいなかった。
そんな時、エルは捕虜だった柑菜と出会った。
そして現在。柑菜が思い当たる唯一エルを救える可能性を持った、自身の師匠である神代美琴にエルを診せる為にエルを連れて大和に来たのであった。
それからしばらくして、柑菜とエルの二人は大和のメインストリートにある喫茶店に入店して、テラス席で道を歩く人々を眺めていた。
「ラダトームやミンスクとはまたちょっと違う感じ……。道行く人々も皆良い表情をしてる。良い街だね」
ジュースを両手で握りながら、ぼんやりとそう呟くエルに柑菜も同様にメインストリートに目を向けて呟いた。
「そうだね。大和の人達はみんな凄いよ。一年も経たずにもうほとんどの建物が直って以前より活気づいてるしさ」
「え、何かあったの?」
「うん……。えっとねーー」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(あー……今話すことじゃなかったかな)
それからあの夜のこと、二人の魔将と召喚されたモンスターの襲来のことを柑菜から聞いたエルは哀しげな表情をしていた。
エルはショックだったのか終始哀しげな表情を浮かべ、思いのほか空気が暗くなってしまい、柑菜は今話すべきことではなかったかもしれないと少し反省していた。
そんな時だった。
「お前は!? もしや拓海の妹じゃないか?」
急に声がした方に驚いた二人が目を向けると、そこには背中に自分の身長並に長い大槍を背負い、防具を身に纏ったいかにも冒険者というような格好である青のショートヘアの男が驚いたような表情で立っていた。
エルは見知らぬ男性に急に声をかけられて、驚きのあまり言葉を失っていたが、柑菜はメインストリートから店の柵に腕をのせながら自分達の様子をうかがうこの男を知っていた。
「お久しぶりですベルデさん。あと私の名前は柑菜ですからね。ちゃんと覚えてますか?」
「もちろんだ。それで……拓海はどこだ?」
店内を覗きながらそう答えるのは、元アストレア聖騎士団所属のベルデ=プラヴァスである。
ベルデはあれから大和の復興に携わった後も、部下であるシモンと共に大和に残って現在大和所属のSSランクの冒険者として活動している。
そしてベルデは拓海をライバル視していて、よく拓海と手合わせをしていた。だがライバルといって仲が悪い訳ではなく、意外と仲が良くて二人は修行の後に共にご飯を食べに行くなどの交流もしていた。
「今はいないよ。帰って来たのは私達だけだからさ。あ、そうだ。紹介するよ、友達のエルよ」
柑菜は相変わらずの様子であるベルデに苦笑しながら、緊張している様子のエルを紹介した。
ベルデは戦闘狂ではあるが、内に秘めた人の良さがあることを柑菜は知っていた。その上、自分の命を助けてくれたということもあり、柑菜はベルデのことを悪く思っていなかった。
そして、紹介されたことでエルは我に返って慌ててベルデに頭を下げた。
「は、初めまして! え、えっと……エルです。えっと、えっと……」
エルは完全に緊張しすぎて、言葉を詰まらせていた。
だが、それを見たベルデは笑みを浮かべて応えた。
「おう、エルか。俺は冒険者のベルデだ。よろしくな!」
そんなエルの緊張した様子を特にからかったり、笑ったりせずに応えたベルデに、エルは肩の力が抜けたのか、笑顔で応えた。
「はい! よろしくです!」
二人のやり取りを隣で見ていた柑菜は、内心ベルデに感謝しつつ尋ねた。
「ベルデさんは依頼の帰り?」
「あー、いや。それが今から依頼の為に出るつもりだ」
「ふーん、そっか。怪我しないように頑張って」
「おう、ありがとな。それじゃ、俺は行くから拓海によろしく伝えといてくれ」
「うん。またね」
流れるような二人のやり取りを見て、ベルデが去ったところでエルがひっそりと柑菜に尋ねた。
「あ、あのさ」
「ん?」
「お付き合いしてるの? あの人と?」
「ち、違うから!?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結局外が暗くなるまでカフェで休憩をしながら、夕食も食べた二人はそれから神崎家の屋敷に向かって最後の坂道を歩いていた。
そんな中、柑菜の斜め後ろをついて行くのに必死なのか、やけに静かなエルが前を歩く柑菜に声をかけた。
「柑菜」
「ん? どうした?」
「ありがと」
急にお礼を言われた柑菜は口元に笑みを浮かべて、歩きながら応えた。
「何〜? どうしたの急に」
一瞬の間の後、エルが答える。
「夢みたいでさ。こんなに知らない世界があるんだな〜ってね。それに私、昔から身体が弱いかったからずっと家にいて、友達がいなかったの」
柑菜は黙って耳を傾ける。
「生まれてから初めてなの。素敵な友達に巡り合えて、私の知らないことを優しくいっぱい教えてくれるの」
柑菜は胸の奥と目頭が熱くなるのを感じるが、そのままエルの言葉に耳を傾けた。
「だから……ありがとう柑菜。私、今すっごい幸せだよ。出会えて良かった」
「もうっ……何言ってるのよ。まるで別れの言葉みたいじゃない……」
柑菜は溢れ出そうになる感情を押し殺しながら、冗談混じりに思わずそう口にした。
すると、エルは柑菜が全く想像もしていなかった返事をした。
「私ね、分かるんだ。もうそんなに長くないって」
柑菜は言葉を失い、足を止めてしまった。
「ごめんね柑菜。あのね……私最後に外の世界を一回でも沢山見て回りたいと思って柑菜の提案に乗ったの。お兄ちゃんも、私が行ったら、もう戻ってこれる程長くないことを分かって私を送り出したの」
だからこそ、ラダトームを出る前にエルは唯一の家族であるザインと別れる際にあんなに泣いていたのであった。
エルは一度言葉を止め、自分の前で立ち止まっている柑菜に歩み寄って手をそっと握る。
「毎日……一人であの塔の部屋で寝るのが怖かったんだ。起きたら自分の存在がなくなってたらって……。誰も、誰も私がいなくなったことにも気付かないんじゃないかってね」
一瞬の静寂の後、立ち尽くす柑菜の冷えた手を握りながら、エルは言葉を続ける。
「でもね、ラダトームを出てから柑菜は寝る時に毎日私の手を握ってくれたよね。本当に嬉しくてさ。寝るのが怖くなくなったの」
柑菜は複雑な想いで唇を噛み締めた。
エルが一緒に手を握って寝て欲しいというのは、ただエルが甘えん坊で暗闇の中で寝るのが怖いのかと思っていたのである。
初めて外で寝る時に酷く怯えたような表情をしていたのはこれが原因だったのだろうと、柑菜は思い返した。
「だから、ありがとう。友達になってくれたのが柑菜で本当に良かった」
柑菜の手を握ったまま、エルは頭をそっと柑菜の背中に擦り寄らせた。だが、その背中は小刻みに震えていた。
「何……言ってるの、よ……」
絞り出したような声で、エルの手を離しゆっくりと振り返る柑菜の目からは、抑えることが出来ない程の涙が溢れ出てきていた。
「ねえ、エルは……あんたは、病気を治すために来たんでしょ? 治して、これからもっと二人で一緒に色々なものを見て、色々な人と出会って……」
「無理だよ……。クレア様でも全く手に負えなかったんだから」
「そんなことないっ! あんたは絶対治る! 師匠を見くびらないで!」
柑菜は感情任せに叫ぶようにそう言うと、エルをしっかりと抱きしめた。
「大丈夫、だから……。絶対……死なせないから。エルは、いっぱい辛い想いをしてきたんだから。これから絶対幸せになるんだから……」
微かに震えながら、エルの存在を確かめるようにしっかり抱きしめながら言葉を紡ぐ柑菜に、エルも我慢していた感情がついに抑え切れず、涙が溢れ出す。
「わ、たしも。生きたい、よ柑菜。もっといっぱい生きたいよ……」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それからしばらく二人はお互い抱き合って泣き合い、やがてお互い泣き止んだところで、柑菜はエルの背中をさすりながら声をかけた。
「エル、後ろを振り返ってみて」
エルは涙ぐみながらも言われた通り後ろを振り返って、目を見開いた。
「綺麗……」
柑菜とエルの視界には、暗くなってライトアップされた大和の街と満天の空が映っていた。
その光輝く大和の名物とも言われる美しく、綺麗な景色にエルは圧倒されていた。
そして、柑菜はそんなエルの右手をそっと左手で握り、エルは握り返す。
(お願い……師匠。どうか、どうかエルを治してあげて下さい……)
柑菜はそんな想いを胸に、流星が見られる大和の星空に祈るように思いを募らせるのであった。




