8-52 ノア=ミーリエル
白塔の中に足を踏み入れると、拓海とソラの二人の背後の入口が閉じて天井に空いた大穴以外、どこを向いても白い空間が続いている塔の中に入った。
まるで空中に浮かんで立っていると錯覚してしまうような感覚を、拓海は感じたことがあった。
それは拓海この世界に来た時、『悠久の地』という場所で感じた感覚である。
(久々に思い出すな……)
拓海が一瞬驚いてから、懐かしみながら辺りを見渡していると、拓海の正面の随分と離れた場所で座って自分達の方を見ている少女を見つけた。
雪のように真っ白な獣耳と尻尾が特徴的な、洋服を着た白の長髪の少女。
だがその姿は、拓海達が知っている『ノア』とは異なる点があった。
拓海達の視界に映る『ノア=ミーリエル』は二人が知る『ノア』よりもかなり幼い顔立ちをしている上に背が低い。
そして二人は彼女、『ノア=ミーリエル』は『ノア』の幼き姿ではないかと考えながら、近づいていった。
「ノア……なのか?」
目の前まできた拓海がそう尋ねると、少女はゆっくりと拓海を見上げ、目が合った拓海は驚いて少したじろいだ。
透き通るように綺麗な水色の瞳のノアとは違い、少女の目には光が無くて、無表情だったからだ。
それから少女が拓海に目を合わせてから黙って頷き、ゆっくりと口を開いた。
「お兄さん達は誰?」
その問いかけに目の前に立っている少女が自分達が知るノアとは違うということを感じながら、拓海は口を開いた。
「俺は冒険者の桐生拓海、こっちは仲間のソラだ」
拓海の隣に立っていたソラが小さくお辞儀すると、目の前の少女について心当たりがあるのか口を開いた。
「あなた……もしかしてこの塔の中にずっと閉じ込められていたの?」
ソラの問いかけに、少女が黙って頷くと、今度は少女が遙か遠く、大穴が空いた天井を指差しながら口を開いた。
「あれ、お兄さん達がやったんですか?」
「いや、多分違うな」
「そう……ですか」
少女は目と耳を伏せてそう呟くと、そのまま二人に表情を見せることなく尋ねた。
「お兄さん達は紅い瞳を持つ金髪の化け物を知っていますか?」
「「……」」
問われた二人はその問いかけに答えずに、黙っていた。
それは目の前の少女から激しい憎悪と怒り、悲しみといった様々な負の感情と、隠し切れない殺意を感じたからである。
二人は負の感情を抱いたまま、欲望のまま行動しても、いつか自分の身を滅ぼすことを身をもって良く知っていた。
そして、黙ったままの二人がじれったくなったのか少女は顔を上げて拓海を睨みつけた。
「知っているのね」
「……」
見つめ返してくるだけで何も答えない拓海に、痺れを切らした少女は歯をくいしばると、拓海の腰を小さな手を握りしめて叩いた。
「何で答えないの? お兄さんはあの化け物の仲間なの? ねえ、ねえってば! 答えてよ!」
ソラは少し申し訳なさそうな表情で、涙を浮かべながら叫ぶ少女を見つめるが、叩かれる拓海は真剣な表情を浮かべながら腰を下ろして少女の目線に合わせた。
「違うよ」
「……なら、あの化け物の居場所を教えて。許さない、私のママとパパと……妹を……絶対許さない! 殺す、絶対殺してやる!」
しかし、殺意と憎悪に満ちた眼でそう叫ぶ少女を前にしながらも拓海は少女の瞳をしっかりと見つめながら口を開いた。
「駄目だ」
「何で?」
「君を、仲間を見殺しにすることは出来ないからな」
「でもっ……!」
「だからーー」
それでも引き下がらずに、今度は悔しそうな表情を浮かべる少女の瞳を見つめ返しながら応えた。
「ーー俺が代わりに仇を討つよ」
「え?」
「不満か?」
「そうじゃ……ないけど。どうして?」
少女が言葉を詰まらせながら拓海にそう尋ねると、拓海は目を閉じて優し気な表情を浮かべながら答える。
「仲間の願いは俺の願いでもあるからな。それに、シノと再会した時に元気な顔を見せてやって欲しいからさ」
「っ!? 妹は……シノは生きてるの?」
驚愕して目を見開いてそう尋ねる少女の言葉に、拓海は頷いて答えた。
「あぁ、俺の大切な仲間だ。だからさ……すぐに立ち直れとは言わないから。生きて、元気な姿を見せてやってくれよ。ノア」
「ぅ……ぁあ……良かっ、た。シ……ノっ」
その拓海の言葉についに感情が溢れて、ノアの目から涙を流しながら嗚咽をもらし始め、拓海はそっとノアを抱きしめて背中をさすった。
「まだ、色々受け止め切れないこともあると思う。ゆっくりでいいから、今の君の代わりに生き続けた『ノア』のことも受け止めてやってくれ」
「……努力、する」
そして、しばらくしてノアが泣き止むと、拓海の目をじっと見つめた。
そのノアの瞳には最初とは違って光が戻り、優しげな普段の拓海が知るノアと同じ眼をしていた。
「ありがと、拓海……さん」
「気にすーー」
拓海は最後まで答えることが出来なかった。
頰に柔らかくて少し温かい小さなものが触れ、拓海は驚きのあまり硬直してしまったのである。
そして拓海の頰から唇が離れ、後ろに一歩引いたノアは前髪を触りながら照れくさそうに微笑んだ。
「本当にいっぱい……ありがと。頑張ってみます」
その言葉をノアが言った瞬間、ノアが閉じ込められていた白塔の壁にヒビが入って砕け散って白く輝くかけらが降り注ぐ。
それから拓海が硬直している内に、そのまま拓海とソラの視界が白く染まっていくのであった。




