2-29 近づく心
(ここはどこだ?)
ゆっくりと目を開いた拓海は、正面から自身の後方へと大小様々な光の粒子がゆらゆらと通過していくのを見届けた。どこか神秘的な様子に一瞬思考が停止するが、自分が今どのような状態なのか確認しようと周りを見渡した拓海は、その身に覚えのある感覚に気付いて目を見開いた。
拓海は浮遊感がないためか上下左右方向が感じられないが、何故かその場にとどまれる上に呼吸もすることができる不思議な水中にいた。周りは光が差しているわけではなさそうなのに、何故か視界がはっきりしていて、水の中だというのに目に水が入ってしまっても痛みを感じない。
(ここは一体……)
水中というのに口に水が入ってこない。
そして、拓海は口から出たはずの自分の声が頭の中に直接流れたことに驚き、その不思議な感覚に声を止めると、謎の声が再びその空間に響き渡る。
ーーーーここはあなたの『ーーー』。あなた、戦いが終わった後に気を失ったんだけど覚えてないの?ーーーー
(!? 誰だ?)
響き渡る声に思わずそう聞き返した拓海はここがどこかという肝心な部分を上手く聞き取れず、自分が疲れ切って気を失ったことを思い出した。
拓海が思い出しながら黙っていると、少し困惑したような声が空間に響いた。
ーーーー名前、名前……。そんなことより、今回は何とか無理して少し力を貸せたけど、もうこんな事はないからねーーーー
その言葉を最後に拓海は自分の体に感じてなかったはずの浮遊感を感じ、意識が遠のいていった。
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「……ん? ここは……っ!?」
拓海が目を開けると目の前に心配そうな胡桃の顔があった。
そして頭の後ろの柔らかい感触と胡桃の顔の位置から拓海は胡桃に膝枕されていることに気がついた。
「ご、ごめん!?」
「よかった……。おーい! アイリス〜! 拓海が目を覚ましたよ!」
自分が膝枕をされていることに気がついた拓海は勢いよく起き上がった。胡桃が起き上がった拓海の顔を見て何故か少し複雑そうな顔をしていた気がしたが、あえてその事にはつっこまないことにした。
拓海は座ったまま周りを見渡すと少し離れた所に目から生気が失せたバンダースナッチの死体があるのを発見し、ここがさっきまで戦いをしていた森であることがわかった。
改めて三人で生き残れたことを実感した拓海は安堵して短く息を吐くと、胡桃の方に向き直る。
「俺ってどのくらい気を失ってた?」
「ん〜二十分くらいじゃないかなぁ? それより具合はどう? まだ少し顔色が悪そうだけど」
胡桃は心配そうな表情で拓海の顔をじっと見つめながら、拓海の頬にそっと手で触れた。
「あっ……」
拓海は驚いて反射的に身を引いてしまい、胡桃は無意識の内に拓海に近づいて触れていたことに気付き、小さく声を上げた。
「あ、いや、ごめん。だ、大丈夫。まだ身体中痛むけど、移動くらいならできるよ」
「そ、そっか。良かった……」
動揺しながら答えた拓海に、拓海から目を逸らして小さくそう応えた胡桃の間にしばらく気不味い空気が流れる。
そして、数秒もしない内に二人はアイリスが森の中から戻ってきている足音に気が付いた。
アイリスは周りの警戒をしていたらしく、拓海が起きたという胡桃の言葉に反応して、急いで戻ってきたのである。
「良かった! お怪我は大丈夫ですか? 一応、回復魔法はかけたのですが、どこか痛みます?」
「いや、痛みはほとんど感じないよ。ありがとな」
アイリスは若干顔色が優れていないもののそう笑顔で言葉を返した拓海に安堵の表情を浮かべるのであった。
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その後、三人は少し休憩した後でバンダースナッチの素材を剥ぎ取ってから村に戻り、村長に事の顛末を伝えた。話を聞いた村長は涙を浮かべて拓海達に何度も頭を下げて礼を言っていた。
それから拓海達が宿屋の酒場で休憩していると、村長から伝わったのか拓海達がバンダースナッチを倒したという情報が小さい村だったせいか瞬く間に広がり、その日の夜に村をあげてのパーティーが今いる宿の酒場で行われることになった。
最初は今日中に村を発つ予定だった拓海達だが、流石にバンダースナッチとの戦いで疲労していたので三人とも出発は明日の朝にして、折角なのでパーティーに参加することにしたのであった。
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辺りから楽しそうな声があちこちで聞こえていて、村人達はジョッキ片手に騒ぎ立てている。
(悪くないな……こういうのも)
拓海は椅子に腰掛け、楽しそうに笑い合う村人達を見て目を細めて一人口元に笑みを浮かべていた。
既にパーティーが始まってしばらく経っていて、少し離れた場所に目を向けるとにこやかな顔でジョッキを上品に両手で持つアイリスが酔い潰れて椅子から床に崩れ落ちる男の隣の席に座って苦笑いしていた。
アイリスは酒が特に好きという訳ではないが、どれだけ飲んでも酔わない体質なようで、村の男達にどちらが酔い潰れるか勝負を挑まれて、既に八人抜きをしていた。
まだ酒を飲めない拓海はそんな普段見慣れないアイリスの姿に小さく笑うと、夜風に当たろうと一人考え事をしながら外に出た。
少し冷えた夜の屋外で、拓海はぎゅっと目を閉じて宿屋の壁にもたれかかりながらバンダースナッチとの戦いの直後のことを思い出そうとしていた。
(俺が気絶していた時に、何か重要な夢?を見た気がするんだけど……。よく思い出せんな……)
「どうしたの? 何か考え事?」
声がして目を開けると、目の前にいつもの白マフラーをした私服姿の胡桃がひらひらと手を振った。
「胡桃……」
それから拓海は胡桃に今考えていたことを伝えると胡桃はクスッと小さく笑った。
「ふふっ! 夢なんてすぐ忘れちゃうよ〜」
「あはは……まぁ、そうだよなぁ」
つられて笑う拓海に胡桃は、突然何か思い出したような顔をして拓海に質問をした。
「あ、そうだ。そういえばアイリスから拓海がバンダースナッチと戦っている時に突然刀を使い始めて、刀から水龍を放って圧倒してたって聞いたんだけど、本当なの? アイリスは嘘とか冗談はあまり言いそうにない感じがするから気になってさ」
まじまじと拓海を見つめる胡桃に拓海は苦笑して答えた。
「いや、それが俺にもさっぱりでさ。というか俺もその様子を見たような見ていないような……」
「ふふっ、何それ」
眉間にしわを寄せて曖昧なことを言う拓海に胡桃は小さく笑った。
それから、胡桃は何も言わずに拓海の横に移動して二人して夜空を見つめた。
そして、しばらく二人の間に沈黙が流れると遠い目で胡桃が夜空を眺めながら小さく呟いた。
「私達……生きて帰ってこれたんだよね……」
「そうだな」
「拓海がギリギリの所を助けてくれたんだよね?」
「……まあ、ギリギリ……だな」
重症を負った胡桃の姿を思い出した拓海は個人的には間に合ったとはとても思えず、何とも言えない気持ちでぽつりとそう呟くように答える。
「意識を失う寸前に拓海の声が少しだけ聞こえてきたからさ」
胡桃はそう言ってから拓海の隣から再び正面に移動すると、拓海の顔を見上げた。
「嬉しかったよ! ありがと!」
少し恥ずかしそうにそう口にした胡桃は、拓海と目が合った瞬間慌てて目を逸らしてマフラーで口元を隠しながら頰を少し赤らめた。
「な、何かちょっと恥ずかしいや。こんな風にお礼言ったことなかったし」
そして、拓海はそんな胡桃の言葉に照れ笑いしながら言葉を返した。
「ははは……何か照れるな。まあ、いつも胡桃には助けられてばっかりだから助けになれて良かった。こちらこそ、いつもありがとな」
「な、何よ……や、やめなって〜」
お互い何だか恥ずかしくなってしまい、まともに顔を見ることが出来なくなっていると酒場の方からアイリスの元気そうな声が聞こえてきた。
「拓海さ〜ん! 胡桃さ〜ん! どこですか〜? ご飯無くなっちゃいますよ〜!」
アイリスの声を聞いた二人はお互い顔を見合わせると小さく笑いあい、酒場に戻って行くのだった。
2章はこれにて終了です。3章に入る前に番外編と、登場人物紹介、魔法紹介などする予定です!
挿絵は新しいものに交換する予定あり。(2019年8月現在の予定)




