8-42 分岐
エンヴィー卿の館にて。意識が変わったアイリスとカイルの形勢は完全に逆転して、アイリスによる怒涛の聖属性の攻撃が徐々にカイルの身体を蝕んでいった。
「はぁっ!」
力強い掛け声と共に上段から振り下ろした聖属性の魔力を纏った杖がカイルをかすめ、館の床を破壊する。
聖属性を纏った杖がかすめて頰が焼け焦げたカイルは、それでも表情一つ変えずに投げナイフを放ちながら距離を置こうとするが、アイリスは杖で全て弾きながら魔法を詠唱した。
「“ヘヴンアーク”!」
「“疾雷”」
魔法の詠唱と共にカイルの目の前に現れた光の球体がカイルの身体を吸引して粉砕するかと思われた寸前だった。
「くっ!?」
雷属性の光により視界が真っ白になったアイリスは背中の光の翼を使って空中に、逃げるように後ろに退きながら上昇した。
そしてアイリスは気が付く。
いつの間にか視界から消えて自分の後ろ、死角に入ったカイルに。
そんな魔力と気配でカイルの位置を察知したアイリスがすかさず振り返ろうとしたところで、異変が起こる。
「あ……れ……?」
振り返りながら視界が揺れ動き、思考が鈍っていくことにアイリスは自覚することなく全身から力が抜けていき、呼吸も乱れ荒くなっていく。
カイルの投げナイフの刃には遅効性の毒が塗られていて、そのナイフで何度も傷つけられたアイリスの身体を知らず知らずの内に蝕んでいたのだ。
「ぁ……ぁ、っーー」
そして消え入りそうな呻き声をアイリスが上げていると背中の光の翼が弾けてしまった。
それからアイリスは意識が遠のいていくのを感じながらそのまま落下していき、受け身もとれないまま身体が床に叩きつけられて吐血し、全身を痙攣させた。
ついに毒に侵されて目と口を半開きのまま全身を痙攣させるだけで瀕死の状態のアイリスにとどめを刺すために、この時を待っていたと言わんばかりにカイルは雷属性を付与した短剣を片手にゆっくりと近付いていく。
その瞬間。
「“プラント・インベイション”」
エンヴィー卿の館にカイルでもアイリスの声でもない、凛とした声が響いたのである。
同時に館の床が砕いて現れた細長く強硬な大量の木の根がカイルの身体に襲いかかり、虚をつかれたカイルにそのまま巻きついて締め潰し、カイルの身体が熟れたトマトのように破裂し血飛沫が辺りに舞った。
「“ライフブルーメ”」
そんなカイルに目を向けることなく、目を覚ましたエルフの冒険者、リンスィールがブロンズの長髪を揺らしながらアイリスに駆け寄った。
そして魔法を詠唱と同時に広げた両手に眩い輝きを放つ虹色の花が咲き、抱き寄せたアイリスの口の中に咲いた花から溢れた雫を一滴垂らした。
すると不思議なことに、光が消えていたアイリスの瞳に光が戻り血の気が失せていた顔色が回復していき、リンスィールの腕の中でアイリスはゆっくりと何度か瞬きをした。
そして落ち着いた表情のリンスィールと目が合ったアイリスは、口をパクパクとさせて目を丸くした。
そんなアイリスの様子を見て、頷いたリンスィールはカイルを締め潰した植物の方に目を向けた。
「話は後です。私の魔法では奴等にとどめを刺すことは出来ません。意識が戻ったばかりで申し訳ないですが、奴に肉体を回復される前に聖属性でとどめを刺して下さい」
リンスィールの腕の中で起き上がって、潰されて原型をとどめていないカイルを目にしたアイリスは目を見開いた。
少しずつではあるが、カイルの肉体が一箇所に集まり元に戻り始めているのである。
アイリスはリンスィールの魔法により毒は抜けたが、未だに倦怠感の残る身体を起こして近くに転がっていた自分の杖を拾いあげて、元に戻り始めているカイルに杖の先を向けて目を閉じて魔法を詠唱した。
「“ヘヴンズクロス”!」
そして透明感のある緑色に輝く杖に魔力が収束すると同時に、カイルの手前に現れた聖なる巨大な十字架が元に戻り始めていたカイルを飲み込み、やがてカイルの身体は燃え尽きるように塵となって完全に消滅した。
カイルが消滅して、館に静寂が訪れると共に安心したのかアイリスはふらつきそうになったが、いつの間にか側に立っていたリンスィールが支えた。
「おっと……大丈夫か?」
「あ……助かりました。ありがとうございます。えっと……」
「リンスィールだ。あなたは?」
「アイリスです。改めてありがとうございました」
リンスィールから離れてそう丁寧に頭を下げてお礼を言うと、リンスィールは驚いて首を横に振った。
「とんでもない、頭を上げてくれ。貴方達がいなければ私は今頃死んでいた。ありがとう」
お互い礼を言い合ったところで、リンスィールはアイリスの全身を上から下まで見て顎に手を当てた。
「それにしても……私以外にエルフの高ランク冒険者がいたとはね。まさか私の救援信号に気付く人が助けに来るなんて驚いたよ」
「あ、あはは……まあ高ランクではないんですけどね」
勝手に里を出て、結局Aランクで冒険者を引退したアイリスは気まずそうに苦笑をしていると、リンスィールは目を閉じて、しばらくして眉をひそめた。
「まあ、雑談は後にして貴方の仲間に加勢しに行くか。それにしても貴方の仲間……凄いな。あの化け物と一人で渡り合ってるのか」
目を開いたリンスィールは遠く離れた場所で戦うノアとアスタロトの気配と魔力を察知して驚いていたが、そこまで広い範囲探知出来ないアイリスは驚きながらもノアが無事であることに安心し、同時に迷っていた。
「それで、どちらに向かう? 個人的にはあの化け物がいない方が助けになれると思うが」
「そうですね……え?」
そこでリンスィールの言葉に違和感を感じたアイリスは、嫌な予感が頭の中を駆け巡った。
「どうした? 顔色が悪いぞ。少し体力を回復してから向かうか?」
「いえ、そうではなくて」
アイリスは首を横に振って、リンスィールの両肩を掴んだ。
「あの、地下に。気配と魔力を感じませんか? 仲間の一人が崩壊する地下で一人で戦っていたのです」
鬼気迫る表情のアイリスに驚きながらもリンスィールは、困ったような表情を浮かべた。
「すまない。ここからでは探知出来ないようだ」
「そんな……」
魁斗の気配と魔力を感じられないことに途方に暮れるアイリスに、リンスィールは腕を組んで尋ねた。
「まだ諦めるには早い。その人がいるという地下がどの辺りか分かるか?」
「はい、分かります」
「よし、なら一度その近くで探知しようか。瀕死で魔力も枯渇していて探知が出来ないのかもしれない。だが、もし探知出来なかったらすぐに他のところへ加勢に向かうぞ」
魁斗がまだ生きているかもしれないという希望を抱き、アイリスは拳を握り締めると真っ直ぐリンスィールを見つめ返した。
「分かりました。急いで案内します、付いてきて下さい!」
そう言って、疲労したままだったがアイリスを先頭に二人は戦いで更に崩れたエンヴィー卿の館を後にするのだった。




