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春告げのセリ  作者: K+
春告げのセリ
5/25

05 待ってて……?

 数日後の夜、言葉の練習に付き合ってくれていたデンが言った。

「貴女がもう少しここに慣れたら、俺はミシュの(みやこ)に行ってくる」

「称号を貰いに?」

 新しく覚えた単語や言い回しを紙に書いていたセリは、棒状の筆記具の先を布で拭いながら問う。

 うん、とミシュ語で応じ、デンは何本目かの銓刀(せんとう)に油を塗る。慣れた手つきを眺め、セリは浮かんだままを口にした。

「どれくらいかかるの」

「諸々合わせて八十万ミマかな」

 古びた紙に刃物を包みつつ言う婚約者に、セリは眉尻を下げた。

「高いね……?」

「まぁ、多めに狸や(イタチ)を狩って工面した」

 セリは数枚の単語の紙をめくり、〝時〟を見つけ出す。

 どれくらいかかりますか、をどう言えばいいのかまだ解らない。

 冬に向けての支度が真っ最中のようで、屋敷の中は日中慌ただしい。数人居るお手伝いの人々とは殆ど言葉が通じないけれど、セリが嫁いできたのは周知されていた。

 片言で手伝いたいと申し出て、漬物や干物といった保存食作りをしたり、見様見真似で毛皮を洗ってみたり。合間に彼らからも言葉を教われないか、試行錯誤している。

 デンはグリンザと一緒に、屋敷の外で魔道具を使った設備へ魔力を補充したり、森を見廻ったりしているらしい。森のずっと奥にはメッセン家の財源の一つである魔銅の鉱脈が在って、そこの管理もしているそうだ。

 色々と初めてが多い生活だけれど、身内の帰りをしばらく待つ暮らしというのも初めてになる。

(デン様には言葉が通じるんだもの。やっぱりちゃんと、訊いておこう)

 都まで行って帰るのは何日? と改めて尋ねたら、ひと月半かな、と返ってきた。思っていたより、長い。

 しばしセリが言葉を失くしていたら、デンはちょっと顔を傾けた。ゆっくりと、言葉を紡ぐ。

 紙に目を落として、セリは言葉を探した。

〝待つ〟……〝願う〟

「待ってて……?」

「呑み込みが早いな、貴女は」

「教えてくれる人がね、上手なんです」

 そう言ってセリが笑んだら、デンは刃物を取り落とした。紙に包んだところだったので、怪我が無くて何よりだった。



 ひと月ばかり経った秋の終わりに、デンはミシュマシュの首都へと旅立った。

 セリが驚いてしまったのは、彼が一人で出かけたことだ。てっきりグリンザも一緒に行くと思っていた。

「僕は奥方と御当主を引き受けたんだよ」

 聞き取りはかなりできるようになったセリに、美貌の中位魔法士は片目を閉じてミシュ語で言った。「今の当主代行は、どういうとんちき理論で行動を起こすか判らないだろう?」

「トンチキ?」

「セリ殿、グリンザ・ムスタから言葉を覚えるのはあまりお勧めしない」

 養子の後ろ姿が葉の落ちた木々の向こうに消え、玄関口まで杖を使って見送りに出ていた当主が、苦笑気味に言いつつ屋敷の中へ戻る。

 辛そうな足運びに手を貸したいのを、セリは我慢する。

 自力でできている所へ頼まれもしないのに手を貸すのは、人によっては劣等感を生じさせるものだ、とデンが言っていて、当主の歩行に関しては常に見守るしかしない。

 セリは、自分はどうすべきか迷いつつ当主を見続け、結局デンと同じ選択をしていた。

 老けて見えるが、当主はまだ五十代なのだ。未だ毅然と、メッセン家の者として立っている。余計な助けはきっと、彼の気力を奪う。

 真っ直ぐな廊下を歩き出した当主に並んで、セリはミシュ語をたどたどしく口にした。

義父(とう)様、温かい物、飲む?」

「貰うよ、セリ殿の入れてくれる物なら」

「お茶、淹れます」

「カフィをデンから習っていなかったか」

「カフィ、デン様が上手です。わたし、なので、わたしは、お茶が上手、なるにした」

「そうか。私はどうやらお茶の方が好きになりそうだな」

 屋敷の雑事取り纏めをしているカイケン老が、わしのようにデン坊から睨まれますぞ、と冷やかしながらひょいひょい厨房へと去っていく。茶器の用意をしてくれるのだと思う。

「奥方、こんど僕にも淹れてね」

 グリンザが、にっこり笑って自室へ入っていった。

 彼はデンの教師役はもう降りていて、今は森に添いながらも快適に暮らせるよう工夫するのが、魔法士として請け負っている仕事だそうだ。

 ここ最近は、積もった雪を必要な部分だけ簡単に溶かせるよう、込み入った魔法図を描いているらしい。

『ムスタは、新しい魔法図の考案や既存の物への描き加えが得意なんだ』

 デンは自分が不得手な所為もあるのか、率直にグリンザを称賛していた。今では対等な様子で接しているけれど、六つ年上のグリンザはデンの根底で師兄なのだろう。


 茶を出すついでに少し会話の練習をさせてもらってから、セリは邪魔をしないように義父の部屋を退出した。当主の所には、確認や署名の必要な書き物がたくさん来るのだ。

 茶道具を厨房に戻し、セリはそのまま、夕食の支度にかかっている賄い夫妻の手伝いに加わった。先ずは言葉、次いでこの地方の料理も覚えたい。

 夫妻は初め、主家の嫁とはいえ見知らぬ小娘に台所へ入り込まれて、座りが悪かったし怪しんでもいたらしい。

 けれど、お茶受けにならないかとセリが里の軽食を作って見せてから、次第に打ち解けてきた。

 そのとき作ったのは、揚げ芋に甘ダレを絡めた物だった。

 手際はいいが、もったりした味がこの辺では受けないと、旦那さんが正直なところを言ってくれた。それで、三人でメッセンの味と融合させられないかと試しているうち、娘みたいに接してもらえるようになったのだ。

 いらっしゃいな、と奥さんが誘ってくれて、セリが一緒に野菜の皮剥きを始めたら、外に出られる使用人口を叩く音がした。旦那さんが扉を開けると、セリと同年くらいの少女が駕籠を手に立っている。頼まれていた調味料を持ってきてくれたようだ。

 彼女はセリを見ると、ちょっとムッとした顔になった。

「オクガタ、なんで居るの。若坊と一緒に行ってなかったの」

「わたし、お留守番」

「もう、本当に若坊と結婚するわけ? 実はローウェル様目当てじゃないでしょうね」

 こら、と旦那さんと奥さんの声が慌てたように被った。セリは瞬いてから、小さく笑う。

 違うとは判っていても、綺麗な容姿、優しい言葉、周りに女の子が多い、と三拍子揃ったグリンザは、カシワを思い出す。心が悲しくて冷たくなった経験から、まだほんのふた月も経っていなかった。

 セリは特段に男の目を集める美人ではないし、デンと似た者同士でちょうどいいと思う。

「わたし、デン様、待ってる」

「変な子ね、オクガタ。ローウェル様と一緒に住んでるだけで腹立たしいけど、しょうがないわね」

 失礼なこと言ってないで家の手伝いをしろ、と旦那さんが追い立てたら、はぁい、と少女は舌を出して帰っていく。

 屋敷の周囲には七十人ばかりが暮らしていて、セリへの態度は概ね少女と似たり寄ったり。予想よりも酷くなかった。里に居た頃の方が、よほど疎外感を味わっていた気がする。


 それでもその日の夕食時、セリは心細くなった。

 円卓の中心に置かれた丸い魔道具の(ともしび)が、今夜は揺らめいているような錯覚がある。

 ぼやぼやとした光の奥、セリの向かい側は暗い壁だった。

 デンが座っていない。

 彼の不在を実感したら、急にセリは自分の気づいていなかった気持ちを知った。

 同時に、たまらなく不安になった。

 いってらっしゃい、気をつけて――セリは、デンにそれしか言わなかった。

 普通はそんなものだろう。別におかしくはない。でも、もっともっと何か言えば良かった気がしてしょうがなくなった。

 食の進まないセリを見て、同席している当主とグリンザが目を見交わした。

「奥方、デン君は大丈夫だよ」

 セリは黙って頷く。

 解ってはいる。デンは十九にもなる男の人で、ちょっと口下手だけれど喋れないわけじゃないし、手先は器用。料理もできるし、魔法の弓も使える。

 顔を上げると、当主とグリンザがじっとこちらを見ていた。セリは鼻の奥がツンとする。

「ごはん食べてる、最中、ごめんなさい」

 声が掠れてしまって、焦ってセリは水を飲む。

 構わない、と当主が言い、グリンザは微笑した。

「うん、じゃあ僕も、食事中にどうかと思う話をしよう」

 当主は一瞥しただけで()めない。セリも自分が先に雰囲気を悪くしたと解っていたから、無言で美麗な顔を見た。

「デン君の故国はもう無いんだけど、戦争ばかりしていてね。魔力のあった彼は生まれてすぐに親から離され、戦闘と生き残る術を叩き込まれている。幸いと言うべきかどうか迷うけど、彼はその手の才能があったようだね」

 弓は訓練されていた、と言っていたデンを思い出す。セリは、その状況を想像して頭がすうっとなった。

 グリンザは、白身魚の衣焼きを品良く切り分けながら続けた。

「御当主も御令室も、勿論僕も、なるべく彼に当たり前の感情を持ってもらおうと接してきた。けど、今でも弓を持った時だけは、ほぼ完璧に無だ。標的を射ることに一切のためらいが無い。だからこそ、あの精度なんだろうけど」

「そもそも、魔法弓の図面は複雑なんだがな」

「そう! デン君はアレを瞬時に頭の中に(えが)いて発動している。そこまではまぁ、会得してる人、普通に居ますけど。でもです、デン君は、標的や気象条件によっても弓や弦の強度、矢の質から長さまで、その都度、描き換えてるんです。独自の魔法図ですよ」

 得意分野の話になったからか、グリンザは当主に意気込んで応じる。

「なんと? 投げ矢をカイケンに時折披露してるのは見たことがあったが――」

「えぇ、僕も投げ矢を見てびっくりして、こっそり観察し続けてたんですが、確信しました。アレだって図面に起こせたら、上手くすればダクタを狙えます。なのに――あーもうっ、なんでああ手で描くのは下手なんだろうっ。デン君、バチェラでいいとか呑気なこと言ってましたけど、僕、紹介状にきっちり書いといたんで、ムスタは固いですけどね!」

 グリンザは早口になっていったし所々専門用語みたいなモノも混じっていたけれど、セリは何とか理解する。

「デン様、図面下手。だけど素敵……?」

「そうそうそうそう」

 いい笑顔でグリンザは首肯し、だからね、と切り身をフォクの背に乗せてセリを流し見た。「途中で盗賊とかに出くわしたとしても、余裕で返り討ちだよ」

 盗賊という単語がまたぞろ不穏だったが〝大丈夫〟は伝わってきた。少しだけ気持ちがほぐれて、セリは頬を緩める。

 更にグリンザは、自信たっぷりに付け足した。

「絶対、物凄い早さで帰ってくる。だって、奥方と僕を一緒に残してるもの」

 はっはっはと当主が肩を揺らして笑い出した。

「ひと月といったところか」

「僕、二十五日くらいだと思います」

「宜しい、五千ミマだ」

「じゃ、僕、六千」

 賭けを始めた二人の間で、ひと月半が縮まるといいなと、セリはやっとごはんを味わい始めたのだった。

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