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春告げのセリ  作者: K+
春告げのセリ
3/25

03 “ありがとう”は

 緩い起伏を繰り返す森の中を昼頃まで歩き続けた末、これまでより若干きつい斜面を登り切ったら、視界が開けた。

 明らかに人の手が入った林で、踏み分け道がある。道の先には数軒の家並が見えた。

 奥の方に建つ石造りの屋敷を指して、グリンザが口端を上げる。

「あの黒屋根、メッセン()本宅」

 踵を上げるセリの脇で、デンがおもむろに弓を出して前上方に一矢(いっし)放つ。ややして、コォーンと金属音がした。

 木立がまばらになり、道が石を敷いたようになる。その辺りに来る頃には、ここが屋敷に寄り添う小さな集落だと判明していた。

 横合いから黄色い声があがったと思う()に、グリンザの周りにわらわらと四、五人の女の子が集まってくる。賑やかに異国語が飛び交い出した。

 セリがびっくりしていたら、デンが腕を引いてくる。

「貴女は混ざらなくていい」

 そのままデンは屋敷の方へと足を向ける。放置されたグリンザは、にっこり笑ってセリに手を振った。

「奥方、また後で」

 オクガタ――オクガタ? と色々な抑揚で女の子達が連呼している。名前か何からしいとは察したようだ。

 グリンザの奥方などと勘違いされずに済んで良かった。あのカシワでも若い娘達の視線を集めていたのだから、グリンザも相当の筈だ。しかも彼は中位魔法士の肩書きまである。

 離れ行くグリンザにぎごちなく会釈を返したセリは、己が腕を取っているデンにそそくさと並んだ。

 デンは、少し意外そうな目をセリに向け、すぐ逸らす。次いで、慌てたようにセリの腕から手を離した。歩調を速めて前に出る。

 彼が胡桃の低い垣根を通過したら、ひょろひょろの老爺が屋敷の大きな扉を開けて出てきた。口をついて出る異国語は何か怒っているようだったが、何処となく温かみの滲む口調ではある。

 皺々の親指で何度か上を指すので見上げたら、屋敷の高い屋根の上で鈍い色をした何かがゆるゆると回転している。金属の薄い板のようだが、鳥の形だった。

(さっき、あれに当てた?)

 デンの魔法の弓はかなりおかしいとしみじみ思っていたら、老爺の関心がいつの間にかセリに移動していた。濃い茶緑の双眸から、遠慮の無い視線が向いてくる。

 胸、腰、胸、と視線が交互したところでセリが己の成長にがっかりしたら、デンが半眼を閉じていきなり漆黒の投げ矢を手にした。あんな短い矢も出せたようだ。

 投げられる前に、老爺は歳を感じさせない素早さで踵を返し、屋敷の中へ消えて行く。

「もうすぐ、昼食の支度が整う」

 不機嫌そうな顔でデンは投げ矢を帯に挟むと、開いたままの扉に向かった。「当主は済ませたそうだが、同席する」

「――はい」

 当主ということは、デンの親だ。セリは、粗末な旅装が情けなくなった。昨日着ていた晴れ着は、カシワに荒っぽくされた時にちらほら汚れ、破けてしまっていたのだ。

 うつむきがちに後を追うと、敷石を数段上がったデンは巻き布の裾をふわりと揺らした。振り返って、セリを窺い見る。

「当主に会えば、流石にもう引き返せない……嫌なら、ムスタに送らせるが」

「ち、違う――わたし、わたしの、服が、恥ずかしいだけ」

 え、という形に口を開いたまま、デンはちょっとだけ呆けたようにセリを上から下まで見た。明らかに、何が問題か判らない、と顔に出た。

 きちんと言わないと通じないのを悟って、セリは晴れ着も恥ずかしくなっていると打ち明ける。

 デンは真顔でしばし黙考すると、解った、と顎を引いた。

「今日のところは俺の服を貸す。この装束は女も纏う所があるし、揃いなら挨拶らしくもなるだろう」

 結果、当然と言えば当然だが、セリにはデンの服はぶかぶかだった。帯をぎゅうぎゅうに締めて、ずり落ちそうなサリュエリュと言う下衣も何とか足の甲にかぶさりかけた位置で留める。

 色違いの揃いの割に、ゆったりとした趣のデンと違う気がする。だぼだぼしている。

 それでも、着方を身振り手振りで教えてくれたお手伝いさんらしい年配女性が、どうも褒めてくれているようだった。肩に届いていた髪をただ垂らしているのは良くないというような仕種をされたので、一部だけ後ろにねじって纏めてみたら、何度か頷いて綺麗な紐を結んでくれた。

 終わったら、そわそわした風に背中を押されて部屋を出る。

 廊下の石壁に寄りかかっていたデンが、穴が空きそうなほど凝視してきた。セリは不安になって我が身を見下ろす。

 お手伝いさんが自慢げに何か言いながら、セリの身体をひと回りさせた。目を逸らし気味になったデンは聞いているのかよく判らない様子で小刻みに頷いてから、口早に異国語を紡ぐとセリの手を引いて歩き出す。

 廊下は屋敷の大きさどおりに長い。角を折れて階段へ出た所で、デンは小さく、俺の服と思えない、と洩らした。

 お手伝いさんが何度か口にしていた単語を、セリは真似てみる。

「ぱてぃ」

「まったくだ」

 応じて、デンはハタとしたように口をつぐんだ。セリが意味を問う眼差しを向けると、耳の先がほんのり染まっていく。

 結構な沈黙の後、観念したように彼は言った。

「可愛い」

 無性に嬉しくなって、セリははにかんだ。

「〝ありがとう〟は〝コクス〟?」

「……少しは話せたのか」

「貴男がさっき、お手伝いさんにそう言ってました」

「……丁寧に言うなら、コクスゥだ」

 繰り返したら、発音を訂正される。

 食堂に着くまで、セリは異国語の挨拶をデンにねだった。



 一階は土台だから石造りの割合が大きい。少しひんやりした食堂も、重厚な色合いだった。

 薄黒い壁を背景に、先程玄関に現れたのとは違う老人が座していた。痩せているのに、堂々とした空気を放っている。きちんと整えられた髪や顎髭が、銀色に近い灰色だった。

 デンに促されて入室したセリに、老人は深く響く声で言った。

「足を悪くしているので、座ったままで失礼する」

 流暢に通じる言葉をかけられたけれど、腰を両腕で抱いて軽く体を折り、セリは頑張って覚えた異国語で返した。

「ノシィト、マスゥ。ナズ、セリ」

 老人の、セリの瞳より淡い青の目が、デンに注がれた。

「思いがけず、当たりを引いたようだな」

 デンは黙って頷き、セリに老人の斜向かいの椅子を示した。自らは、もう一方の斜に回って腰を下ろす。

 台車を押して、ひょろひょろの老爺が姿を見せた。大きめの円卓へ、料理の盛られた皿を、予想外に綺麗な手つきで並べていく。焼いた肉にタレと刻み葉をかけた物や、赤や黄も混ざった野菜を炒めた物、蒸かしたようなパン、白いとろりとした感じの汁物。硝子の器に水が少し。

 空いた場所にも、もう一人分用意している。ほわほわと幸せそうにのぼる湯気の動きを目で追っていたら、老爺にまた観察されていた。締りの無い皺々の口元がへらりとするので、セリが笑みを返すべきか逡巡したら、向かいのデンがじろりと彼を見る。

 すうっと視線を逸らした老爺は、最後に当主の前に茶を置き、何食わぬ顔で台車を押して出て行った。

「カイケンは年を経たグリンザ・ムスタなので気をつけるように」

 厳かな声で老人が言うと、酷い、と入口の方から声が飛び込んできた。

「御当主、ワタシ、カイケンならないです!」

 今のところは眩い美男がやって来て、空いた席に着く。セリを見るや、ワーパティ、と声をあげた。「奥方、わぁい、ワタシ奥方欲しい」

「気をつけるように」

 当主が繰り返し、セリは素直に応じる。デンがちょっと肩の力を抜いたようにパンを手にした。セリ殿もおあがり、と老いた当主が声音を和らげて勧めてくれる。

 食べ始めて、こんな風に温かい雰囲気の食事は久しぶりだと思った。ごはんに満たされる。

 セリが大事に味わっていたら、俄かに扉向こうが騒がしくなった。

 デンと当主の表情が硬くなり、グリンザも僅かに目を細める。

「早いな」

 当主の響く声には、苦味が混じっていた。デンの目が翳りを帯びる。

 美味しかった欠片をセリがこくりと飲み込んだ時、扉が荒々しく開いた。数人の姿がある。

 先頭の、金に近い赤毛の男が、つかつかと侵入してきた。がっしりした体格で、歳はグリンザより少し上だろうか、三十前後に見えた。目も口も大きく、生命力に溢れている。落ち着いた老当主と瞳の色だけがそっくりで、それが変なちぐはぐ感を醸していた。

 続いて入ってきた二人も男だったが、ついて来ただけなのか扉口で立ち止まる。

 赤い癖毛を揺らして男が放つ異国語に〝シノノメ〟が含まれていた。この人も今回の縁談に関わっているのだろう。当主とデンは歓迎していないようだが。

 そんな男の薄青い双眸に捉えられ、セリはびくりと身をすくめた。デン達が彼を歓迎していないのと同じく、彼はセリの訪れを喜んでいないのが判った。小馬鹿にしたように何か言われる。

 デンが押し殺した声で短く応じた。男が鼻から大きく息をつく。デンのことも見下した様子でまくしたてた。

 そこへ当主の声が低く滑り込んで、男の剣幕を押さえ込んだ。忌々しげな顔つきで男はデンに指を突き付け、当主を見据えながら何事か宣言する。そうしてセリを侮蔑の目で一瞥した後、身を翻してお伴と一緒に去っていった。

 グリンザが、やれやれと言うように硝子の杯を傾ける。セリと目が合うと、意味ありげに微笑した。

「簡単言うとです、ヤキモチ」

「……セリ殿には、甚だ迷惑でしかない話だな」

 疲れを滲ませ、当主が椅子の背もたれに身をあずけた。

 開け放しになっていた扉から、ひょろひょろのカイケンお爺さんがすまなそうに顔を覗かせている。当主が彼に異国語を告げると、すぐに新しい茶が運ばれてきた。今度は全員分だ。

 温かい器を手に当主が語り始めたのは、こんな話だった。


 メッセン家は、およそ五百年前の魔法立国ミシュマシュ建国以前から、一帯の深い森と周辺の土地を治めている旧家だ。

 ミシュマシュ建国時にも、国主に協力しただけで追従はしていない。地図上では国土の一部として記載されるようになったが、実際は今現在も自治区扱いである。

 当主に与えられた権限は大きく、比例して責任も重い。

 ミシュマシュが誕生して以降、魔法技術が飛躍し、各地に魔力を使う新技術が広まった。メッセン自治区もその恩恵を受けたが、良いことばかりでもなかった。

 治めるにも、以前より格段に魔力が必要となったのだ。

 代々の当主は、それぞれの方法で魔力を賄ってきた。個人の資質のみで切り抜けた者も居れば、住民の協力を巧みに得た名君も居る。

 しかしながらじわじわと負担は増え、代替わりしたミシュマシュ首脳部から土地の産出物を狙われるまでになっていく。

 そんな中、三百年ほど前の当主が、土地を守る意味も含め、ここを神秘の地に仕立て上げた。

 メッセン自治区は当主と森の神獣が契約を交わして治める地、契約も交わせぬ余所者では踏み込めぬ地、と――


「ここからシノノメ(ざと)が深く関わってくる」

 当主は茶で喉を潤すと続けた。


 昔、狩猟が生活の主流だった頃、隣国ではあったが、シノノメとは季節によって狩りを共に行うことがあった。農耕が主流となってからは、お互い好戦的な民族ではなかったし、不干渉の間柄となる。

 ただ、シノノメには不思議な魔法が伝えられているのを、メッセン家の当主も伝え続けていた。農業が主流となろうとも、里との境付近で間違って狩りをしては拙かったからだ。


「シノノメ(びと)の中に、動物に姿を変える魔法の使い手が居たのだ」

 セリは目を見張ってから瞬く。そんな里人(さとびと)は、生まれてから一度も見たことが無かった。

 少女の反応に、当主はゆっくりと顎を引いた。

「今はほぼ廃れているのだろう。メッセン家の所為かもしれない」


 三百年前の当主は、シノノメ里の者に頼んだ。あの魔法を教えてほしいと。

 シノノメは、快諾はしなかった。

 この山野に感謝する為に先祖が編み出し、永らく伝え守ってきた技だ。軽々しく余所へ広める気はない、と。

 ただ、シノノメには魔力持ちが非常に少なく、技の使い手の確保に困っている。交換で誰か、魔力持ちが嫁いできてくれるなら一考してもいいとの返事だった。

 正直な所、メッセン家には願ったり叶ったりだった。

 こうして何代か、魔力は無いが変化(へんげ)魔法は知っているシノノメの娘が嫁いできて、メッセン家からは妙齢の魔法士が嫁いでいった。


(いにしえ)の慣習は、そこからだったんだ)

 聞き入っていたセリは、ようやく両手に包んでいた器の中身を飲んだ。ぬるくなっていたが、知らなかった事々と一緒に、内にしみていく。


 ある冬の折、シノノメが近隣の里から攻め込まれたことがあった。

 メッセン家は親戚関係になっている者も増えていたし、当然ながらシノノメへ救援を派遣した。

 冬山を越えての救援は、敵を撃退はできたが、犠牲も多く出した。救援に加わった者然り。到着が間に合わず、手遅れだった者然り。

 シノノメは、例の魔法の伝承者も何人か亡くし、踏みにじられた田畑や家の復興にも時を要した。

 慣習のようだった婚姻が、そこで途絶える。

 折しも、メッセン自治区から出向いた商人が、恩着せがましい物資提供などをした為、関係は徐々に良好とは言い難くなっていく。

 旨味を吸ったのは、結果的にメッセン家だけ。〝人智を持つ神獣に守られた地〟を創り上げ、土地を維持する魔法士の輩出にも成功したのである。


 セリは、小首を傾げた。

「変化の魔法が廃れたのは、しょうがないことだったのではないですか……?」

「シノノメ里には天の采配があったのではないかと思うのだよ。他より多くの魔力無しが生まれるという」

 当主は目を伏せた。「かの魔法は、ムスタ以上の魔力持ちでないと発動できないらしい。つまり、シノノメは使い手を保つ為にも魔力無しが必要だったのだ」

「――優秀な子供が生まれなくなった……?」

 一族の罪を謝るかのように、当主は沈んだ面持ちで言った。

「メッセン家が下位魔法士(バチェラ)を送り続けた結果、シノノメには中途半端な魔力持ちは増えたが、必要な量の魔力を持つ者は減っていったと思う。同時に、ムスタ以上を生み出す存在も」

 グリンザが肩をすくめる。

「魔力無い子、ムスタ同士結婚する多く生まれるですよ」

 里では使い手同士が結婚すれば、また良い子を生み出せる可能性を繋げたわけだ。もはや伝承を止めてしまっているけれど。

 そうだったんですか……とセリは納得を言葉に乗せる。

 ずっと黙っているデンが、茶の入っていた大きな陶器の瓶に触れた。ポッと指先が光ったと思うと、注ぎ口から漏れる湯気の勢いが増す。魔法で温め直したようだ。

 (から)の器に茶を注ぐ息子を見やり、当主が淋しそうな目になった。

「さて……これからが本題と言える」

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