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春告げのセリ  作者: K+
春告げのセリ
2/25

02 わたし、一緒に行きます

 結婚相手はどうやら人間だったけれど、だからといってセリの気鬱がすっかり晴れるわけもない。

 踏み分け道も見当たらない、初めて入った森だ。

 時折、何か動物の影が走り去っていく。獣避けの薬を持たないセリは、その度にびくびくしていた。

 前を歩く男二人は、平然と茂みや木の枝を分けて行く。基本的にこの国の言葉で会話していて、セリは蚊帳の外。たまにグリンザが、だいじょぶ? と片言で聞いてくるのに頷くしかできない。

 夫となるらしいデンにいたっては、何も言ってこない。グリンザが気遣ってくれる時、つられたように一瞥してくる程度だ。どう見ても、向こうも大して望んだ結婚ではないのが判った。

 とてもではないが、こちらから話しかける気になれなかった。わたしはどうなるのという質問しか頭に浮かんでこない。答に慄く結果となるのも怖かった。

 一度、デンは飛ぶ鳥を弓で射止めていた。

 ()の当たりにしたセリは、彼の弓と矢が魔法だと知った。弓も矢も唐突に手に現れ、あっと言う間に放った。流れるような所作だ。

 落ちた獲物を手に戻ってきたデンを見て、御馳走、とグリンザがにこやかに言ったのには、どう反応すればいいのか判らなかった。


 何処に向かっているのかも定かじゃないまま、日が傾こうとする頃、木々の合間に家が見えた。

 少し肩の力を抜いたように見える男達が言葉を交わし、グリンザが肩越しにセリを見て、何とか間に合った、と言ってきた。ここが目的地だったようだ。

 木造りの建物は異国風だったけれど、大きさはセリの家とどっこいどっこい。ふた部屋あればいい方だ。

 家は無人だった。それでも荒れてはおらず、勝手知った様子で、デンとグリンザが明かりを用意したり魔道具らしき物を取り付けたりし始める。

 ぼんやりしているのは居心地悪くて、何かします、とセリがグリンザに申し出ると、デンが竈の傍に置いていた頭の無い鳥を指差した。捌けと言いたいようだ。一体何の鳥なのかセリには未知の種だったが、黙って取りかかる。

 湯にくぐらせて茶色い羽を抜いていると、グリンザが調味料や他の食材を並べ始めた。が、知らない物や保存食のような物ばかり。仕込みの時間もあまり取れなさそうで、何の料理にすべきか悩んでしまう。

 取り敢えずガラで出汁を取るべく小屋を出ようとしたら、慌てたようにデンが入口に立ち塞がった。微かに口を開閉させてから問うてくる。

「何処へ」

「臭み消しになりそうな、野草を探してきます」

 セリが頭半分ほど上にある顔を見上げたら、後ろの方でグリンザが可笑しそうに笑った。茶化すように異国語を投げてから、セリにも言った。

「もう暗い危ない。一緒に行く、いいよ」

「……俺が一人で行ってくる。ムスタと居て」

 言うなり、デンは家を滑り出て行った。

 ややの()セリが立ち尽くしていると、グリンザがにやにやした。

「可愛い奥方逃げる、困るです。彼、結婚できる、思ってなかった」

「そう、ですか」

 ちょっと意外だった。

「今、珍しい、魔力無い子。居ない思ってた」

「……なるほど」

 魔力の無い娘が居なかったら、デンは結婚しないつもりだったのだろうか。どうしてそこまで能無しが望まれているのか、未だにさっぱりだ。

 緩く首を傾げつつ、セリは流しの傍に並んだ調味料を吟味した。

 (ひしお)の瓶が幾つかあり、里の味噌に似た物を見つけた。ほぐした胸肉に酒や刻み生姜と一緒にすり込んでおいて、炙ることにする。

 野菜の代わりになりそうな物を探していたら、デンが帰ってきた。早い。

 いい加減に見繕ってきたのかと思えば、使えそうな香草以外に山菜や茸まで採ってきている。すすぐだけで良さそうな状態になっていて、これはひょっとするとセリより料理ができるのではないかと疑わしくなった。

 そのとおりと言わんばかりに、下処理の済んだ諸々を見やると、デンはさっさとガラ入りの深鍋に香草を放り込み、竈に火を移している。火加減の調整も慣れたものだ。

 それを横目に、セリは見つけ出した乾燥芋のような物を胡麻と共にすり潰し、塩、胡椒を加えてから一口大に丸めた。これも軽く炙る。

 椅子に座ったグリンザが一人、面白そうな表情で見物体勢に入っていた。

 そんなこんなで半刻後に出来た夕食は、美味しくいただきたかったものの、セリとしてはいまいちだった。グリンザは喜んで食べていたが、恐らくシノノメの味は初めてで、比較水準が曖昧な所為だ。

 因みにデンは黙々と口に運んでいて、どう思っているのか判断できなかった。三分の一は彼自身が作っていたから、いいも悪いもないという感じだろうか。


 食後、デンが何かの豆を炒って削り潰し、飲み物を淹れてくれた。黒くて、焦げたような臭いがする。恐る恐る啜ってみたら、苦い。

 不味いと顔に出さないように四苦八苦していると、斜向かいのグリンザがセリの器に黒糖らしき塊を入れた。

「コヒ、初めて?」

「……こ、恋?」

「あー、むかーし、そゆ薬、でもある、みたいね」

 木匙でかき混ぜながら、グリンザは蕩けるような笑みを浮かべる。向かいに腰を下ろしたデンが、むすっとした顔になった。

「そういう目的で淹れてない」

 明言されても、得体の知れなさに益々飲みにくくなった。

 セリが両手に挟んだ器の中身を凝視していると、卓上に紙が一枚出された。

 正方形の紙面に、薄い灰色で細かに何か描かれている。円に近い、紋様のような図柄だった。

 絵から目を上げると、不貞腐れたような顔つきのままで、デンが言った。

「貴女がシノノメの者達と下の街に来たのは知っているが、少し心許ない……普通、他人の妻になる女を、引き渡し直前に手籠めにするか? シノノメの三子が愚かというだけじゃなく、貴女が死んでもいいという扱いだ」

 セリはどきりとする。

 全くそのとおりだ。セリはカシワの心中を察していたから警戒していて、懸念が的中したとしか思っていなかった。けれど、常識的に考えたら、異様だ。

 無用な争いは好まないと里長(さとおさ)は言っていたが、先方から持ち込まれた話に憤慨もしていた。誠意のある対応をするつもりは、さほど無かったのだろう。

 息子があんな振る舞いをするとまでは思っていなかったとしても、セリの存在は非常に軽かったわけだ。

 あそこで辱めを受ければ、身籠ってしまうかもしれなかった。その可能性がある限り、今回の話は白紙に戻るし、セリは殆ど自死するしかない立場になっていただろう。

 手に包んでいた器の中身が、波立った。抑え切れずに浮かせたセリの手を、デンの硬い手が掴んだ。

「そもそも、シノノメの者は髪も目も黒いと聞いている――まぁ、貴女は、その色で、いいけど」

 言葉の終わりで不意にしどろもどろになったデンは、掴んだセリの手を紙に押し付けた。抗おうにも、びくともしない。

 男の力に恐怖して、嫌、と立ち上がりかけたら、デンがびくりとして手を離した。突然の解放で椅子ごと後ろにひっくり返りそうになったセリを、グリンザが素早く支える。たしなめるような異国語を投げた。

 デンは気まずそうに、ごめん、とこぼしてから、紙に目を留め、ホッとしたように息をつく。

 紙や絵に何らかの変化があった気はしない。セリが瞬いている()に、デンは手帳みたいな物を取り出し、それに紙を挟み込んだ。呟くように言う。

「魔力無しの条件さえ満たしているなら、シノノメの思惑がどうあれ、もう俺は貴女でいい」

 結局のところ、セリに選択肢は無いらしい。

 半ば諦めて椅子に座り直し、セリは器の中身を口に含む。グリンザが加えた物の所為か、さっきよりもまろやかな味になっていた。

 もう一口飲んでみる。独特の、コクのようなモノが口中に広がった。

 少しずつ飲んでいたら、グリンザとデンに注目されていた。一方はにこにこと、一方は物静かに。

 ひょっとして、何か言わなくてはいけなかったのか。

 己のことなのに投げてしまっていたセリは、些少の動揺と共に器を卓に置く。

 デンが、僅かに目を落として口を開いた。

「無理に俺の妻にならなくていい。嫌なら国境(くにざかい)まで送ろう」

 は? と言いたげな声をあげたのはグリンザだった。早口に、異国語を紡いでいる。

 セリもぽかんとして、向かいの若者をまじまじと見た。何処にでも居そうな容貌が、凪いだ様子で見返してくる。

「貴女が、ここまで、仕方なく来たのは判っている」

 結婚しなくていいならそれに越したことは無いのに、セリは戸惑ってしまった。セリが小屋を出ようとした時のデンの慌てぶりは、本物だったからだ。

「逃げたら、困るんじゃないんですか……?」

 デンが詰問するようにグリンザを睨んだ。睨まれたグリンザは目をセリに移し、困る! と何度か頷く。

 セリの瞳が迷いに揺れると、デンは苦虫を噛み潰したような顔になった。

「はっきりさせておくが、貴女の夫はムスタじゃない。俺だ。貴女を連れて帰れないと困るのも、ムスタじゃなく、俺だ」

「……それは、解ってます」

 選択肢を与えられたからか――本人の口から困るのが知れたら、セリの心はすとんと定まった。

 逃げ道を示されたのに逆へ行こうとしているのだから、自殺行為かもしれない。

 けれども、成り行き上とはいえ、デンがカシワから助けてくれたのは事実だ。彼には恩がある。

 状況に流されてつまらない涙をこぼすくらいなら、踏み込み、足掻いた上で泣きたかった。

「わたし、一緒に行きます」

 セリはそう口にして、自ら、デンの妻という道を歩き始めたのである。




 翌朝、セリが寝台で目を覚ました時には、部屋に一人だった。

 手早く身支度して扉を開けると、短い通路の向こうから異国語が聞こえる。

 父もよく解らない言語を話していた記憶があるけれど、この国の言葉ではなかったように思う。だから、今デンの声で耳に届く単語の数々もさっぱり解らない。

 扉を半分開けた恰好でぽつんと立つセリは、炊事場や食卓のある向こう側から丸見えだったようだ。

 グリンザがいい笑顔を覗かせ、妙なことを話しかけてきた。

「奥方、だいじょぶ? お疲れ? 夜デン君、張り切ったです?」

『貴女は、ムスタが聞き耳を立てていると判っていて、この狭い家で夫婦らしきことをするつもりなのか? 俺は嫌だ』

 昨夜、呆れたようにデンから言われた台詞を思い出して、セリは聞いた直後と同じく顔から火が出そうになった。

 絶対に〝夫婦らしきこと〟をすると思い込んで、一人でがちがちに緊張していたみっともなさが、一夜明けても居たたまれない。

 おまけに、そうして涙目になるほど恥ずかしかったのに、背中合わせで布団に入ったら、あったかくてすぐ寝入ってしまった。先程目覚めるまで熟睡である。

(初めて男の人と一緒の布団で寝たのに、それって……!)

 セリが顔を覆って逃げ出したい衝動に駆られた時、デンが食卓に皿を並べながら言葉を投げてきた。

「ムスタは解ってて言ってる。それ以上、楽しませなくていい」

「えー。ワタシ、もっと羨ましいしたいですー」

 何か異国語でデンが呟いたら、グリンザは愉快そうに笑い出す。これっぽっちも愉快になれないセリを、デンは少し疲れた様子で手招いた。

「食事が済んだらここを発つ。ムスタは放っておいて、早く食べよう」

 卓には、昨日の鳥の汁物やパンと言うらしい異国の主食が既に出来上がっていた。ゆったりと湯気がのぼっている。

「あ、あの……ごはん、ありがとう」

 寝ているうちに食事まで用意されてしまい、諸々の羞恥にもじもじしながらセリが言うと、昨夜の黒い飲み物を器に注ぎながらデンは頷いた。

 因みに、夜明けのコヒ……! とグリンザが感動したように言っていたのには、無反応だった。本当に放っておくらしい。


 食後、魔道具や食料の(たぐい)を、グリンザが光でくるんで小さくするのを見た。圧縮の魔法だという。

 図柄の描かれた紙は魔法図で、魔力を通すと発動できるらしい。魔力のある者が図面の始点に触れれば、意図しなくても少しは流れてしまうものだそうだ。

 使ったばかりの圧縮の魔法図にグリンザが指先を乗せると、灰色の線がみるみる淡い緑色になる。

 脇で眺めていたセリは、わぁ、と思わず声をあげた。

「見る、初めて?」

「はい。綺麗」

「シノノメ、魔法士いなかった?」

「と思います。魔道具は幾つかありましたけど」

 水や肥料を楽に撒ける物だった。動力源に里人(さとびと)が交代で魔力を溜めていたのに、セリは協力したくてもできなかったのだ。除け者にされ気味だったのは、それも一因だった。

 やや肩の落ちたセリを見て、グリンザは形のいい眉を上げた。心を読んだようなことを言い出す。

「魔力無い、がっかりじゃないです。女の子特に。優秀の子供産む多いです」

「――そう、なの……?」

「昔、シノノメ、魔力無い子多いそう。今、違うみたい? 残念」

「へぇ……」

 自分の故郷(ふるさと)のことなのに、知らなかった。セリが複雑な心地になっていたら、グリンザはほんの少し灰色を残して魔法図から指を離す。緑色になっていた線が、次第に薄茶色へ変わっていく。魔力固着、と解説してくれた。

 魔法ですっかり小さくなった物は、ちょっとした弁当包みのようになっていた。それを斜めに背に括り、デンはセリに目を流した。

「シノノメの特色は他にもあったようだが……?」

 セリは口元に手を当てて考え込む。

 特産も何も無い平凡な里だと思っていた。あまり他の里と交流を持たず、少々閉鎖的だとは感じていたが……

 真剣に悩んでいるセリをデンは寸時見つめ、目を逸らした。

「まぁ、俺の奥殿(おくどの)は魔力が無いだけで充分だ」

 独り言のように洩らすと、デンは家の扉を開けた。

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