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春告げのセリ  作者: K+
春告げのセリ
18/25

18 お花も見せてくれる約束です

 代表と女が出ていってからさほど経たないうちに、幸い、デンの意識が戻った。

 膝に抱えて彼の冷えた手をさすっていたセリは、安堵に目頭が熱くなる。そっと名を囁くと、デンはぼんやりと瞳を揺らしてセリの顔を見上げてきた。

 もっと寝ていたいと言いたげに目をとろんとさせ、枕へ縋るように身動いて、傷から痛みが走ったらしい。

 つっ――と口走った数瞬後、デンは仰天したようにセリの膝から転がり落ちた。

「でっ、デン様!? 傷が開きます」

 慌てて身を乗り出すセリの傍で、デンは右腕だけで身体を支え、床に崩れかける。急に動いた所為で、目眩がしているようだった。

 血の気が失せていた耳元が赤くなり、ごめん、とくぐもった声で言ってくる。

「無理しないで、デン様。酷く血が出てたのに」

「うん……そうか、貧血で、少し意識が飛んだか」

 デンは瞼を閉じた状態でゆっくり身を起こすと、呼吸を整える。

 傷が開いてしまわなかったかセリが確かめていると、デンは帯の隙から何か摘まみ出した。

「貴女は、怪我が無いだろうな」

「デン様が、護ってくれたもの」

 セリの目から、雫がほたりと膝に落ちた。あの場にセリが居なかったら、きっとデンは斬られたりなんてしなかった。

 ならいい、とデンは何かを口に放り込んで噛む。不味そうに顔しかめて飲み下していた。

「薬……?」

「化膿止め」

 森を行き来しているから、日常的に携帯していたらしい。今後は他にも圧縮で持ち歩いておくべきかな、とデンは苦笑いを浮かべた。

 セリが泣き笑いを洩らすと、デンはこちらに目を流し、ぎごちない仕種で頬を拭ってきた。ひんやりしていたけれど確かにデンの指先の感触で、ちょっとドキドキしたら涙が引いていく。

「この船、飛んでいるのか」

 飛んではいるが魔道具の調子がおかしくなっているらしいと、セリは先程耳にした話を伝えた。

「デン様が起きたら、又、魔力、取るつもりみたいでした……」

「この上くれてやる義理は無いが、俺達も乗っている以上、落ちるのは困るな」

 そろりとデンは立ち上がると、頭しか出せそうにない小さな窓へ歩み寄る。外を覗き、呟くように言った。「自治区から出かかっているか」

 何処へ連れて行かれるのか恐ろしくなって、セリはデンを仰ぐ。

「あの人、変化(へんげ)魔法を教えろと言ってきました」

「……義兄者(あにじゃ)の家に押しかけるようになってた例の団体だよな……好きが高じて自分も動物になる気か?」

「……そんな、純粋な感じがしないです」

 セリは手短に、あの代表の母親がシノノメに所縁あった件を話す。

 グリンザが知的好奇心とメッセンの為に発動を試みたのとは、全然違う。

 動物愛護団体として、活動の一環で動物の姿になりたがっているのとも違う気がしてならない。

 今は目的が不明瞭で気味が悪いが、明瞭になったら、もっと気分が悪くなりそうだった。

 何かに憑かれたかのような代表の顔を思い出し、セリは知らず身が震えていた。気遣うようにデンが腰を落とした時、鍵音がする。

 びくりとしたセリを庇うように、デンが膝立ちになった。

 扉を開け、三人の男が入ってきた。手当ての道具でも入っているのか、一人は長方形の箱を提げている。

 いつでも立ち上がれそうなデンを見て、男達は口を歪めた。

「もう気がついてるなら、搾り取れたんじゃないのか」

「ぶっ倒れたから魔力は枯渇寸前だ。これ以上は死ぬようだぞ」

「こいつの所為で、こっちもぎりぎりじゃないか」

 悪態をつきながら寄ってきた三人は、デンの腕を掴んで立たせる。セリが一緒に立とうとしたら、黙って見てろ、と小突かれた。

 デンがその男を睥睨すると、何だその目はぁ! と男達は口汚く罵りながらデンを近くの卓へ突き飛ばす。

 怪我の治療にしては幾らなんでも荒っぽい。セリが眉をひそめると、卓上に半ば横倒しになったデンに、一人が圧し掛かろうとしている。

「何する――」

 セリが声を発した瞬間、デンは俊敏に身を捻った。絶叫が起こる。

 デンを押さえ込もうとしていた男の腕に、黒い何かが突き立っている。デンは卓上を半回転してずり落ちると、よろめいた。

 情けない声をあげる仲間に唖然とした今一人が、こいつっ、と箱を振り上げて襲いかかる。セリが悲鳴を呑み込む間に、デンの右手には漆黒の投げ矢が出現していた。

 箱の一撃を左腕で受け、歯を食い縛った顔で、デンは右の拳を相手の側頭部に撃ち付けた。衝撃で、蓋の開いた箱から工具のような物が幾つか跳ね落ちる。

 包帯も薬も見当たらない散乱物に、セリは頭に血が上った。何をしに来たのだ、彼らは!

 耳の上に投げ矢の刺さった男が声も無く横転し、一方デンはふらついて壁にぶつかる。残る一人は、恐慌の声をあげながら扉へ逃げ出していた。

 セリは椅子の背を掴むと、逃げる男へ向けて投げつけた。ぐがっ、と漏らし、もんどり打って男は扉に激突する。

 後は――と目を走らせた時、腕から引き抜いた矢を振り上げ、男がセリへ掴みかかろうとしていた。セリは咄嗟に頭を庇って両腕を上げる。

 が、男は寸前でつんのめるように失速した。か……っ、と口から血をこぼし、倒れ伏す。背の真ん中に、黒い楔が深々と刺さっていた。

「言った筈だ……妻に、触れるな」

 壁に背をあずけたデンが、息を乱しながら睨んでいた。

 扉口で呻いていた一人にゆらりとデンが足を向け、セリも拾い上げた金槌を構える。

 比較的若そうな男は、打ち付けて赤くなった顔を引きつらせた。

「ひ……っ」

「水と、食料のある場所を、教えてもらおうか」

 肩で息をしながら、デンは言った。


 セリとデンは若い団員から聞き出し、厨房らしき部屋に潜り込めた。

 気絶させて閉じ込めてきたその一人を数えなければ、団員は代表含めて後三人である。

 デンは軽い目眩が続いているようだが、扉の所で通路を警戒している。セリは手っ取り早く飲み食いできそうな物を探した。

 彼は完全に貧血状態なのだ。干し肉や干し果物、豆の(たぐい)が欲しい。

 樽に葡萄酒は見つけた。けれど、他には平べったい硬パンぐらいしか見つからない。たまたま無いのかとも思うが、調理器具も少ないところを見ると、常からこうなのかもしれなかった。

 この団体はせっかく空飛ぶ船で旅をしているのに、こんな粗食で楽しいのだろうか。

「これしか無いです……」

 しゅんとしてセリが葡萄酒とパンを見せると、デンは肩をすくめた。

「揃って動きが鈍かったのは、魔力が心許ないだけじゃなくて、この食事の所為かな」

 速やかに厨房を後にした二人は、適当な空き部屋へ移った。

 卓の陰に隠れ、葡萄酒にパンを突っ込んで、デンは食べ始める。昼食抜きだったセリも一枚だけパンをかじり、ずっと不安だったことを訴えた。

「デン様、無理しないで。あんなに魔法を使ったら……魔力、使い過ぎると死んでしまうって、あの人たち言ってました」

「大丈夫」

 デンは口端を上げた。「連中は魔力切れで倒れたと思い込んだようだが、貧血が先に来たんだ。まだ少し余裕がある」

「……喜んでいいのか、判らないです」

 眉尻を下げたセリに、デンは頬を緩めた。

「こんなところで死ぬのは御免だ。貴女と結婚できないじゃないか」

「――そうです。お花も見せてくれる約束です」

 セリが気を取り直したら、うん、とデンは喉を鳴らし、残りのパンを葡萄酒で流し込む。

「そういうことだ。さっさと帰らせてもらおう」

「またまた、御冗談を」

 不意に割り込んできた声に、セリは心ノ臓が口から飛び出すかと思った。

 この船室へは、デンが油断なく通路を窺い、気づかれずに入り込んだ筈だった。

 だのに今、扉が開いていて、初めからここに逃げ込むのが判っていたかのように代表が立っている。

 前に踏み出したデンが手に投げ矢を生んだが、代表の脇から姿を見せた女が鞭を発動させた。シュッと音がたってデンに絡まる。僅差で間に合わなかった黒塗りの矢が、代表達の足元に落ちた。

 引き倒されそうになるデンを、セリが声をあげて支える。

 代表は身を屈めて短い矢を摘まみ上げると、矯めつ眇めつした。太い針の先端をつつきながら言う。

「年代物の逸品なんですよねぇ、その酒。素晴らしい(かおり)でしょう。通路にも微かに残るくらいです」

 表情が凍りつくセリの前で、代表はうっすらと笑った。しかし、目の奥に苛立ちが見える。「今度こそ魔力を根こそぎ注ぎ込んでもらいましょう。失神しても酒を浴びせて起きてもらいましょうか」

 女が鞭を強く引き、デンが前のめりになる。セリは必死に引き返した。

「嫌――駄目――っ」

「どうしましょうかねぇ。貴女が舞ってくれさえすればいいことなんです。準備は整えましたよ?」

 代表は余裕たっぷりの態度で踵を返し、通路へ出ていく。

「死にたくなかったら、ついて来るんだね」

 女が言って、鞭を放さず代表に続く。デンが歩き出し、セリもどうしようもなかった。

 動力室のある船尾へ向かうのかと思えば、代表も女も船首の方へ行く。

 歩きながら、デンが前へ低く問いかけた。

「変化魔法を知って、何をするつもりなんだ」

 女は一瞥してきただけで無言だ。

 代表が、振り返りもせず、小馬鹿にしたような口調で言った。

「貴男ねぇ……我々は日々、虐げられている可哀相な動物を救う為に活動しているんです。変化魔法を使えば、更に多くの気の毒な動物達を救えるじゃないですか。まーぁ、神獣ごっこ止まりのメッセン家末裔じゃあ、先祖の猿真似ぐらいしか思いつけないんでしょうけどねぇ」

「……俺は、具体的に何をする気か訊いている」

 辛抱強く、デンが重ねて問う。

 代表は、救いようのない莫迦だな、と言いたげに両手を肩の辺りで開いた。

「牛、豚、鶏、魚でもいい――その辺りに変化してもらえればいいんですよ」

 グリンザだと、あまり喜んでなりたがらない気がする。

 デンに寄り添って歩を進めつつ、セリは口をすぼめる。デンは、息をついた。

「妻の踊りでは、そのどれにも変化はできない」

「あー、そうでしたか。いや、そうかもしれませんねぇ。百数十年ぶりといっても、メッセン家に嫁ぐ者ですからねぇ。豚や鶏を伝えるわけにはね」

 見下していた口調が、面白がる風になってきた。デン同様、訝しさに眉をひそめていたセリを、代表が振り返った。にたりと笑う。

 セリ達だけでなく、仲間の筈の女もちょっと引いたようだった。けれど、代表は気にせずに言を継ぐ。

「いいんですよ。(しゅ)の部分だけ描き換えればいいだけですからね。古代魔法は一人でしか発動できなかったり大量に魔力を使うのが難点ですが、長所もあります。魔法図の線が多少ぶれていても発動できてしまうし、魔砂以外でも描けるんです」

 デンも初耳だったようで、少し驚いたような顔をしていた。

 階段を上がり、突き当たりの扉を代表が開けた。

 眼前には青空が広がっていた。甲板上に出た筈だったが、風は感じない。御自慢の特殊な防壁魔法が、一応機能しているのか。外――しかも地上ではない場所に居るのに、硝子張りの温室の中にでも居るかのようだ。

 セリの未来は闇に呑み込まれそうだったが、辺りは昼間の明るさに満ちていた。

 板張りの甲板の中央に、とても大きな正方形の、生成りの布が敷いてある。少しよれていて、間に合わせで敷物にしたような感じだった。

 さっき気絶させた若い男が、代表達に介抱されて正気づいたのか、布の端に立っていた。忌々しげな目でデンを見てから、拘束されている姿にほくそ笑んでいる。手近にありさえすれば、セリはもう一度椅子を投げつけていたと思う。

「何おっ(ぱじ)めるんですか。また防壁壊したりしないでしょうね」

 胡乱気な声が上の方から聞こえた。短い外階段を上がった所に、くしゃくしゃ金髪の船製造者が居た。操舵輪に手をかけている。船の整備だけでなく、操縦も彼が担当しているようだ。

 代表が、自分達の船なのに、非常ににこやかにセリ達を見た。

「次に壊れたら、操縦が非常に困難になって、この船、落ちますねぇ」

「冗談じゃないぞ!」

 製造者が、がなる。この完璧な船を造り上げるのに何年かかったと思ってる云々と、くどくど言い始めた。この代表と製造者は、なかなか似ている。

「落ちるようなことするわけないですよねぇ、セリさん」

 製造者はまだ喋っていたが、代表が投げ矢を手の中で弄びながら言った。「貴女は、きちんと舞えばいいだけです。その布の上で」

 布の上で踊って、どうやって跡を確かめるのだろう。

 牛や豚に変化して、どうやって動物を救うと言うのだろう。

 疑問が次々浮かんできたが、セリはやむなく布の方へと向かう。

 一度振り返ると、デンは、真意をはかるように代表を見据えていた。セリの代弁をするように口を開く。

「布の上なんかで、どう記録するつもりだ」

「元々はねぇ、高魔力の舞い手が、足や手から魔力を放ちながら舞ったんですよ。場所なんて何処でも良かったんです」

 代表は言いながら、セリに寄ってくる。顎で若い男も呼びつけた。デンがムッとした顔で進み出しかけ、鞭に引き戻されて歯がゆそうになる。

 ようやく思いどおりに事が運ぶからか、御機嫌の様子で、代表が投げ矢を若者に手渡した。

「御存知ですか、魔力無しの血って、魔砂(まさ)並に良く魔力が通るんですよ」

「――ふざけるなッ!!」

 デンが怒号した。焦ったように女が鞭の端を放し、猛然と走りかけたデンの足にまで新たな鞭を絡める。

 痛めている肩から倒れ込んだが、デンは頭に血を登らせて叫んだ。

「妻に傷をつけたら許さない――許さないッ」

「我々の仲間の血を散々流しておいて、狭量ですねぇ」

 デンへ走り寄りかけたセリの手首を掴んで、代表がしれっと言う。

 慄くセリに、さぁ、と彼は澄まして促した。

「靴を脱いで。貴女も痛いのは嫌でしょう? 何度も舞わずに済むよう、頑張ってください」

 若者が、投げ矢の鋭い針先に、うわぁ、という顔をしてから、針よりも刃物の方がいいんじゃないかと進言する。深い傷の方が血が止まるまでに時間がかかっていい気がするんだがと、代表が応じた。

 えげつないやり取りに鳥肌立って、嫌、とセリは掴まれた手を振りほどこうと必死になった。代表が叱りつけてくる。

「往生際が悪いっ。貴女は舞い終わったところで御先祖のように取って食われるわけじゃなし。さっさと舞え!」

 脳裏に、恐ろしい予感が閃いた。

 驚愕して、セリは代表を見る。

「牛や、豚になる人、どうする気……」

「シノノメの御先祖と一緒ですよ」

 代表は、汚らわしい物を見るような目をセリやデンに向けた。「どうしようもない飢饉の際の秘術だと嘯いていたようですが、菜食主義の我々には欺瞞でしかない」

 脇の若者は、理解が追い着いていない顔をしていた。愕然としているセリの足元に屈み込んで、デンの方をちらちらと窺いながら投げ矢を刺すフリをして見せていた。

「だが、見る目を変えれば、これほどの技はない。正に自給自足でしょう。肉食の人間どもが共食いすれば、どれだけの動物達を救えることか――」

 恍惚とも言えそうな顔つきで、代表が滔々と語れたのはそこまでだった。

 女の叫び声があがった。

 目を走らせた代表もセリも、瞠目する。

 魔法鞭で芋虫のように転がされていたデンの全身が、眩い光を放っていた。

 光は見る間に大きく膨れ上がり、着ていた衣服が破ける音が響いた。バチっと派手な音も起こり、鞭さえも引きちぎれ、飛び散る。

 若い男が、ぽかんとして腰を抜かした。手から、投げ矢がぽろりと転がる。

 光が薄れた時、そこには唸り声をあげる、大きな灰茶色の狼が出現していたのだった。

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