17 何なの、この人達は……
ややの間、耳の奥がじんとした。
暴風は治まったようだが、周囲の木立が枝葉をざわめかせている。
セリがきつく閉じていた瞼を恐る恐る開くと、頭を包み込んでいたデンの手がちょうど緩む。
そうしてセリの上から素早く身を起こしたので、派手に風が吹き付けてきた割に、デンも大した怪我は負わなかったようだ。
が、彼の肩越しに向かってくる人影を見て、セリは目を見開く。
「ッ――デン――!」
迅速に体を捻ったものの、デンは間近にセリが居てかわし切れなかった。悲鳴をあげたセリの脇へ転がり落ちながらも、デンは足を跳ね上げて襲撃者を蹴り飛ばす。それでも左の肩を切り裂かれたのが判って、セリは両手で口を覆った。
機敏に起き上がろうとしたデンは、びくっと腕を震わせた。みるみる背面に血が滲み出している。
蹴られた相手が剣を手に立ち上がって、セリは飛び起きた。デンを背に庇おうとしたら、斜め後ろから別の男に腕を引っ張られる。咄嗟に伸ばしたセリの指先とデンの手が、空を掻いた。
「妻に、触るな」
地を這うような声と共にデンは弓と矢を出したが、矢をつがえようとした弓が手からこぼれた。すかさず、剣を持った者が弓を遠くへと蹴る。羽交い締めにされたセリは、必死に抵抗しながら喚いた。
「駄目! デン様に酷いことしない! 駄目!!」
「それはーお互い様ですねぇ」
溜め息混じりに、代表の声が降ってきた。見ると、思いのほか近い中空に、魔球船が浮いている。
半分開いた入口に寄りかかって、代表は不機嫌そうな顔で見下ろしてきた。
「貴女にお話を聞きたかっただけの我々、十三人居たんですよ? 半数以上、御夫君に酷イコトされましたが?」
「……先に妻を拉致しようとした挙句、この自治区を治める当主代行夫人に何をしようとした」
デンが睨み上げると、男達の気配がいきり立つ。剣を振り上げられ、セリは叫んだ。
「酷いことしたら、わたし何も話すしないっ。絶対しないッ」
剣は振り下ろされなかったが、男は忌々しげに、膝立ちだったデンの横腹を蹴りつけた。セリは激高して、もはや文法が滅茶苦茶なミシュ語で抗議する。
代表の傍に女が現れ、何かぼそぼそと告げた。切れ切れに〝制御〟……〝魔力が〟と聞こえた。
「乗せて。ソレも一緒に」
代表が酷薄に目を細めてデンを示し、船内へ戻っていく。「離陸する」
セリとデンは引き立てられた。
魔球船の入口から短めの縄梯子が垂らされたが、デンが自力で登れないと判明すると、女が妙な縄を括りつけてきた。乱暴に引き上げられる。
「そんな奴より……」
斃れている仲間の方を剣の男が見たけれど、魔力が要る、と女は淡々と返した。
「風爆までも船寄りに撃ち返されて防壁が粉々だ。かけ直しにも本部へ戻るにも、六人では魔力が足りない」
「この小娘に、ここまでする程の価値あるのか?」
セリを縄梯子へ小突いた男が、疑わしげに訊く。「神獣を呼び出す古代魔法でもあるわけ?」
女は顔をしかめた。
「あの魔法図は神獣と関わりがあったんだろうが、その辺は代表しか知らない」
(何なの、この人達は……)
自分達の代表が何をしようとしているか、よく解りもしないで、こんな異様なことに加担しているのか。
デンの怪我と身柄の扱いが、不安でたまらない。
セリは急いで梯子を登り、船内に入り込んだ。視線を巡らせるまでもなく、縄で腹の辺りをぐるぐる巻きにされたまま、狭い通路に転がされたデンを見つける。
「デン様……っ」
走り寄ったセリは、革のような質感の縄をほどこうとしたが、結び目が見当たらない。「何これ、嫌――外れない」
「無理だ、奥殿。多分、魔法鞭だ」
掠れた声でデンが言った。汗の浮いた顔色が悪い。傷からかなり出血しているのだ。
それなのに、無理矢理立たされ、セリとデンは一方へ追い立てられた。
船尾の方へ向かい、一室へ入れられる。機械音が大きい。動力の魔道具が据えられている部屋のようだった。
代表の隣に、陰気な風情でくしゃくしゃの金髪男が居て、まったくなんてことしてくれるんだ、とデンに文句をつけてくる。僕の最高傑作云々とくどくど続けたところからして、この船を造り上げた魔道具オタクの人物だろう。
デンもセリも他の団員さえも、彼の言い分は聞き流した。代表が機械の一部を示す。
「あれだけ弓を連続発動した後で、どれだけ残ってるかは知りませんけどね。やってもらいますよ」
「怪我の手当てが先だと思います」
セリは怒りを隠し切れずに言ったが、代表は同じ場所を示し直しただけだ。
魔法の縄がほどかれ、デンは黙って示された場所に手を置く。薄手の短衣の背中は爆発した風であちこち擦り切れていた上、血だらけだった。
「おぉ、いいぞ」
計器らしき物を注視して製作者が言う。呆れたように代表がデンを見た。
「メッセン自治区にはムスタがそんなに居ましたっけ。例の古代魔法を発動させたのは、貴男じゃないですよねぇ?」
「さぁ?」
デンが明言せずに手を浮かしたら、横から女が強引に手を置き直させた。ぎりぎりまで搾り取るつもりだ。
やめて! とセリは女に掴みかかろうとしたが、呆気無く他の男に取り押さえられ、部屋から連れ出された。
デンを呼んで泣き喚いている間に引きずられ、セリは船室の一つに放り込まれてしまった。外側から鍵をかけられてしまう。
どうにも扉が開かないと知り、セリはへたり込んだ。
動物が大事と謳っている団体の筈なのに、仲間にあれだけの犠牲を出して、それを気にしたのは一人しか居ない。大事にしているのは動物だけで、人間はどう見ても範疇外だ。
ずれている。こんなの、ずれている。
しばらくして、鍵が開いた。
ハッとして立ち上がったセリの足元に、男二人によってデンが投げ込まれる。受け身もせず転がった彼は、意識が無いようだった。
声も無く抱き起こしたセリの手に、乾いていない血がつく。唇をわななかせて傷口を検めていると、代表が悠然と入ってきた。続いて入ってきた女が、閉まった扉に寄りかかる。
代表は手近な椅子に腰かけ、ふんぞり返った。
ほぼ同時に、ひと際大きな機械音が起こる。魔球船が速度を上げて浮上したのが判った。
代表が、作り物めいた微笑を浮かべた。
「お蔭さまで無事に出発できますよ。なに、貴女の御希望どおり、御夫君に酷いことなんてしてません。ただの魔力切れですから、時間が経てば戻るもんです」
セリは無視して傷口を塞ぐ処置を始める。水が欲しかったが、ほどいた帯で押さえて止血を優先した。
無言のセリを見下し、代表は勝手に話を進めた。
「それでは、聞かせてもらいましょうか。シノノメ里出身のセリさん。貴女の故郷には、変化魔法っていう古ぅい秘術が伝わってるでしょう」
「……知りませんでした」
「そーぅでしたか、そうでしたか。さっきの場所で発動させた古代魔法、アレ、変化魔法でしょう? きっと里の人は驚くでしょうねぇ。彼ら、もう誰も正確には覚えてないと言ってましたよ。本気でそう思ってるようだったから、わたしも諦めかけてたんですが」
この人は、里でもこうやって横暴に話を聞き出したのだろうか。
それよりも、この代表は既に、メッセン自治区の神獣が本物の動物ではないことを知っている……?
乾いた喉を動かし、セリは得体の知れない男を見た。
セリよりも余程シノノメ里の人間らしい黒い目が、冷笑をたたえて見返してくる。
「私の母親ねぇ、魔力量がダクタ並にあってシノノメへ嫁いだんですが、ほんの二年で追い出されたんですよ」
強い怨嗟が闇のような瞳の奥に垣間見え、セリは背中が粟立つ。縋ったデンの手は、握り返してくれない。傷の周辺は熱いのに、力無く垂れた手は冷えている。
代表は、せせら笑うように続けた。
「貴女も来年辺りにはメッセン家から追い出されるかも? 御夫君と麗しい御関係のようですが、とても身籠ってるようには見えませんし?」
「…………」
「母は二年目が近づく頃に、石女ならば舞い手にぐらいなれとシノノメの義父母に詰られて習わされたんですが……きちんと覚える前に結局追い出されたんです」
その後の彼女は大変に苦労したのだと、代表はつらつら物語った。途中からは、彼自身の幼少期の、苦難に満ちた思い出話も混じっていた。
扉の所で黙っている女が、少々辟易した顔になっていた。
母親は、シノノメを憎んで怨んで、かの秘術を執念を以って調べもしていたようだ。使いこなして鼻を明かしてやろうと考えていたのだろうか。
「でもねぇ、発祥の由来なんかは探り当てたものの、肝心要の舞を詳らかにできなかったんですよ」
セリは、床に座り込んでいるだけで、心ノ臓が早鐘のように打つのを自覚した。
ゆらりと代表の上体がこちらへ寄って、セリは悲鳴をあげて飛び退きたいのを辛うじてこらえる。
「教えてくれますよね、あの魔法図。黒ずんでて、見辛くて、でも写そうと思ったのに。貴女達、乱入してくるなり、あろうことか消してしまった」
ここまで知られていて誤魔化そうとしたら、何をされるか判らない。
しかし、山や森、生き物への想いを込めて受け継いできた踊りを、こんな悪意しか感じない人物へ明かしてしまっていいのか。
血の気の無いデンの顔に目を落とし、セリは唇を噛み締めた。メッセン家の人々の優しい顔が、次々脳裏に蘇る。
セリは、ぎゅっと目をつぶった。
「わたし達は、やってみたら、出来ただけ……わたしが教えられるのは、踊りだけです」
そうでしょうねぇ、と代表が愉悦を含んだ声音で相槌を打った。
「御存知ですか。大昔はねぇ、あの一連の舞は長の一族だけが知っていたんです。長一族以外に教え込むのは、発動できるだけの魔力がある、幼い子に限っていたんですよ」
セリが一つ瞬くと、自分だけが知っていることが嬉しくてしょうがない様子で、代表は目を糸のように細めた。「貴女のような魔力無しにまで教えるようになったのは、メッセン家と交流を持つようになった頃からです。里の外に因習を知られたくはなかったでしょうからね」
地に足を着け、他の生き物と共に生きることを寿ぐ踊り――それを伝承していく。これの何処が因習なのか解らない。
と、扉を叩く音がした。
女が対応するのへ目を流した代表は、お喋りを中断させられたのが不快なようだった。
やって来たのはセリをここへ放り込んだ男で、女に報告している。動力部の魔道具自体が少し壊れているようだ。魔力が漏れ出して消費がいつもより早い。デンの魔力をもっと使えないかなどと、とんでもないことを提案している。
女が振り返り、セリは震える手でデンの身体を更に引き寄せた。
「意識途切れたので、無理だとは思いますが」
取り敢えず確認するかのように女が言い、代表が首肯した。
「流石にいま無理矢理起こしたところで、流せないでしょうねぇ。限界以上は、下手すると死にますし」
「そっ、そんなこと、したら、わたし、教えるしない。絶対、嫌」
情けないことに、セリの切り札はそれしか無い。
けれど、何とか効果があったようだ。
「速度を落として、今は残りの面子で工面して」
代表が言うと、女はやって来た男へ視線を流す。そういうことだから、という感じだ。
男が苦虫を噛み潰したような顔で戻っていく。女に向け、代表が告げた。
「君も入れてやって。私も後で流す」
女は眉を上げてこちらを見る。
「まだお話の続きが? その子、協力するんでしょう、変化魔法とやらに」
セリは、返事に詰まった。もう協力するしか、デンを助ける手立てがセリには無い。でも迷ってしまうのは、彼らが全く信用できないからだ。
セリは何も返せずにいたが、椅子から立った代表は、決まり切った返事など必要無いと言わんばかりの口調だった。
「セリさんの先祖の、面白い話があるんだがなぁ。しょうがないなぁ。今度にしようか」
ろくでもない話だ、とセリは直感した。
聞かなくていいです、と応えようとしたら、扉へ足を向けながら代表が先に言った。
「それより、御夫君に起きてもらう為にも、手当てを寄越しましょうかね」
そしてまた魔力をせびる気なのだろうから、これもろくでもない台詞だった。
「もう、いいです。血も、止まったみたいだから」
警戒しながらセリが言ったら、そういう傷は放置しておかない方がいいんですよねぇ、と言われなくても解っていることを、ねちねちと代表は口にして、女と出ていった。
鍵をかけられる音がして、しかしながら、デンと離されずに済んで、セリは肩から力が抜けた。
狭い通路を動力室へ歩き出した代表に、女が気がかりそうに言った。
「あの男、拘束しておかなくて大丈夫でしょうか。あんな魔法弓の使い手は見たことがないです」
「まったくだよねぇ。魔力が切れている今の内に、彼の指、潰しておいて」
こともなげに言った代表に、女は頬を引きつらせた。
「それは、彼女が協力を渋ることになるんでは……」
「え? 彼が死ぬ前には協力するでしょ」
代表は、女を振り返りもせず、満面に笑みをたたえて言を継いだ。「ああいう単純な女は嫌いじゃないねぇ。多分、要の指一本で済むんじゃないかなぁ。手間が少なくて助かる」