16 がん、ばる
動物愛護団体ベジーの男三人は、メッセン自治区の森で穴を掘っていた。
掘っているのは、煉瓦で円を描いてある中央の、土の部分である。
彼らの代表と専属魔法士の話では、さっきまでここには、古代魔法の魔法図があったらしいのだが……
その魔法図を箒で掃き消した女の一人を、生き埋めにすることになった。
男三人の内一人はその女に足を氷漬けにされて立腹しており、せっせと掘っている。一人はその女が美人な上にまだ生きているから、どうせなら楽しませてもらってから埋めたいと、鬼畜なことを考えつつ掘っている。もう一人は、これが崇高な動物保護活動と何の関係があるのか疑問に思いつつ、命じられたままに掘っていた。
件の女はぐったりした状態で、倒れたままの場所――掘っている穴の脇で放置されている。
少し離れた所に停泊している魔球船の入口は開けてあったが、人の姿は見えなかった。
他の団員達は、もう一人の女が連れてこられるのを、船内で昼食を摂りつつ待っている。
見つけにくいように埋めろ、と穴を掘っている三人は言われている。深い穴が必要である。
掘り具を土にさし、足で踏みつけて更にさし込み、掘り起こす。
ふぅー、と一人が腰を伸ばし、そのまま後ろに倒れ込んだ。
「おいおい、何やって――」
笑いながら言いかけた一人も、横倒しになる。
「えっ、お――っ」
倒れた仲間に瞠目した一人は、自分が最期に見たモノを理解できないまま、うつ伏せに崩れ落ちた。
最初の一人は額のど真ん中。次はこめかみ。自分の胸には、背中を通過してきた漆黒の矢が生えていた。
デンは素早く舞台へ走り寄ると、スゥヤの身体を担ぎ上げた。木陰へ移し、首筋に触れる。
「義姉者」
囁きと共にぺちぺちと頬をはたくと、スゥヤはややして瞼を震わせた。朦朧とした風情で薄目を開ける。
デンは膝に抱き起こすと、かすかに動いた義姉の唇へ水筒を寄せる。
「何があったんだ。何故ここに。奥殿は――」
僅かに水を嚥下できたスゥヤは、目を見開いた。
「あ――あ――」
慌てたようにデンはスゥヤの口元を押さえた。
「不審な魔球船が近くに停まっている。今は外に誰も居ないが、大声は出せない」
「せ、セリさんは……っ?」
スゥヤはデンの腕にしがみ付き、デンは眉を寄せた。
「何処かではぐれたのか」
スゥヤは首を振り、震える声で絞り出すように言った。
「逃がし、た……で、でも、貴男、セリさんが、呼んだんじゃ……?」
混乱したように瞳が揺れるスゥヤに、デンは魔球船の方を用心深げに見ながら言う。
「湖からの方が鉱脈に近いし、どうせだから魔砂を貰っておこうと寄り道したんだ。で、鉱脈の連中と少し話してたら、あの黒魔法図を放置してるのが拙いような気がしてきて」
「――わ、わたし、達も、それで」
「……けど、アレが来てしまったんだな」
デンはちらりとスゥヤに目を流す。「義姉者、この先の小屋までなら迷わずに行けるだろうか」
「た、多分」
「貴女に何かあっては、義兄者に申し訳が立たない。あちらに真っ直ぐだ。迷わずに行ってほしい。あそこには防壁の魔法図もあるから」
さっき倒れてるのを見た時は息が止まった、とデンは続け、つと、スゥヤの半身を木に寄りかからせる。
義弟の鋭くなった視線が向いた先を見て、スゥヤは両手で口を覆った。
「義姉者は、小屋へ」
低く促したデンの手には、黒曜石製のような弓と矢が出現していた。
デンが遺跡の近くまで来ていたとは、セリに知る由もない。
スゥヤがデンに助け出される四半刻ばかり前。
道を解っている上で木々や茂みをすり抜けていたセリは、いっとき追手との距離を開けることに成功していた。が、体格と体力の差で、結局、追い着かれてしまった。
一人に腕を掴まれ、悲鳴をあげる。今一人の追い着いてきた男から、代表は話を聞きたいだけだろうに、何故逃げる!? と肩で息をしながら忌々しそうに言われた。
そう言われてみればそうだが、悪寒という名の直感があった。スゥヤが逃げろと言ったことに、セリも何の疑問もいだかなかった。
大体、話す為だけにここまでして追い駆けてくるなんて異常ではないか。
「放してっ――わたし、話す無い!」
セリを捕まえた男は大柄で、喚いて身を捩る彼女の身体を荷物のように肩に担いでしまった。ごつい背中を叩いても、びくともしない。
焦燥で言葉が回らない悔しさも募り、シノノメの言葉でも叫んでいたら、後ろからついて来る男に怒鳴られた。
「黙ってろっ。殴られたいのかっ」
腹を圧迫される苦しい体勢だったのもあって、セリは唇を噛む。それでも尚、膝から下を無闇にばたばたさせ、心の中で名を呼んだ。
(デン様、スゥヤ様が大変なの――デン様――!!)
「それより、船はどっちだ。こっちでいいのか」
セリを担いだ男が、野太い声を発する。ハタとしたように、もう一人が足を止めた。辺りを見て、確かこっちから来たよな、などと言い出す。
セリは失神したフリをしたが、寸前まで暴れておいて、浅知恵もいいところだった。大柄の方に身体を揺すられる。
「おい」
「…………」
「おい、方角判ってんだろう?」
無視を続けしようとしたら、隣の男にセリは髪を引っ張られた。二つに編んでいた髪は、激しく動き回った所為で、ほつれてぐしゃぐしゃだ。無造作に掴み上げられ、引きつった痛みが走る。
思わず顔をしかめると、み、ち! と男はあまり好みじゃない顔を寄せてきた。セリはふいっと顔を背けかけ、髪がつって、痛っ、と洩らす。不貞腐れて一方を指差した。
黙ってろと言ったのは男の方だし、莫迦正直に教える気になんてなれない。
そう考えているのはばればれだったようで、本当だろうな、とすぐに念を押された。
しらを切るつもりだったのに、犯すぞと苛立たしげに脅され、カシワに圧し掛かられたことを思い出してしまったセリは、正確な方角を示してしまった。
スゥヤが必死に逃がしてくれたのに、このままでは助けも呼べずに戻ってしまう。悔しくて、頭が逆さになっている所為もあるのか、我慢しきれず涙がこぼれた。
啜り泣いているうちに、魔球船が見えたのか、横を歩いていた男が足を速める。速めて、なんだ? と口走ったのが聞こえた。セリを運ぶ男の速度も上がる。がくがく揺さぶられて、軽い嘔吐感に襲われた。
「おい――どうなってる!?」
先に行った男が大声で言い、魔球船の前で、放り出されるようにセリは降ろされた。尻餅をついたセリが呻き声をあげる間に、大柄な男は遺跡の方へ走っていく。白っぽい服装の人が倒れている姿が、複数見えた。二人共、それへ駆け寄っていく。
スゥヤは、どうなってしまったのか。
セリは腰の痛みになど構っていられず、立ち上がる。倒れた人の中に亜麻色の髪は無い。
(船の中?)
強張る顔で魔球船の入口を窺った時、聞き間違えようのない呼び声がした。
「奥殿ッ」
振り返ったセリは、歓喜で目頭が熱くなった。
「でっ、デン様……っ、デン様――!」
なんで――どうして!? と浮かびはしたものの、瑣末なことだ。森陰から走り出てくる姿に、セリも夢中で駆け出す。
すぐ後ろで、騒ぎに気づいたのか足音がした。複数の驚きの声や怒号が聞こえてくる。
目の端には、セリを軽々と担いでいた男が既にひっくり返っていて、一緒だった男もうずくまっているのが映っていた。デンに撃たれたようだ。あそこに居る人々は、みんな死んでいるのかもしれない。
非日常の光景を、セリはすぐに視界から振り切る。スゥヤが捕まって、同じような目に遭わされている可能性がある。その想像の方が、セリを怖気させた。
デンは殆ど近づく速度を落とすことなく、流れるように弓を上げる。ちゃんと狙いは定めているのかと思う速さで射放った。セリの脇を風が切る。
ぎゃっ、と背後で悲鳴があがった。間近の空気を誰かの手が掻いた。
全速力で走っていても、もどかしい程に自分の足は遅い。息も苦しい。心ノ臓が、内側から激しくセリを叩いてくる。
もう少しの所で足がもつれ、セリは胸中で己を罵った。起き上がりかけたら、何かが首に絡まって後ろに引っ張られる。息が詰まった。
呻いた次の瞬間には頭上を矢が閃き、首を解放されたセリは仰向けに転がりかける。喉を空気が通って、咳き込んだ。
「ッ――何なんだ」
女の声が、驚嘆したように上の方から聞こえた。
フィィンフィィンと、機械音がする。四つん這いで涙目の視線を跳ね上げると、魔球船が浮上しようとしていた。ベジー団の女が甲板の手すりに片足をかけ、歯ぎしりしているような顔で縄を手繰り寄せている。
セリの傍へ走り込んだデンが、手の弓を変形させた。ひと回りかふた回りか、大きくなる。禍々しい黒塗りの大弓を斜めに構えるや、女がギョッとしたように甲板から足を引いた。彼女の真正面にビシッと太めの矢が当たる。硝子にひびが入ったかのように、蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
防壁の魔法かとセリが察していると、デンが引っ張り上げてくれる。
「で、デン様……っ、スゥヤ様、が、スゥヤ様が――」
「大丈夫だ」
聞いた途端に安堵で膝の力が抜けそうだったが、デンが再度弓の形状を変え、セリを背後に回す。「森へ走れるか」
「がん、ばる」
「流石、俺の奥殿だ」
笑みを含んだ声で言った途端、船から飛来した矢をデンは狙い撃ちした。明後日の方へ弾き飛ばされ、なッ!? と船の小窓から漏れ聞こえる。その間に軽く腕を押され、セリは森へと地を蹴った。
スゥヤが大丈夫ということは、きっと近くの小屋に居る。そこを目指せばいい筈だ。
魔球船は防壁の魔法に傷をつけられ、更に浮上しようとしているようだった。でもまだ安心はできない。言われたとおりに森へ逃げ込んだ方がいい。
今日一日で、数年分は走ったんじゃないかと思うくらいだった。呼吸が苦しくて仕方ない。酷使された喉と肺腑が燃えるよう。
けれども〝俺の奥殿〟と言ってもらったら、何だかさっきより速く走れている気がする。まるで魔法がかかったみたいだった。
何より、そう離れずデンも一緒に来ていた。二度、弓弦の音が響いて、何かを跳ね除けたのが判った。
逃げ切れる、とセリが確信したのは、少々早かった。
不意に、デンがヒュと息を呑んだのが聞こえた。急停止した姿を肩越しに見留めたセリは、船から火花を散らす物が投げつけられたのも瞳に映す。
デンがそれへ向けて弓を構えるのは、これまでと同じだったろうが――明らかに慎重だ。
一矢放つなり、命中したか確かめる間も無くデンはセリに跳びついて来た。わけが解らないまま一緒に地面へ倒れ込む。
そのまま抱きすくめられた直後、落雷のような音と共に爆風が襲いかかってきた。