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春告げのセリ  作者: K+
春告げのセリ
14/25

14 わたし、行ってきます

 しばらくしても、グリンザ狼は人に戻らなかった。

 戻れないのかとセリは不安になったが、まだ調子が変? と問いかけたデンに、狼は大きな頭部を左右に振った。それから、日がゆっくりと傾こうとしている方角を、しきりに鼻先で示す。

「何かあった……?」

 同じ(かた)を見やって目を眇めるデンに、再度グリンザは(かぶり)を振り、やはり西をさす。

「湖って、あっちでした……?」

 自信なさげに頬へ手を当てたスゥヤに、グリンザがでっかい鼻先を押し付ける。きゃ、と彼女が声をあげる間に、狼はちゃっかり美人の手をぺろりと舐めていた。

「湖で元に戻りたいということ?」

 デンが問うと、鼻息をふんふん云わせ、狼が頭を縦に振る。セリはハタとした。

「元に戻った時も、身体が痛むかもしれないですよね」

 にへぇと狼が大きな口から長い舌を覗かせる。デンが、すうっと自分の背後へセリを回した。

「解った。確かにあっちの家には傷薬以外も置いてあるしな」

 グリンザは、我が意を得たりという様子で立ち上がる。それには、セリ達三人は面食らった。

「え、もしかして今から?」

 これからだと、例え馬を走らせても夜の森を進むことになるだろう。それでも、なるべく早めにグリンザは人へと戻った方がいい気もする。

 考える顔つきになった三人の前で、グリンザ狼は木陰に置いてあった着替えの包みを咥えてきて、ぱふんぱふんと尻尾を自身に当てた。

 いやいや今は上着も着れないよ、と見当違いのやり取りをした後で、どうやらグリンザは先に湖へ出発したいのだと理解した。

 この巨躯で走り抜けたなら、ひょっとすると日が暮れる前後には着いてしまうかもしれないのだ。そうすれば、今日中に湖の大きな家でゆっくり休める。

 その方がいいとみんな合点して、グリンザ狼の首に家の鍵と着替えの包みをしっかり括りつけてあげた。

 じゃあね! と言いたげにふかふか尻尾でデンの背を叩いてから、狼はタンッと地を蹴った。ひとっ跳びで相当の距離だ。

 器用に枝葉を避け、まるで生まれた時から狼だったかのような美しい躍動を披露して、グリンザは瞬く間に木立の合間に見えなくなった。


 翌朝早く、セリ達も小屋を出払った。

 予定では明後日屋敷へ帰ることになっているが、グリンザの体調によっては変更もあり得る。

 すっかり元気な狼になっていたが、きちんと湖へ着いたかも心配だ。

「密猟者に出くわしてないといいけど」

 デンはスゥヤの乗った馬を引きながら言う。「あんな浮かれた状態じゃ、神獣というより珍獣として立ち回りそうだ」

 デンが心配しているのはグリンザの無事ではなく、行動の方らしい。

 横手で(から)馬を引いて歩くセリは、くすくす笑う。

 馬上のスゥヤが、苦笑してから言った。

「珍獣でもいいから、できればもう一度、変化(へんげ)魔法を使ってほしいわ。ミシュマシュのお役人、もうすぐ、また来るだろうから」

 彼らは、神獣など居ないという前提で補給所建設の話を持ってきている。不思議な動物が未だ確かに生息しているとなれば、メッセン家の希望がそのまま通せる可能性もあるようだ。

「何だかきつそうだから、次もムスタが引き受けてくれるといいな」

 冗談めかしたデンの台詞に、セリもスゥヤも笑声をこぼす。

 急いではいたが、そんな感じで終始セリは楽しく歩けた。

 昼頃には煌めく湖面が視界に入り、三人は真っ直ぐ高床(たかゆか)の家へ向かった。大きな足跡が近くの地面にくっきりと残っていたので、グリンザ狼は無事に着けたと知れる。

「わたしだったら絶対無理よ。迷子になってる」

 一人で到着できているグリンザを、スゥヤが手放しで褒めていた。

 玄関扉の鍵はかかっておらず、デンが油断のない様子でそうっと扉を開けた。家の中はしんとしている。

 デンは密やかな足取りで先日使った部屋へ向かい、中を覗き込んだ。ほっとした雰囲気になって入っていく。グリンザが居たようだ。

 ややして出てきたデンは、寝ている、と教えてくれた。

「顔色は悪くないし呼吸も安定してるけど、かなり深く寝てる。ひとまずこのまま寝せてあげよう」

 三人はそっと荷物を片づけ、軽い食事を準備した。グリンザが起きてきてもいいように、粥に似た柔らかな煮込み料理を拵える。

 出来上がったのでデンが今一度部屋を覗いてみたら、グリンザは目を覚ましていたようだった。お腹空いたって言ってる、とデンが笑って、セリとスゥヤは盆に手早くグリンザの分を整えた。

 デンが盆を持って、セリとスゥヤもついて行った。

 グリンザは部屋の窓辺の寝台で、枕を背に身を起こしていた。おはよぉ、と気だるげに言う。

「すっごい、だるぅい」

「お疲れさまでした」

 セリとスゥヤは声が揃う。デンがグリンザの膝に盆を置くと、美男はへらりと笑み崩れた。

「ありがとぉ、お腹ぺこぺこだよぉ」

 グリンザは色々と秀でた人だけれど、料理だけは全くできない。作ってくれる人に幼い頃から不自由せず、今に到っているのだ。

 匙を持つのもいささかしんどそうだったが、グリンザは嬉しそうに食べ始めた。しばしば休んで、狼になってからのことを話してくれる。

 デンの言ったとおり、初めは身体中が痛かったようだ。次第に痛みは間接付近に集中したが、比較的早い段階で解消された。

 意識もはっきりしていたし人の言葉もきちんと聞き取れたけれど、自分が喋ろうと思うと無理だった。それが一番もどかしかったみたいだ。クゥンクゥン云いたくもなろう。

 狼になった所為か、嗅覚と聴覚が良くなり、一方で色が判りにくくなっていたそうだ。見た目だけでなく、限りなく本物に近くなっていたのだろう。風の如く走れたのは、とても爽快だったようである。

 魔法を解いた後は、物凄く身体が重く感じると言う。最初は夜空が圧し掛かってきたのかと思う程。何とか服を羽織ってこの部屋まで辿り着き、それから、ついさっきまで意識が飛んでいたようだ。

「あー、でも得難い体験だった。何としても図面に起こしたい。今、生まれ変わった気分だよ。もりもり発想が浮かんできてるんだ。描ける気がする」

 夢を見ているような顔つきで、グリンザは言った。「対人魔法にできそうでもある。僕、今なら天才かもー」

「ムスタは前から割と天才だけど」

 デンが肩をすくめ、グリンザが遺跡で素描していた紙を、白紙や筆記具と一緒に枕元へ置いていた。

 只今天才中のグリンザなら、発動し易い変化魔法を生み出してくれるかもしれない。

 セリ達は彼の邪魔をしないよう、速やかに部屋を出たのだった。



 翌日、話し合って、グリンザ以外は予定通り明日、屋敷へ帰ることに決まった。

 既にデンとグリンザの泊まっている部屋は、描き散らされた図面が増えつつあるようだ。

 ばりばりにやる気が出ている状態を中断させるのもナンなので、落ち着くまでグリンザには湖に滞在してもらう。身体の倦怠感も残っているようなので、尚更わざわざ移動することもない。

 漁に来ている二家族もほどなく集落へ帰るから、グリンザの食事の為、屋敷の賄い夫妻に出張してもらうかとデンが言った。

「おさんどん相手がムスタとなると、集落に話を持ちかけたら立候補者が多過ぎて面倒なことになりそうだ」

「僕は女の子なら何人来てくれてもいいんだけど」

「今日中に屋敷へ行って、話をつけてくる」

 グリンザの意見を聞き流し、デンは告げる。セリとスゥヤも、こっくりと頷いた。

 馬を走らせれば、往復で二刻ばかりだ。屋敷には換え馬も居るから、夕方までには戻る、とデンは出かけていった。

 ちぇー、と口をすぼめていたけれど、グリンザの目下の興味は女の子より変化魔法だ。デンを見送ると、壁伝いながらも、そわそわと部屋へ戻っていった。


 セリとスゥヤは、連れ立って家を出た。

 二家族の奥さん達は、獲れた魚を干物や燻製にすると言っていた。何か手伝えるかもしれない。

 地面には、まだ狼のでっかい足跡が残っている。

 通り過ぎつつ、セリは思いつきを口にした。

「これをお役人に見せたら、神獣を信じてくれないでしょうか」

 いいかもしれない、とスゥヤは真顔で首肯した。

「湖のこんな近くに、って説得力がある」

 役人が来るまで残しておけないかと考え始めたらしいスゥヤは、つと、柳眉をひそめた。数歩の後に立ち止まってしまい、セリも足を止める。

 スゥヤの表情は、気がかりそうなものに変化していた。

()()を残しておくのは拙いかもしれない……防壁の無いあそこには、お役人も密猟者も、入ろうと思ったら入ってしまえる」

「……遺跡……?」

「というより、黒魔法図――黒ずんで魔法図があるとはすぐ判らなくても、あの大きさだと、しばらく魔力の揺らぎは感じ取れるから……」

「え――あそこで古代魔法をやったって、判ってしまうってことですか」

 セリも事の深刻さに気づき始めた。〝神獣〟の存在は知れてほしいが、変化魔法の存在が知れてしまっては元も子もない。

 そう遠くない場所に魔法の痕跡がある状態で、ほぅら神獣が居るでしょう? と言うなんて、役人に怪しんでくれと頼むようなものだ。

 遺跡とは方角が少々違ったが、スゥヤは一方を見据えて唇を噛んだ。

「黒魔法図なんて、いつも捨てるのが当然の物だから、迂闊だった……」

「どうにかして、消すとか誤魔化すとか、できないですか……?」

魔砂(まさ)を散乱させてしまえばいいの」

 意外と簡単で、セリは肩の力が抜ける。

「箒とかで、しゃしゃっと?」

「えぇ、そんな感じで大丈夫だと思う」

「じゃあ、わたし、行ってきます」

 セリが請け負うと、スゥヤは目を見張った。

「えっ――で、でも、迷ったら――」

「往復しましたし、目印も覚えてます」

 シノノメ里は森を懐に包んだ山裾に在ったので、セリは物心ついた頃からその手の場所を歩き慣れてはいた。この一年弱で、ここの住人が秘かに付けている目印も把握している。

 スゥヤが瞳を揺らした時、影が差した。二人が目を上げると魔球船(まきゅうせん)が上空を通過していく。

 つい数日前に見たばかりだ。補給地が決まりもしない内から、運行本数を増やしているのだろうか。

 地上の者を嗤うようにヒョン、ヒョンと羽音が去っていく。セリが微かな不快感を覚えていたら、スゥヤが胸の前できゅっと手を組んだ。

「わたしも行くわ。あそこ、きっと上空から見えてしまう。早いに越したことない」

 セリとスゥヤは頷き合い、急いで踵を返した。

 グリンザに伝えておこうと部屋を覗いたら、あちこちに紙を散らした状態で、寝台にうつ伏せて眠っていた。気力は充分なのだろうが、ちょっとまだ身体がついて来ていないようだ。

 書き置きを卓に残し、二人は箒を手にすると、慌ただしく遺跡へ向かった。

 午前中の今からなら、デンと同じ頃合には湖へ戻れる筈だった。

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