11 結構お嫁さんを大事にしてますよね?
ミシュマシュ魔法省魔球船管理部の役人は、メッセン家の返した案に不服気だったらしいが、上と検討するとかで、ひとまず都へ帰っていったという。
とはいえ、自治区の湖に離着陸される可能性が浮上した以上、防壁の魔法をかける件は続行である。
本格的な夏を迎えた頃、顧問魔法士のグリンザは、新たな防壁の魔法図を完成させた。
通常の図面より、ずっと大きな紙に描かれている。薄い灰色でびっしりと描き込まれた柄に、要した手間を想像したセリは目眩がした。人の手でこれだけの物が生み出せることに驚くばかりだ。
図面を囲んだ他の面々は魔法の知識があるので、セリとはまた違った感嘆を洩らしている。よくコレをここに組み込もうと思うものだ、とか、なるほどソレで相乗効果が……等々。
「取り敢えず、これで」
グリンザは、部屋に籠もっていたにしては相変わらず美麗に微笑する。「魔力をもっと節約できないか、冬にでも考えます」
「見事な仕事だ、ありがたい」
当主が満足そうに、響く声で告げる。デンもスゥヤも頷いた。
緻密な魔法図へ、当主から順に魔力を注いでいく。魔力無しのセリは参加できないから、部屋の片隅で茶を淹れる。離れた所からでも、魔力の色は各自で違うのだと知れた。みんな綺麗なのは共通だ。
魔力持ちの人は、体内魔力が少なくなると貧血のような症状が出てくる。どれくらいが自分の限界かは、経験で知っていくしかないらしい。
魔法士四人がかりで、灰色の線が三分の一くらい薄黄色になった。残りは明日以降となる。
発動寸前まで魔力を入れたら、図面を持って湖へ出かける予定になっていた。
ついでに例の場所で変化魔法も試そうという話になって、広い森の中を湖から遺跡へと、余裕を持って五泊六日の日程が組まれている。
いよいよ踊りの本番なのは緊張するけれど、ちょっとした小旅行でもあって、セリは楽しみだった。
五日後、朝早くにセリ達は湖へと出発した。
デン、グリンザ、スゥヤと集落の二家族六人も一緒で、計十人の一行だ。
スゥヤが同行しているのは、湖が屋敷の周辺よりも涼しく、避暑には更に適しているからだ。集落の二家族は、湖での漁と加工が目的である。川とは別の、美味しい魚が獲れるらしい。
中型馬に一人か二人ずつで女子供が乗り、男が手綱を引いて行く。おませな六つの女の子がグリンザに引いてもらいたがり、母親も便乗しかけるという一幕もあったが、ムスタはスゥヤの馬を担当である。
セリの乗った馬は、当然ながらデンが導いていた。
当初、セリはデンと並んで歩く気満々だった。でも、他のみんながありがたく乗せてもらっているのに、こんなことで意地を張るのもナンだ。
諦めて、デンが出かける時にひらりと跨っている様を思い出しつつ、セリもやってみた。
中型馬は大人の肩ぐらいの背丈だったお蔭か、初心者のセリでも何とか跨れた。デンが傍で馬の御機嫌をとっていてくれたので余計だ。
姿勢について少し助言をしてくれて、素直にセリは体勢を整えた。
『初めてにしては上手い』
デンに褒められてセリが喜んでいたら、旦那さんの一人が笑いながら言った。
『馬乗りの上手い嫁さんか。楽でいいな若坊』
違いない、ともう一人の旦那さんもお腹を揺すったら、それぞれの奥さんが無言で夫の頭をスパーンと叩いていた。
息の合った暴挙に子供達とセリは呆気に取られ、あはははは、とグリンザが大笑いする。スゥヤはちょっと目が泳いでいた。
寸時デンは訝しげにしていたが、半歩前を歩く今はうつむきがちで何だか耳が赤い。話しかけてくれるなという空気が、背中から滲んでいた。
仕方ないので、セリは他の面々の世間話や鳥のさえずりに耳を傾け、はしゃぐ子供が示す景色を眺めつつ馬に揺られる。
一度、くっきりと白い雲を背景に、ずっと上空を魔球船が通過していった。
踏み分け道の付いた緩い丘陵を、のんびりと馬に運んでもらい、昼をだいぶん回った頃、一行は湖に到着した。
魔球船の離着陸に適していると言われるだけあって、大きい。ここから流れ出た水は、集落や街へも届いているそうだ。
水面をそよ風が撫で、夏の盛りの昼間だというのに、きらきらした涼しさが畔の草木を潤している。
周囲には立派な木造の家が、木々の合間に大小六軒ばかり点在していた。小さい方は魚を加工する為の小屋らしい。
厩に馬を繋いだ後、漁に来た二家族とは、夕食の約束をして一旦別れた。彼らは網や舟の点検をするようだ。
セリ達は、床が高めの位置に作られた家に入った。玄関を開けると吹き抜けに近い空間が広がっている。しっかりした暖炉や大きな卓が設えられ、全体的に飴色だ。
荷ほどきと魔道具の取り付けが終わると、グリンザが細く丸めていた魔法図を卓上に広げる。丸まろうとする紙の端に重しを置いていた。防壁の魔法は、今夜中にかけてしまうそうだ。
セリとスゥヤがひと息つこうと茶の支度をする脇で、グリンザとデンは早くも次の魔法の話をしていた。
「魔砂はあるだけ持ってきたけど、足りるかが懸念事項だね」
「鉱脈から貰ってこようか。あ、でも未精製のを混ぜても大丈夫?」
「大丈夫ではあるだろうけど、推奨はされないだろうね」
「今回は、きっちり敷き詰めずに線が判ればいいって程度にする? ムスタがしっかり写せれば改良が可能かもしれないわけだし」
「でも古代魔法そのもので発動させた方が浪漫だよね!」
「……別に」
デンが口をすぼめ、頭を掻く。いい笑顔で身を乗り出していたグリンザは、信じられないと言いたげに仰け反った。芝居がかった仕種まで絵になる人だ。
スゥヤが魔法で冷やしてくれた茶を飲んだ後、グリンザは一階の別室に引き取った。防壁の魔法図の為に連日夜更かしをしていたようなので、休息が必要だ。
デンは夕食に数品増やすべく出かけ、セリとスゥヤは調理の支度をする。今晩は外で大きな焚火を囲んで、焼いては食べるという夕食が計画されていた。
軽く焼いた薄パンに包んで食べるのも格別だそうで、賄い夫妻に教わっていた水加減で小麦粉を捏ね、生地を作っておく。
スゥヤによると、ミシュマシュではキビの粉を混ぜることもあるそうだ。メッセン地方とは、ほんの少し違っているらしい。
そんな話を楽しそうにしてくれたスゥヤは、ふと、溜め息をついた。
「何だか、街へ帰りたくないわ。ゴウナ、わたしのこと忘れてくれてないかしら」
街から森へ来て半月以上経ち、スゥヤは顔色が良くなってきたように思う。やつれた雰囲気は消えてきた。
スゥヤは森で暮らした方がいいのかもしれないと思いつつも、セリは小首を傾げた。
「もう少ししたら、代行様、ちゃんと迎えにいらっしゃると思います」
憂鬱そうになるスゥヤに、セリは眉尻を下げた。「代行様も、結構お嫁さんを大事にしてますよね?」
「――えぇ?」
物凄く疑わしそうに聞き返され、セリはちょっぴり尻込みする。
「えと、かなり、そう思えないかもですけど、スゥヤ様のお話を聞いてたら、わたし、そんな気がして……」
言葉の暴力はいただけない。けれどゴウナは、統治関係の話も要点は伝えているようだし、家族の嬉しいことも腹立たしいことも話している。家におかしな人が押しかけてきたら、なるべく早く安全な所へ避難させている。
この先も夫婦二人きりだとしても、ゴウナはスゥヤと一緒に居るだろう。たまたま子宝に縁が無いだけで、スゥヤは文句なく優しい美人で、ゴウナが望んで結婚したのが良く解る。
シノノメや周辺の里なら、例え望んで一緒になっても、三年子供が生まれないと妻は追い出されることが多い。追い出された女性は、年寄りの後家ぐらいにしか貰い手が無い。
セリは将来、デンの子に恵まれずメッセン家を追い出されるのは嫌だ。だから、自分の故郷のことは言えずに口ごもる。
スゥヤは、虚を衝かれた顔になっていた。
「わたしの、話……」
恥ずかしそうに、スゥヤは己が頬をさすった。「わたしが話すゴウナ、そう聞こえたのね」
はい、とセリは正直に首肯する。
無意識だったみたいだけれど、スゥヤは割と夫の名を話に出している。困った人と思いつつも受け入れている、柔らかな雰囲気で。
しばし黙りこくったスゥヤは、泣き笑いの顔をセリに向けた。
「忘れててほしいなんて、莫迦なこと言ったわ。セリさん、聞かなかったことにして」
セリは小さく笑った。
「スゥヤ様、別に夏じゃなくても、気晴らししたくなったら森に来ていいと思います。おねだりしたら、代行様、何だかんだ言っても連れて来てくださりそうです」
「……おねだり……三十路過ぎのおねだり……」
「えっ、そこが気になるんですか」
ぶはっ、と背後で吹き出す声がした。二人が焦って振り向くと、グリンザが立っている。
昼寝の邪魔をしたのかとスゥヤが謝ると、寝起きでも美男は、いやいや、とにこやかに笑った。
「因みに僕、女の人からのおねだり、年齢関係無く大歓迎だよ!」
何でも言って、とグリンザが両腕を広げると、スゥヤはもじもじしながら言った。
「あの、わたし、ゴウナにねだるだけにしておきます」
「じゃあ、わたしもデン様だけにします」
セリが笑って続くと、グリンザはまた絵になる仕種で柱にしなだれかかり、美人にふられた、と嘆いた。
それから半刻ぐらいして戻ってきたデンは、奥方からおねだりされて悶絶するがいいよ、とグリンザからおかしな呪いをかけられ、うろたえていた。