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春告げのセリ  作者: K+
春告げのセリ
10/25

10 デン様のカフィの方が美味しいです

 厨房へ行ったら、クラカは手早く昼食を済ませ、仕事に戻っていると告げられた。

「乾いた、いい陽気だからね。午前中に焚いていた虫除けの煙を、外へ逃がすと言ってた。部屋を順に覗いてみるといいよ」

 今日は時折、渋みのある臭いが鼻を刺していた。それか、とセリは納得する。

 煙を出すというなら、やはり一階からか。再びスゥヤと歩き出したら、グリンザの部屋からクラカが出てきた。

 すぐこちらに気づいたクラカおばさんは、あらっ、と声をあげた。

「スゥヤ様、早いですね? まぁまぁ、急いでお部屋の窓を開けなきゃ」

「本当に、急で……ごめんなさい、クラカさん」

 布包みを抱えてスゥヤは身を縮める。セリは口添えした。

「代行様に急ぎの御用があって、ちょうど良かったみたいです」

「あらあら、グリンザ様がお部屋を散らかしてるのと関係あるのかしら?」

 クラカは、ちょっと不機嫌そうになった。「描きかけみたいな魔法図だらけで、飛んでいかないように窓を開けるのが大変でしたよ」

 それは恐らく変化(へんげ)魔法の所為だが、セリは黙って苦笑いする。

 きびきびと階段へ向かい始めたクラカの後を追いつつ、スゥヤがぽつぽつと話した。

「ミシュの(みやこ)から、お役人が街へ来てるんです。森に、魔球船(まきゅうせん)の補給所を作ってくれないかという話で」

 えぇ? とクラカおばさんは嫌そうな声を出した。

「空の旅は憧れますけどね、わたしはあの船、好きじゃないですよ。鳥の羽ばたきとは全然違う、変な音を上から鳴らされると気味悪いです」

「ゴウナも渋ってます。森へ勝手に入り込まれる危険性に比べて、提示された利があまりに釣り合わないとか」

 釣り合ったら話が進んでしまうんだろうかと、セリは胸中に漠然と不安が広がった。家畜も、あのひょんひょんと云う音は好きじゃないようなのに……

「まぁ御当主達に任せておけば、悪い話にはならないでしょう」

 それより一刻ばかり布団を日に当てようと、クラカは張り切って階段を上がっていく。

 薄く煙の立ち込めていた客間の窓を開け、臭い消しになる香草をあちこちに吊るし、布団や掛け布を庭へと出していく。

 言われるままにクラカおばさんの手伝いをしていたら、セリの頭から魔球船の話は一旦消えていた。



 その日は夕食後にやっと時間が出来て、セリは裏庭に出た。

 一日一度は、踊りのおさらいをしておきたい。

 窓から漏れさす光は僅かで、裏庭はほぼ真っ暗だ。少し怖かったけれど、屋敷は裏庭も含めて垣根に囲われている。大きな獣はまず入ってこない。

 最近は革紐の涼しい靴になっていたので、暗い芝地に踏み入ると足元がひんやりした。踊り出せばすぐ熱くなるので、セリは練習を始める。

 魔法図と言われてみれば、この踊りは外側から内側へと円を描くような動きだった。しばしば足先や手指で大地を撫でて、模様を付け足すような仕種も入っている。

 習い始めは祭の熱気が内へ向かう印象を持っていたが、今は、人ならざる存在へと地面に感謝を綴っているような気がしている。

 お終いに屈み込み、手も使ってぐるりと小さな二重円を生んで、セリは息をつく。毎日練習するようになったので、あまり間違えないようになってきた。

 満足してセリが立ち上がると、屋敷の傍で小さな光が生まれる。浮かび上がった手元で、デンだと判った。

「どうしたの」

「部屋の窓から見えた」

 互いに歩み寄ったら、デンはセリの足元を魔道具の明かりで照らし出す。「こんな時間にまで練習していたと思わなかった。夏が近いといっても、森の夜は冷えるだろうに」

 今日だけです、とセリが笑んだら、ならいいが、とデンは頷いた。

「そういえば今日は、義兄者(あにじゃ)義姉者(あねじゃ)が来て、ばたばたしていたな」

「そうです、そう、デン様、わたし、お昼全部飲めなかったの。カフィ淹れてください」

 うん、と応じたデンは、面映ゆそうな顔を光から背ける。おねだりが成功して、セリは弾む足取りで後をついて行く。

 使用人口から屋敷に戻り、デンはそのまま厨房でカフィを淹れてくれた。

 セリが庭へ出た時には立ち働いていた賄い夫妻は、後片付けや仕込みも済ませ、住み込み用の部屋へ戻っている。

 静かな厨房の、隅にある小卓で、明かりの(ともしび)を大きめにして、セリとデンは斜向かいに腰かけた。熱々カフィの器を少しずつ傾ける。

 身体を動かしていたし寒さは感じていなかったけれど、デンの言うとおり森の夜は冷えていたのかもしれない。カフィの熱と癖になる苦味が、じんと染み渡った。

美味(おい)し」

 セリが幸せに目を細めると、デンも一口啜る。

「最近、貴女のお茶の方が美味いけどな」

「本当?」

 嬉しくなったけれど、セリは小首を傾げた。「でもわたし、デン様のカフィの方が美味しいです」

 デンは今一度カフィを啜りつつ目を逸らす。

 大事にセリが飲んでいたら、デンは伏し目がちに確かめてきた。

「貴女は……まだ、十六だな」

「デン様は十九と七月(ななつき)

 一緒だと覚え易くていい。セリが頬を緩めて器を両手に包むと、デンは壁を見つめて絶望したような顔をしていた。

 何の変哲も無い壁である。

 何かあるの……? とセリが問いかけると、デンは椅子の背にぐったりした様子で沈み込んだ。両手で髪をかき上げつつ、ぼそぼそと言う。

「いや、うん、先は長い……そういえば、例の遺跡は大体もとに戻せた。けど、ムスタの時間の都合がしばらくつきそうにないんだ」

 スゥヤから聞いた話を思い出し、セリは眉尻を下げた。

「魔球船の所為……?」

「うん。新しい魔法図を考えないといけなくなった。ムスタは変化魔法の方をやりたいだろうけど、しょうがない」

 そう言って、デンは日中の話し合いで決めたことを簡単に教えてくれた。

 定期的に離着陸するような場所を提供するのは断る。

 緊急時に離着陸できるような場所は整える。地図の登録も認める。

 その場所に普段は防壁の魔法をかけておく。

「上空からだと、森のちょうどいい辺りに湖が見えるらしい。そこを融通しろと言うわけだ」

 デンは胸の前で腕を組み、複雑そうな顔をした。「空は誰の物でもないと当主が言って、魔球船が自治区の上を航行するのは認めてきたが、地上はやはり話が別だ」

「どうしてお役人は、今になって来たの」

「魔道具の小型化に成功して、速度も上がったようなんだ。中継地を得られれば、航路や運行本数を増やせるらしい」

「……でも、ここには、あんまり喜ぶ人いないと思います」

「だよな……船なんぞに降りて来られたら神獣の怒りを買ってしまうと、義兄者が役人を脅したようなんだけど。もう長いこと〝本物〟が降臨してないから。動物園とやらにも協力してないし、中央にはすっかり真偽を疑われてるみたいだ」

 デンは肩をすくめ、カフィをあおった。

「それでムスタが防壁の魔法図を考えるんですね」

「防壁の魔法の基本形は、建物にかけることを前提にしてるんだ。湖とその周辺っていう条件に描き換えないといけない。現地を見て理想どおりに発動する紋様を見極める必要もあるし、ちょっと時間がかかりそうだ」

 ムスタだから半月もかからないとは思うけど、とデンはグリンザの腕を信頼しきっている口ぶりで言う。

 グリンザは特異な図面描きの技術で中位魔法士となった人らしいので、しれっと仕上げるだろうなと、セリもその点は全く心配しなかった。



 スゥヤは毎年、滞在中に集落の子供達へ読み書きを教えているそうだ。ミシュマシュ出身で、魔法学校ではゴウナと同期だったらしい。

 昼下がりの四半刻から半刻ばかり、戸外の日陰で授業が開かれる。

 この機会に、セリも子供達に混ざらせてもらった。

 何故か、若奥さんより早く覚えよう、と五人の幼子が一致団結した。

「奥さんが帰ってもオレらが教えてやる。安心しなよ、若奥さん」

 七歳男児にぽんと腰を叩かれ、セリはちょっとだけ自分が情けなくなった。

 今年は長めに居させてもらうわよ? とスゥヤが優しく笑うと、はしゃぐ子が居る。親公認で手伝いをさぼれるという理由もあって、スゥヤ先生の授業は人気だ。

 また明日、と解散した後は、セリとスゥヤで連れ立って屋敷に戻る。

 遠くない道すがら、スゥヤはセリを褒めてくれた。

「小さい子達はああ言ってたけど、セリさん、覚えが早いわ。メッセンに来て一年経ってないでしょう?」

「デン様が、練習によく付き合ってくれました」

 照れながらセリが応えると、スゥヤは戸惑ったように頬へ手を当てる。

「デン君、ちゃんとお嫁さんを大事にする子だったのね。どうしても、隣に居るグリンザ様が目立ってて……デン君は、黙っていることも多かったし、素っ気無い気がしてた」

 確かにデンはそういうところがあるが、上辺だけの優しさを押し付けてこられるより、セリとしては安心できる。

 グリンザみたいに愛想は良くないかもしれない。けれど、頑張っていれば見ていてくれるし、時に手を貸してくれる。よく似た師弟なのにと浮かんで、セリは小さく笑った。

「デン様、女の子はみんなムスタの方に行ってたとぼやいてました」

 スゥヤは、笑っていいものかどうか迷うような顔をする。

「ゴウナが、貴女をシノノメから呼んだのはオレだなんて自慢してたけど、どうあれ、来てくれて本当に良かった」

 垣根の胡桃の葉が、爽やかな風に揺れている。

 それを横目に見ながら玄関口へ向かうスゥヤは、肩の力を抜くように息を漏らした。

「今年の夏ね、セリさんが居なくても長居することになってたの。わたしも助かったわ」

 良かった、助かったと言ってくれるものの、スゥヤの灰色の目には憂いがあった。「動物の愛護団体が、何だかしつこくて。今回の話を、何処からか聞きつけたみたいで……」

 よく解らず、セリは眉をひそめる。

「魔球船と何の関係があるんでしょう」

「神獣の森を開発するなんて反対だと言い出してるの。あの人達は動物園の建設に反対してる筈だったのに、もう、ミシュマシュに抗議できるなら何でもいいのね。ゴウナがお役人の話に難色を示してると知ったら、自分達はメッセン家に賛成だと急に首を突っ込んできて」

 ありがた迷惑という感じだ。

 溜め息混じりに、スゥヤは続けた。

「それだけならまだ良かったんだけど、お役人を追い返さずに滞在させてるものだから……自治区の矜持はどうしたとか、ミシュマシュに媚びる気かとか、家の前に押しかけて来る人も居て」

「えぇ?」

「それもあって、ゴウナに、しばらく森へ行ってろと言われたのよ」

「そうでしたか……」

 ややこしい上に面倒くさいことになっているようだ。スゥヤを連れてきた翌早朝には慌ただしく街へ戻っていったのも頷ける。当主代行も楽じゃない。

『個人の主義だけにしておけばいいのにね』

 グリンザの言っていた感想が蘇り、まったくだなぁ、とセリは胸中で同感した。

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