7:女嫌い
「ノリちゃん……窓は良くないんじゃないかな……」
イノリの話を一通り聞き終わった『ゲンちゃん』は、何とも言えない表情で言葉を詰まらせる。
「そ、それは私がいけなかったと思うえけど……でも、訳のわかんない古本渡して、何もせずにこれ読んでおけっていうのはひどいと思うの!!」
友人の反応が鈍いことで不安になったイノリは、ますます雄弁になる。
「別にね、大した役には立たないかもしれないよ?先生たちみたいなエリートでもないし、魔力なんかほぼゼロだけど!でも!この扱いはあんまりだよ!! クビにされないだけましかな?とか、最初は思ったよ?でもね? ここで何もせず心穏やかに座って一日を過ごすだけでお給料がもらえるとか、そんなの一種の拷問だよ!!労働者に対しての侮辱だよ!! あっ、今思えば何もせずにお金がもらえる楽な仕事だから文句ないでしょう、みたいな顔してた!!あのサラサラの銀髪の奥でぜーーーーーーったいそんな顔してたはず!!見えなかったけどね!!」
「そ、そうだね」
「でしょ?やっぱりゲンちゃんもそう思うよね?! 『業務上必要なこと以外では、極力私に話しかけない事。』 ふんっ、別にこっちだって話したくなんかないわよ!! 最初聞いた時は普通にショックとか思っちゃったけど、今となっては別に話せなくたって困んないもん!だってやることないんですから!!ははは!! 」
「ま、まあまあ、ノリちゃん、落ち着いて。ね?」
感情の起伏が激しいイノリの扱いがよくわかっているようで、『ゲンちゃん』は若干気圧されつつも、可愛い友人が止められなくなるほど激昂し始める前に優しく声をかける。
「だって――」
「ノリちゃんの気持ちはわかるよ?すごくよくわかる!実は僕も常日頃からあいつの態度が……って、ああいやいや、そうじゃなくて」
「?」
何を言ってるのか少しわからなかったが、イノリはとりあえず耳を傾ける。
「あー、その、なんだ……僕は、ノリちゃんに一つ言ってない大事なことがあってね」
「言ってない事?」
うまいこと気持ちをそらされ、イノリは若干落ち着きを取り戻していく。
「本当は事前に教えてあげていれば、ノリちゃんもここまで悩まなかったと思うんだけど……ソウマ准教授の……彼のプライベート的な事なんもんで、ノリちゃんが正式に採用されてから伝えようと思ってね。今日はそれを伝えに来たんだよ。」
「プ、プライベート?」
完全に彼女をこちらのペースに戻すことに成功したようで、上品な笑みを浮かべた老紳士はそっと安堵の表情を浮かべる。
「ノリちゃん、君だから言うんだ。誰にも言ってはいけないよ?」
「う、うんっ」
二人以外誰もいない室内で、二人はぐっと顔を寄せ合い、次第に意味もなく子声になっていく。
「ソウマ准教授は……」
「うん」
「女性関係にトラウマがあるらしい」
「トラウマって、どんな?」
「詳しいことはわからないんだけどね、どうやら長年付きまとわれてる女性がいて、そのせいで極度の女嫌いになったらしい。今でもたまに現れてはソウマ准教授を困らせてるらしい」
「それって……ストーカーってやつかな?」
「そうじゃないかって話だよ。僕も直接聞いた訳じゃないけど、これは彼が信頼する立派な部下思いの上司から聞いた話だから確かな情報だよ」
「そ、そうなんだ……」
「だからね、ノリちゃんに対する態度も、別に悪意があるとか、ノリちゃん自身に問題があって嫌ってるって訳じゃないから、できれば許してあげてほしい。彼も可哀想なやつなんだよ」
「……」
少し困ったような苦笑を浮かべる『ゲンちゃん』。
それに対して、どう答えていいのかわからず、黙り込んでしまうイノリ。
「誰に対しても基本的にはクールな対応しかしないから、ただの人付き合いの悪い無愛想な人って思われがちなんだけどね。特に女性にはそういう個人的な事情もあって、より冷たい対応というか、距離を取ってしまうらしいんだよね。」
「女嫌い……」
イノリは言葉の意味を咀嚼するように、小さく呟く。
「理屈っぽくて神経質の完璧主義者だけど、根は優しいいい子だよ。大人っぽく振る舞ってはいるけど、彼もまだ二十一の多感な若者なんだ」
いまいち納得のいかない顔で再び沈黙するイノリに、『ゲンちゃん』は懸命に語りかける。
「それに彼はいわゆる『美男子』で『超エリート』だからね、長年のストーカー問題以外にも、いろいろと人間関係で悩まされてるんだろうね」
「……」
「ノリちゃん、君は彼をどう思う? この仕事、やめるかい?」
「よく、わかんない。ソウマ午先生なりに悩みがあって、ストーカーの事とかも可哀想だと思うけど……、でも……」
「でも?」
イノリは正直、混乱していた。
ソウマなりの悩みや苦労があり、それが原因であんなにひねくれたのだとしたら、可哀想だと素直にそう思う。自分に対しての今までの対応も、冷たく突き放した感じではあったが、悪意とか、意地の悪さは感じられなかった。
しかし、彼に『必要とされなかった』という事実がイノリの胸を締め付ける。
考えがまとまらないながらも、イノリは思いのたけを少しずつ吐き出す。
「ゲンちゃんが言うように、悪い人じゃないんだと思う。できるなら、ソウマ先生の秘書として役に立ちたいって気持ちは今でもあるよ。……でも、私がいて、何か助けになるのかな?」
「それは、ノリちゃん次第じゃないかな?」
「え?」
『ゲンちゃん』は優しく微笑み、イノリを愛しそうに見つめる。
「彼はいつも外見や、才能の高さだけで判断されてきた。その挙句ひねくれまくってあの調子だ。見た目や才能で判断せず、彼自身を見てくれる人間は、本当に少ないんだ。そんなあの子の事を、素直に思いやってあげられる優しいノリちゃんは、僕の自慢の友人だよ。まだ少しでも、あの子の役に立ちたいと思ってくれてるなら、この通りだ、もう少し頑張ってみてくれないだろうか」
いつものお茶らけたような雰囲気はなく、大人の貫録を匂わせた『ゲンちゃん』に戸惑いつつ、イノリは目の前に下げられた『ゲンちゃんの』のつむじを凝視する。
「……わ、わかった。ソウマ先生がクビって言うまでは、頑張る」
友人の頼みに渋々了承したわけではなかった。
イノリは、ソウマの事をまだ何も知らないということに気が付いたのだ。
「正直、ソウマ先生の事はまだよくわからないけど……自分のできることをやってみる。ソウマ先生だって、私の事はまだ何も知らないだろうし、いきなり信頼してくれって言う方のも無理があるよね。さっきはちょっと怒ってたけど、私も反省する」
イノリの素直な告白に、『ゲンちゃん』は満足そうに微笑む。
「ありがとう。無理を言ってすまないね……ノリちゃんはノリちゃんの思うまま、自由にするといい。何かあれば、いつでも相談に乗るよ」
「ううん、ゲンちゃんには感謝してる。ゲンちゃんの紹介が無かったら、正社員になんかなれなかったもん……私ってば、せっかく働き口ができたって言うのに、すごい我がまま言ってた、ごめんなさい」
小さな肩を申し訳なさそうに縮こませ、イノリは自分の今までの発言を思い出し反省する。
「ははは、気にすることないよ。普通の女の子なら、あれだけ突き放されて放っておかれたら、泣いて出てっちゃうだろうね!その点ノリちゃんはさすがに根性がある、僕が認めた逸材だよ!」
「あ、それじゃ私が普通の女の子じゃないみたいじゃない!!」
「おっと失言」
「もうっ」
「――ふふっ」
「――へへっ」
二人はじっと見つめ合ったかと思うと、堪えきれないというように同時に笑い出した。
イノリの抱えていた不安がすべて解消されたわけではなかった。
しかし、『ソウマの事ももっとちゃんと知っていこう、その中でできることを探そう。』 そう思うことで、これからの秘書業務の方向性を彼女なりに見出すことができた。
それだけで、イノリにとっては十分だった。