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先生!  作者: 榎本壮詩
6/11

5:待機せよ

 

 午後二時ぴったり、イノリは大きな鉄製の扉のノブに手をかける。

 慎重にノブを回して軽く押すと、昨日の事が嘘のように、わずかな力ですんなりと開いた。


(おおおおおお!! よ、よかったー!!)


 疑っていたわけではないが、昨日の事が若干のトラウマになっているのか、扉が開いただけでもイノリは歓喜に震えた。


 室内に入ると、大きな図鑑のような分厚い本を数冊抱えた痩身の青年が正面にある部屋から出てきた。

 イノリはすかさず挨拶をする。


「ソウマ先生、おはようございます」


「おはようございます」

 さらりとした銀髪をなびかせ、ソウマは無機質な声でそれに応えると、抱えたていた本を大きな机に置き、再び奥の部屋に入って行ってしまった。


 イノリは少しとりあえず役に立たねば、という思いでその後を追う。

 木製の内開きの扉を開けると、数えきれないほどの本やよくわからない機材などが所狭しと積み重ねられていた。どうやらの倉庫のようである。


 ソウマはイノリを一瞥すると、無言で数冊の埃だらけの本を掴み、イノリの手元に押し付ける。

 イノリは慌ててそれを受け取り、両手で抱え込む。

 ソウマ自身もいくつかの本を選び取ると、イノリに部屋から出るよう促す。


 運び出した本を一通り確認すると、ソウマは着慣れた白衣をなびかせ、「適当に座って待っていてください」とだけ言い残し、倉庫とは反対側――研究室の右奥に設置された扉へ吸い込まれるように入っていった。


 ソウマの世話しない行動に少し面喰いながらも、イノリは素直に適当な椅子を見つけて大人しく待つことにした。


 きょろきょろとあたりを見回し、そわそわと落ち着きなく待っていると、一つの紙袋を持ってソウマが帰ってきた。

 

 たくさんの本を挟みんで、ソウマはイノリ目の前まで来ると、いかにも神経質そうな薄い唇を開いた。


「では、勤務形態の確認とここで働く上での注意事項、あなたの業務内容を説明します」


「は、はいっ」


 急に始まったレクチャーに、イノリは慌てて鞄からメモ帳を引っ張り出す。

 メモを取る体制が整ったことを確認すると、ソウマ一気に話し始めた。


「勤務時間は午前九時から午後五時、日曜を除く週六日間の勤務。昼休みなどを含む休憩は自由にとっていただいて結構です。欠勤する場合も、私に断りを入れる必要はありません。その代りと言ってはなんですが、あなたの勤務実績はそのバッチによる入退室記録で管理させて頂きます、勤務中は必ず身に着けておいてください。それと、これが学術院からあなたに支給されたものです。事務員の制服や名札などがあるようですので、後で着替えるといいでしょう」


 ソウマから手渡された紙袋の中身をちらっと確認すると、確かに服のようなものが入っている。

 イノリは「ありがとうございます」とお礼を述べながら、バッチそんな機能があったのか、と別のところに感心する。


「次にこの研究室で働く上での注意事項ですが、三つだけですので、よく覚えておいてください」


「はい!」


 一言も聞き漏らすものか、とイノリは意気込んでペンを構える。


「一つ、私の書斎には決して立ち入らない事。二つ、研究室内にある研究に関わる全てのものに、決して手を触れない事。三つ、業務上必要なこと以外では、極力私に話しかけない事。以上です」


「……えっと、それは、どういう意味でしょうか?」


 三つ目の内容にどうも違和感を覚え、イノリはつい聞き返す。


「ああ、保存庫や茶器、コンロなどの共用備品は自由に使ってもらって構いませんが、基本的にはそれ以外は、研究に関わるものと思ってもらって結構です。ですから、共用備品と秘書室以外のものには一切触らないでください。秘書室は、倉庫と私の書斎の間にあるあの扉です。業務に必要なものは一通り揃えてありますので、ご心配なく」


 ソウマは注意事項二つ目について丁寧に補足を加えるが、イノリが躓いたのはそこではない。

 イノリがなんと言えばいいのか考えあぐねているうちに、ソウマは説明を続ける。


「最後にあなたにお願いする業務についてですが――」


 未だに腑に落ちてはいないが、説目は佳境に入ったところのようで、イノリはとりあえず黙って話を聞く。

 それに、大事な業務説明を聞かない訳にはいかない。が、その内容は、イノリの期待を裏切るものだった。

 

「特にありません」


 イノリは自分の耳を疑った。

 特にない?では自分は何のためにここにいるのだろう。そんな思いが頭をめぐる。

 イノリの戸惑いを知ってか知らずか、ソウマは一人しゃべり続ける。


「確かこのあたり書物が面白かったと記憶していますので、適当に読むなりして、時間をつぶしてください。学内事務へのお使いくらいはお願いするかもしれませんが、そういう場合以外はここで読書でもしていてください」


「あ、あのっ」


「なんでしょうか?」


 もう聞いてばかりいられないと、イノリは少し大きめの声を上げ、ソウマの注意を引いた。


「することがないっていうのはどういう意味でしょうか?それに……注意事項の三つ目……話しかけないようにというのも、正直、ちょっとよくわからないんですが……」


 少しずつ自信がなくなり、声も勢いも小さくなっていったが、イノリは最後まで言い切った。

 すると、ソウマはすいっとメガネを押し上げ、冷たく言い放つ。


「言葉通りの意味です。なにかお願いできることが出来たら、声をかけますので、それまでは『待機』ということで」


「た、待機って……」


「他に質問がなければ私はもう行きます」


「え、行くってどこに?」


「学術院です。午後三時から授業がありますので、では」


 それだけ言い残すと、ソウマは颯爽と研究室を出て行ってしまう。


 バタン、という音が室内に響く。

 研究室に一人残されたイノリは、ソウマの出て行った扉をただただ見つめる。


(この音、昨日も聞いたな)


 昨日廊下に閉め出された自分と、今の自分がシンクロし、イノリは大きなショックと失望感を抱えたのだった。


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